21年と0日目

日付を回った頃、母親に何気なく「お誕生日おめでとう」と言われた。
母の誕生日におめでとうと言えなかったことを後悔した。母が家を空けていたとはいえ、一言言えばよかった。

色んな人と関わる中で、人付き合いが苦手なことに気づいた。色んな人の正解を探して、自分の一挙手一投足を疑ってしまう。1人か、もう気心知れた人としか居たくないと思った。

自分が静かに生きたいことに気づいた。誰かからの注目を集めるような、いじられるような、そんなことは望んでいない。強いて言うなら、自分が武器にしたいもので目立ちたい。わがままだ。

ぽろり。ぽろり。

誰にも愛されていないんじゃないかという疑念が心の奥を掻き混ぜた。そんなはずはない、こんなにも周りの人に恵まれているんだから、と言い聞かせる。きっと私がこの世から消えても、世界は回るし人々の日々は壊れず進んで行く。であるなら、本当に私は必要とされているのか?愛されているとは何なのか?

思い描いていた「大人」には未だほど遠い。
けれど、「子供」ほど純粋な目では見れない。

私が生きている、私にしか生きれない、私にしか与えられない意味を、人生を、探りたい。

私は、必要とされていますか?
私は、愛されていますか?

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