「サラバ!」上中下 西加奈子

今も受け身でいて人から求められる自分を生きている。今もそう。

 働き始めてから、いや、もっと昔から。「〜はどうしたい?」と自分の意見を聞かれても自分の意見のように見せかけた平凡で無難な答えで返すことが染みついてしまっています。幼少期は人に迷惑をかけてはいけないという教育方針の元、友達の親からどう見られるのかばかりを気にしていて。「〜さんの息子(私)は大人っぽいね。」そう言われることに喜びを感じていました。

いわば世間が求める自分でいることが染み付いていて、周りの目ばかりを気にした生活を送っていている。そんな人は少なくないのではないでしょうか?

私はいつからそうなっていたのだろう?そしてどうなっていくのだろう?

 本作の主人公、圷歩(あくつあゆむ)もそんな一人です。

作中で主人公と対照的に描かれている姉や母に対して、いつも中立的な立場を取り、何か面倒なことに巻き込まれないように関与しすぎないようにする。

学校生活でも自分を同化させ、極めて謙虚に努める姿勢をとり思春期を過ごす。時間軸が進んでいくにつれて、自分の容姿が良いが優れいているグループに属していると把握すると言動が時間軸を追う毎に変わっていくなど。

比較という客観的に見えるによって自分を見て、周りが求める行動を取るだけの姿勢が描かれています。

 例えば大学時代は、自分の求めるように女と寝ていた。しかし、社会に出てだんだんと仕事がうまく回らなくなり毛髪も抜け落ちていく。隠すように帽子を被って外出することが当たり前になっていき、挙句の果てには自分が付き合ってあげているというスタンスでいた彼女にも浮気をされていく様が描かれています。

 一方、主人公とは全く逆の描かれ方がされている姉の貴子。

貴子は幼少時代に自分の容姿に自信が持てず、奇行を繰り返し「自分」に注目してもらう行動を取り続ける(壁に巻き貝を大量に刻み込むなど)など。ただだんだんと海外の生活や世間的ないじめを受けて幼少期から受けて、失敗しながらも確実に自分の信じるものを見つけ出した貴子。

今になって読み終えてから貴子の行動は自分を守る、もしくは自分を保つためにに奇行を繰り返していたのだろうと思えます。


二人の差は「軸となるもの」を持っているか持っていないか、探しながら生きてきたか探さなかったこと。ただそれだけ。

だからこそ、「信じるものは自らが探し、選んで、手にする。それは他でもない私が決めるものだ」というメッセージがあり、行き詰まっている、疲れたなと感じる時には読みたいと思える小説でした。

「私は幸せになるから!」そう言い残し、父と別れた母

「幸せになったらあかんのや」そう言って必要最低限の食事しかとらず、やせ細りながらも出家して幸せになった父。

求めているのに手に入らない、求めていないのに手に入れてしまう。そんなアイロニックな描写があり、

歩と貴子、父と母の。「サラバ!」という作品は上中下の物語の中で二人の描かれ方が逆方向から進んでいるように感じさせてくれました。


ここからは本と出会うきっかけですが、Twitterの某商社マンが勧めていたリストの中で面白そうと感じたものを爆買いし、「サラバ!」はその中でも最初に読んでおきたいと思う本でした。

物語は宗教やLGBTQ、コンプレックス、災害といった社会問題が折り込まれ、人間関係など織り込みまくりで中身が濃い、、ただ昔読んだことがあると思いつつ「サラバ!上」を読み終えたころにフラフラと本屋を彷徨っておりました。

西加奈子のゾーンで他にどんな本があるのかと見ていたところ「i(アイ)」があり、大学時に小説を意欲的に読み出そう決心したときに読んでいたため、個人的につながりを感じる体験をしました。

こんなふうに本を読んで点が線になっていく体験も面白いかもしれませんね〜


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