【3rd observation】インターネット時代の KOTOWAZA 考
折々の出来事に寸評を発する言の業たる諺。もはやクイズ番組でしか御目に掛からないかと思いきや。ところがどっこい、ネット社会で逞しく息づく KOTOWAZA について考えるとしよう。
ぶっちゃけ表記については、ことわざ・諺・言業・コトワザ・ KOTOWAZA から好き勝手に選んで使えばよいのだが、一応、海外で通じるっぽい雰囲気を買って KOTOWAZA にしてみた。
KOTOWAZA ができるまで
経緯はこうです。
すなわち、
陸路・海路・空路に情報通信の電路が加わり、
人々の共同体と共同体をつなぐ中間共同体が育まれ、
人・物・事の流通ネットワークが再構築された、
インターネット時代では、人々のコミュニケーションが閲覧と拡散の数量によって可視化されていく。で、誰かが絶えず引用しまくっている内に、世の中へ KOTOWAZA の言い回しが定着するというわけだ。
なぜ KOTOWAZA はちゃんとした方がいいか
例えば、焼肉定食とプリントされた T シャツを来てニコニコしている外国人がヴィーガンだったら、誰が何と言おうと私は気まずい。実際問題、我々の横文字 T シャツにも散見される由々しき事態だ。だからちゃんとした KOTOWAZA を常に世の中へ供給せねばならない。別に需要なんか知ったこっちゃない。
KOTOWAZA は、ようするになんか世の中を賑わす出来事があって、その寸評がバズり倒して今でも残っているものだ。あると微妙なニュアンスが伝わって、上手いこと人の感情を揺さぶれるんである。 KOTOWAZA の元は、ネットで注目されてる話題を調べれば星の数ほど出てくる。
ちなみに私が今、何か一つ KOTOWAZA をと問われれば、
【表現は不可能へ挑んだ副産物】
と返す。
表現 とは 精神的・抽象的な表すと肉体的・具体的な現すをひと括りにしたもので、
不可能 とは 毎回ちがう状況で成し遂げたい理想で、
挑んだ とは 常に高みを目指した思考と動作の軌跡で、
副産物 とは 互いの心と体が共鳴した残響で、
世にも快美なひとときを体感できる。
BYWORD WALLPAPER
というわけで、世にしこたま KOTOWAZA を送り込むべく企てたのが、 BYWORD WALLPAPER である。
つまり、パソコンのデスクトップやスマホのホーム画面でお馴染みの壁紙。その KOTOWAZA 版となる。無料サンプルを仕込んでいく受け皿を確保し、 KOTOWAZA 量産体制を作り上げねばならない。
さて、どうでしょう?
壁l・ω・) 壁l)≡サッ!!