宿った願いに灯火を ー恩返し 後編ー
「土曜日になるのを待つしかないな」
恩返し 後編
時間の流れは早いのか遅いのか。蒼羽に1度、時間を早送りしてと頼んだけど、スパッと断られた。そもそも無理だと。…だろうな。
そんな小言を言いつつ過ごしてきたが、今日は土曜日。待ちに待った土曜日だ。遊びに行くわけではないと、蒼羽に釘を刺されたが、非日常的な物事にわくわくしないはずがない。無理なんだ。俺の好奇心は暴れている。
「ここですね」
メモにある住所を確認して、蒼羽が立ち止まる。目の前には新しいとも古いとも言えないアパートが建っている。築30年くらいらしい。ネットで知った。
伊藤と書かれた札を見つけ、インターホンを押す。このアパートに伊藤という人は1人しかいない。合ってるはず。
半分祈りつつ待っていると、すぐにドアが開いた。
部屋の主…伊藤 颯太(そうた)さんは、俺らを見て中に入れてくれた。茶髪で柔らかい空気を纏った人、という印象だ。誰かに恨まれるような人ではなさそう。まぁ、そんな人が犯罪を犯したり、殺されたり…なんてニュースはよく聞くけど。
「初めまして。浅桜 灯里です。こちらが、その、知り合いの蒼羽です」
言葉遣い云々を蒼羽に叩き込まれたが、台詞をど忘れした。視線が少し刺さる。
「神山(かみやま) 蒼羽です。うちの家系は代々陰陽師をしています。お役に立てるといいのですが」
普段では見られないような微笑みで話す彼。勿論、苗字と家系の話はフィクションだ。陰陽師というか、元神様なんだからな。
「今日はわざわざありがとうございます。この前、浅桜さんに話した通り、この部屋で心霊現象がおきておりまして…」
「大まかな話は、灯里から聞いております。今も続いているのでしょうか? 」
「えぇ。むしろ悪化しているといいますか…昨晩は、そこの引き出しが勝手に開いて…」
大人の話とはこういうものなのか。敬語がすらすらと出てくる。凄い、こんな風になれる自信が無い。
というか、棚が勝手に開くのは流石に気の所為とは言えない気がする。蒼羽をちらりと見ると、軽く頷いた。
「では、部屋を見てまわっても大丈夫でしょうか? 」
***
蒼羽から、引き出しの中を見てみるよう言われ、伊藤さんについて行く。この部屋に心霊的な何かが起きているのは間違いないらしい。
昨日の夜、勝手に開いたのはこの木製の棚だ。引き出しに取っ手はついてなくて、窪みがある。ごく普通の棚と言ってもいい。
「失礼します」
手をかけ、文字通り引くと中には、黄色の写真ホルダーと赤い首輪が入っていた。
「…首輪? 」
頭で考えずに発した言葉だった。
「1年前、半年だけですが犬を飼っていたんですよ。雑種の老犬で、捨てられていたんです」
捨てられていた、か。珍しくもない言葉だが、胸が痛む。そもそも、捨て犬という単語が珍しくないということにも嫌気がさす。…少し話がズレてしまった。俺の悪い癖だ。
彼は写真も見せてくれた。中型犬くらいの大きさで、ベージュ系の色ををしている。
首輪は赤い、なんだ? 革? まぁ、光沢のある赤色をしていて、小さな勾玉が付いている。
「この勾玉は? 」
「あぁ。それは、拾った日に神社で買った御守りです。あの子には持病があったみたいで、少しでも長生きできるようにと」
やっぱり、伊藤さん…いや、颯太さんはいい人だ。俺の感性に間違いはなかった。
ひとまずこっちは見終わったな。蒼羽に声をかけようと、彼を見ると目を閉じて集中しているようだった。これは、話しかけちゃ駄目なやつだ。
「そうだ…いつも物が落ちると言っていましたよね。他にはどんな物が落ちていたんですか? 」
蒼羽も蒼羽なりに頑張ってくれている。俺も俺に出来ることをしないと。元はと言えば、俺が蒼羽を巻き込んでしていることだ、何もしないのはおかしい。
「それが、毎回この首輪が落ちていたんです。たまに、文庫本だとか教科書も一緒に落ちるくらいで…」
だから引き出しにしまい込んだのだと。何故だろう、昔買ってた犬が関係してるんだと思うけど…これ以上は分からない。
「気になりますね。蒼羽の方が済んだら尋ねてみましょうか」
颯太さんは優しい声で返事をした。
***
部屋に来た時みたいに、3人で机を囲む。正しく言えば、俺と蒼羽の向かいに颯太さんがいる。
「始めに言います。この部屋で起きた不可解な出来事は"悪霊"によるものではありません」
悪霊という単語を強調して言った。
「えっ、でも…」
俺が首輪のことを言おうとすると、視線で止められた。本気の彼には逆らえない。怖い。
「それで質問なのですが…昔、動物を飼っていたことはありませんか? 」
息をのんだ。俺もさっき知ったんだ。蒼羽が知っているはずがない。
驚いた颯太さんは、おそるおそる言った。
「は、はい。昔、雑種の犬を飼ってました」
そう言い、俺にしたように説明した。何処まで見透かしているんだ、蒼羽は。
「成程。その首輪を見せていただいても? 」
立ち上がった蒼羽に、颯太さんは持ってきますと言い、棚の方へ向かう。首輪を見た蒼羽は、やっぱり…と呟いた。
「予想通りです。…驚かないで聞いてください。この部屋で起きたことは、全てこの犬の霊がしたことです」
そう言い切り、続けて言った。
「そして、近々貴方は事故に遭う可能性があります」
「じ、事故…? この事と俺が事故に遭う事がどう繋がるんですか? 」
「勾玉は、災難や病気の身代わりとしての役割があります。颯太様が付けられたのもそういう意味ででしょう」
颯太さんは首を縦に振る。
「ですが、その勾玉はまだ役割を果たしていません。そして、どうしてかは分かりませんが、そのわんちゃんが知ったのでしょう。貴方が事故に遭うことを」
「動物は敏感ですから、不思議な話ではありません。…拾ってくれた事への"恩返し"なのかもしれませんね」
蒼羽は全部見透かしていたのか。流石だな。
「そう、ですか…」
颯太さんの瞳から涙がこぼれ落ちた。
***
「今日は本当にありがとうございました」
玄関先で彼は頭を下げる。
勾玉は首輪から外して、スマホに付けるらしい。身代わりになった勾玉は割れてしまうらしいが、御守りとしては本望だろう。
俺らも頭を下げ、家に帰る。
「にしても、勾玉が身代わりか…なんか良いな」
そう呟くと蒼羽は、口元を綻ばせる。
「勾玉だけではなく、世界には色々なものがありますよ」
「みたいだな。でもまぁ、俺には蒼羽がいるから安心だ」
また人任せなと言っているのが聞こえたが、聞こえないふりをして、彼に言った。
「これからもよろしくな」
彼は返事をする代わりに、優しく微笑んだ。