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読書(したい)日記 2023/11/11

 今日は、読んだものではなく、これから読みたいものの紹介を。これから年末にかけて重要図書の販売が相次ぎます。高いよ人文書!こっちはその日暮らしだというのに、やってられないよ!(いやそのお仕事を考えたら適正価格どころか安いくらいでもあるのですが)早く人間になりたい!本を経費で買える仕事をしたい!
愚痴はさておき、出る予定順にご紹介していきますー。

①レイシャル・プロファイリング

警察による人種差別を問う
(編著)宮下萌
(出版社)大月書店
 こちらの署名も記憶にも新しい、日本におけるレイシャルプロファイリング。

 レイシャルプロファイリングとはそのまま直訳で「人種差別的な職務質問」のこと。見た目が括弧付き日本人であればスルーできるところが、執拗な職務質問を受ける。身分証明書や在留カードの提出を求められる。車の中を調べられる。下手すると何もしていないのに警察署へ連行される。
 そういうことが日本でも罷り通っていて、年々その暴力性と差別性は酷くなるばかりです。「日本でそんな事があるなんて」「でもやはり職質されるってことは挙動が怪しかったんじゃないの?」と思う人もいるかもしれませんが、それはあなたが見た目が括弧付き日本人の見た目であるから全く気づかないで「いられた」ことだと思います。
 また、「最近治安が悪いから警察が厳しくなるのも仕方ないのではないか?」と思う人もいらっしゃると思いますが、日本で起きる犯罪の大半は括弧付き日本人(くどいけど他にいい言い回しがないのですみません。いわゆる「日本人」の見た目で、日本国籍で日本語話者でとイメージしてください)によるものです。それはそうですよね。圧倒的に数が多いのだから。なのに、「最近治安が悪いから」という理由で「日本人」が威圧的な職質を受けることはそうそうありません。おかしいですよね。
 国内で起きる事件のすべてが報道されるわけではないのに、外国人や海外に(も)ルーツのある人が起こした事件は大きく報じられることも、レイシャルプロファイリングを消極的にでも肯定することになってしまう原因であるかも知れません。
 また、レイシャルプロファイリングだけでなく、最近「AIプロファイリング」「AI監視」という言葉もよく聞くようになりました。これは今や街中のあちこちにある監視カメラ、我々が持ち歩き使用するデバイスからの膨大な情報を収集・分析・予測・判断をAIに担わせるというものです。我々の行動や趣味嗜好、仕事や金銭状態、人とのやり取りなんてこちらから発信しなくても日々吸い上げられている中で、監視社会というものが完成してしまえば、今まではレイシャルプロファイリングと無縁でいられた人にも、そのアルゴリズムに何かが引っかかれば職質も家宅捜索も突然襲いかかってくるでしょう。
 そして、レイシャルプロファイリングと言えば、3年前のジョージ・フロイド氏が職質中に警官に膝で首を絞められ亡くなった事件を思い出す人も、そこから起きた #BlackLivesMatter のアクションを思い出す人も多いと思います。なぜ、あの時あの事件が起きたアメリカ国内だけでなく、世界へとアクションが広がったのか、それはあの時あの事件が起きたアメリカ国内だけの話ではなかったからだと思います。
 レイシャルプロファイリングは人種差別に端を発していて、人種差別はどこから生まれたのか?と思えば、奴隷貿易が公然と行われていた時代に遡ります。そして、あれから何度かの大きな戦争を経て、経済の凋落や発展があって、時代が進んだ今になっても尚、残っています。
 「レイシャルプロファイリング」(または、その他の人種差別的な行為)が起きた時に、目の前で起きたことに声を上げるという瞬発力が必要なこととそれはどこから生まれてどのような経緯を経てきたのか、これからどこに向かうのか、ということを長期スパンで考える胆力が必要なことの両立が必要なのだと思います。特に知らずに済んできた期間の長いある程度以上の年齢の大人には。なので、私もこちらを読んで学ぼうと思います。
 では次。

②この国(近代日本)の芸術――〈日本美術史〉を脱帝国主義化する

(編)小田原のどか・山本浩貴
(出版社)月曜社
 この書籍については、まずこちらをお読みいただくのが早いと思います。

 ①で紹介したレイシャルプロファイリングが人種差別に端を発し、人種差別自体が奴隷貿易や植民地政策と共に入植側(権力者側)がその権力をつくるために生まれた思想だよな、と思いますが、なぜかこの国ではその植民地主義が花開いたイギリスの覇権時代、アメリカの独立戦争や南北戦争などは、「外国であったこと」として世界史などで学びますが、この国の植民地政策や人種差別の歴史については、義務教育どころか高校までで教わることもなく、大学に進んで自分で選ぶか自力で書物にあたっていかないと学ぶことも出来ません。
 この本が編まれるきっかけとなった『In-Mates』(飯山由貴、2021年)検閲事件にしても、「これしきのことすら言及できないのか」と驚いたし(本作をご覧になった方にはおわかりだと思いますが、全然「差別的」ではなかったですよね。)、いい年した大人たちが「あったこと」すらモニャモニャ言って正面から向き合えないというのは深刻な事態だと思いました。そして、この国の植民地政策や差別の歴史という「あったこと」を学ぼうとする前に、「そんなものはなかった」という情報は無料で手軽に入るところに溢れすぎています。長い時間を経て歴史に新たな新事実が加わり今では「そうではなかった」ということを学びなおす、ということは時にあるけれど、「あったこと」にあたってあたって、長く研究した末に辿り着いた「そんなものはなかった」ではなく、「あったこと」に辿り着かせないために「そんなものはなかった」という門というか罠があるような感じです。
 そんなことを考えていると、この国が「あったこと」に向き合えないモニャモニャした感じは、敗戦に至る前は大日本帝国という欧米列強に追いつくために東アジアの覇権(植民地政策)を目指した国家(いやなことば)元首であった「天皇」という存在が戦後、モニャモニャした感じに棚上げされてしまったことが大きいのかなと思います。
 本来一番責任を問われなきゃいけなかった存在がモニャモニャした存在になってしまい、責任を問われるどころか、その名前を引いて論ずることすら大手メディアでは出来ない状態になっている異常さ。日本に大きな差別と禍根を残した天皇とそれを代々継いできた天皇家というものが、戸籍もなく自身の人生を自身で選択できないという被差別者でもあるという矛盾。
(このへんは網野善彦氏の著書を読むと良いと思います。)
 私はアートに詳しくはなく、体系的なことも知らないけど、好きだと思った作品やアーティストを見に行く程度には趣味と言っていいと思う。が、そんなレベルの私でも、「あいトリ」の脅迫事件で事件自体が許せないことはさておき、「アートに政治を持ち込むな」という人たちの存在に驚いたし(そういえばそもそも津田大介氏は昔、フジロックでも「音楽に政治を持ち込むな」的な叩かれ方をしてましたよね。難儀すぎる。)、『In-Mates』にしても、東京都の検閲問題の前にそもそもその作品を知るきっかけとなった国際交流基金が主催する展覧会で展示中止になったことに驚いたし(「国際」交流基金ですよ?、歴史や社会・政治を扱う作品やアーティストなんて「国際」と「交流」すればいくらでもあることを知っているはずですよね。)、ルアルンパがキュレーターを務めたドクメンタの時は随分批評も批判もあった気がするのだけど、なぜ国内のことでもおなじように言ってくれないのだろうかと思ったし、その辺のもやもやする感じも、日本で日本のことについて学べないことに繋がっていると思いました。
 読んでみなければわからないとも思いますが、冒頭に引用した編者の対談記事を読んで、アートの世界から「それおかしくね?」ということを叩きつけるものになるのだろうと思うし、期待できるものになっているだろうと思います(納得行かなかったら出さなかっただろうと思われるし)。
 では次。

③ゆさぶるカルチュラル・スタディーズ

(編著)稲垣健志
(出版社)北樹出版
 やっと辿り着いた!最後は、#ゆさカル です!!
いよいよこれで地球上で読めるケイン樹里安氏が寄稿した書籍は最後となってしまいました。カルチュラル・スタディーズと言えば、カルチュラル・タイフーン(カルチュラル・スタディーズ学会の年イチ大型シンポジウム)、毎年その時期になるとTLから3Dで飛び出してきそうなほどケイン氏が盛り上げていた姿が蘇ります。カルチュラル・スタディーズと社会学の違いがよく分かっていなかったのですが、そのあたりは先日の日記でも紹介したこちらをご参考まで。ケイン氏との出会いがなければ、こんな無学なおばちゃんがスチュアート・ホールを読んで「やべえ!」と言うことも無かったと思います。そして、この度始まったという北樹出版のメルマガの紹介文も打たれるものでした。

「カルチュラル・スタディーズが文化に先立つのではなく、文化があってはじめてカルチュラル・スタディーズがあるのだ」ということを示すために編まれた、カルチュラル・スタディーズの入門書。
執筆陣が実際に「ゆさぶられ」た12の文化を取り上げながら、流行り、揶揄され、制度化したカルチュラル・スタディーズを「ゆさぶる」ことを試みます。その余波が読者を「ゆらし」、そこからまた新たな「ゆさぶり」が生まれることを期待しながら――
初学者でも読みやすいよう、丁寧にわかりやすく、しかしラディカルさを失うことなくまとめられた、『ふれる社会学』の姉妹本。本書の第1章は、『ふれしゃか』の編者の一人、ケイン樹里安先生のご遺稿です。社会を覆う冷笑主義と、「気にせずにすむ人々」によって繰り返し生み出される大小さまざまな棘。もう諦めるしかないのか、と立ち止まってしまいそうなあなたに、まっさきに届いてほしい文章がここにあります

2023/11/10発信 北樹出版メルマガ新刊・近刊案内より

#ふれしゃか を既に読まれた方は多いと思いますが、あの本が何度読んでも面白いところに、各章の最後に付けられた「研究コトハジメ」(章ごとの著者がなぜそのテーマを選んだか、また同じテーマをこれから選ぶ学生へのアドバイスが書かれている)がありますよね。今年の夏は、「スナック社会科meets絵本のこたち」として始めた絵本のこたちさんとの共同企画で、ケイン氏の追悼ZINE「ケイン樹里安にふれる 共に踏み出す『半歩』」を第一回で、最後の編著書となった「プラットフォーム資本主義を解読する」を第二回で取り上げたこともあり、ふれしゃかを読み返してばかりいたのですが、読むたびに引っかかる章(社会の事象)が変わることや発見があり、その度に「研究コトハジメ」を読んで改めて、研究して文章に残すということがその著者の動きを伴うものとして、文章という2Dから、生き物がうごめく社会に3Dとして立ち上ってくるような感覚があります。
 それが、本書にも各章、つけられている!というだけで相当に期待大です。また、知らない著者が多いところも(業界外の人間なのですみません)新たな出会いを運んで来そうで楽しみであります。
 また、編著の稲垣健志先生は先日の日記で博士論文を取り上げましたが、この日記で紹介した①、②にも連なる全く日本も無関係ではない人種差別の歴史について、カルチャーの側から研究されている方なので、それも楽しみだし、もう今の社会の限界は「今ここ」だけの話ではなく、「今に至る過去」とその「今に至る過去」を一つの側面だけで語る限界でもあると思うので、未来を語るためにも歴史学、経済学、社会学だけでなく、社会をカルチャーの側から照射するカルチュラル・スタディーズの「入門書」がいま出ることはとても大きいことだと思います。また、ふれしゃか同様、値段が入門書価格なのも北樹出版さんの努力と意気込みを感じるところです。みんな買おうね!。

とりあえず、以上!


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