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「遊び場」の記事を振り返る(あとがきのようなもの)

以前「杉並の遊び場」で記事を書いた。自由ポータルZでは入賞し、はてなブログの公式ツイッターでも取り上げていただけた。おかげで今までなかった自信が少しはついた。

ただ、今回一番良かったのは「最後まで書き上げることができた」ことだ。それだけまとめるのが難しかった。正直調べたあとにどうまとめればいいかわからず途方に暮れて一旦あきらめたときもあった。

今回はこの記事の舞台裏を備忘録的に振り返っていきたい。

遊び場との邂逅

最初に遊び場について気づいたのは記事に書いた通り謎の空間だった。暗渠っぽい細い空間なのに何もない。その場所こそが「遊び場」との初邂逅だった。

実はこの場所、前から知ってはいた。でもそのときは「遊び場」という名前だとは気づいていなかった。よし調べてみよう。

まずは全部歩いてみよう

調べてみると数が17ヶ所とまあまあな数。でも杉並区内なので全部回ろうと思えば行ける。そこで歩いて全部回ってみようと思い立った。

歩いて最初の2か所でテンションが下がった。あまりに普通の公園だったからだ。最初の遊び場は何だったのか。でもそうなると逆にその不思議さの理由が気になる。

回っていると色々な種類があることが分かってきた。このときは「広場」「普通の公園」「謎の空間」と三種類に分けて考えていた。

調べ学習

回り終わったら調査だ。ここで『すぎなみの公園』という書籍に詳しく遊び場が載っていることがわかったので読みに行った。この本には遊び場の由来や当時(平成2年)の遊び場一覧が書いてありとても興味深かった。簡単に得られる資料はこれで全部。さてどうするか。

調べていてわかったことに、「都市計画で計画されている用地がある」「防災拠点として使われている」という点があった。そこで、東京都や杉並区の資料をあさって都市計画を全遊び場の場所調べた。防災拠点の一覧も調べて防災器具がある遊び場をリスト化した。

次にしたのは過去の遊び場の今の姿の調査だ。かつての遊び場の住所を調べて今の土地がどうなっているか調べる。これで介護施設や保育園が出てきたときは地域の裏を見ることができた気がしてとても楽しかった。

どうまとめるか

これだけ調べた。全部解けたとは言わないがだいたいのことはわかった。でもこれをどうやってまとめよう。遊び場を最初に歩き、発見をしながらも疑問点が残る。そして歴史を辿っているとだんだん謎が解けてくる。ここまでは苦労しながらも書けた。

問題はそのあとだ。普通に謎を解くのはいいが、最後の締めに持っていく流れが思いつかない。

そこで、遊び場を書くにあたり難しい点がどこにあるのか深く考えることにした。頭の中で整理すると原因が浮かんできた。難しくしているのは、遊び場の最初の設立目的である「公園の用地が足りない」というのが現代に当てはまらない点だ。そのため、どのようにまとめてもどこか現在とつながらずぼやけた終わり方になってしまう。

「今の遊び場の必要性はどこにあるんだろう」

突然浮かんできた。これだ。ここをいじればうまく書けるかもしれない。心の中でガッツポーズした。

最後の一押し

ただ現在の必要性についてはどこにも資料がない。完全に自分で考えなければいけない。杉並区に質問しようかとも思ったが、問い合わせが電話しかない。その場で調べてもらうのも微妙だ。また、ちょうどコロナが広がり始めた時期だったので手間を割かせてしまうのも気が引けた。

でも結果的にこれが良かったのかもしれない。自分で見てきたもの、読んできたもの、調べたものからピースを組み合わせていった結果、三つの理由がしっかりと出てきた。あとは書くだけ。

振り返って

なかなかの難産だった。それだけに、評価されたことはもちろんだが書きれたことがうれしかった。街の「文化」を辿ることが好きなので、今後も街歩きが楽しくなるような記事をちょこちょこ書いていきたい。

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