『夢の中では、抱きしめて』
私、あなたのことを考えると眠れなくなってしまうんです。
ミルキーホワイトの柔らかい毛布に身を包んで、
毛布の裾をぎゅっと、甘えるように掴む。
こんなふうにあなたの手を握ったら、
どんな気持ちになるんだろう。
まぶたを閉じたって、ときめきが鳴り止まない。
夜の私は、まるで羽化を待つ蝶々みたいで、
この気持ちが外の世界へ羽ばたいて、
あなたの元に届いたらいいのに、って思うけど、
私、相川小羽には、まだ飛び立つ勇気はありません。
だって、現実は残酷だから。傷つくのが、怖いから。
明るいところでは、胸の内を晒せない。
臆病な私は、今日も夜にひとり、あなたを想います。
໒꒱
その人の名前は『真波月湖(まなみつきこ)』と言って、
天上学院の三年生で、私の一つ上の先輩でした。
切れ長の目。通った鼻筋。
すらっとした細い手足と光沢のある黒髪。
品のある顔立ちなのに、
笑うとクシャッとした顔をするのがチャーミングで、
まるでドラマから飛び出してきたヒロインのように魅力的だった。
入学した時から、その存在は噂になっていて、
スポットライトの中にいる真波先輩を、
影からこっそり眺めては、その眩しさに憧れを抱いていた。
廊下ですれ違う度、鼻を擽る甘い匂いにドキドキした。
全校集会の時は、必ずその姿を探した。
学園生活の中で、彼女は私の花だった。
でも、真波先輩は同じ制服を着ている別の世界の人。
お近づきになりたいわけじゃない。
私はただ、美しいものを眺めていたいだけ。
そう、それだけで、十分のはずでした。
໒꒱
放課後、中庭の木陰でひとり佇んでいる真波先輩を見つけた。
先輩はその場にしゃがみ込むと、
手に持っていた何かを木の根本に埋め始めた。
俯きながら土を弄る背中は物憂げで。
そんな姿はじめてみたものだから、
息を殺して、一部始終を見守ってしまった。
しばらくして、立ち上がり汚れた手を軽く払いながら、
先輩は、私の方に向かって歩いてきた。
(もしかして、見つめていたの、気づかれた…?ごまかさなきゃ…!)
「あ、あの! 真波先輩、ですよね?」
「そうだけど…」
「私、二年の相川小羽って言います!
先輩のこと、ずっと綺麗な人だと思ってて。
それで、思わず見つめちゃいました…」
「そうなの? 気づかなかったな」
「……頭の中、真っ白になっちゃって……。
こうしてお話できるなんて嬉しい…入学した時から憧れていたから」
「ありがとう。でも、大した人間じゃないよ、私は」
「そんなことないです!……先輩は、神様みたいに綺麗です」
向かい合い、間近で見る真波月湖の美しさは、
私の視界を奪って光だけにしていた。
先輩は、恥ずかしそうに
「褒めすぎ」
と、私を小突く素振りをみせたが、
何を思ったのか、さっと手を引っ込めてしまった。
「…あなたの方がよっぽど綺麗。だって、まだ汚れてない」
「どういう意味ですか…?」
「ふふっ、ほら、見て? 手、汚いでしょ?」
(そうだ、私、先輩の手が汚れていることに気が付きもしないで…!)
慌てて私は、鞄の中からウェット・テッシュを取り出し、先輩の手を取った。
「ちょ、ちょっと、自分で洗うからいいよ」
「いえ、でも、ほら、もう綺麗になるので」
「後輩を顎で使ってるみたいで嫌だなあ。
……ねえ、顔赤いよ? 大丈夫?」
「だ、大丈夫です!あ、暑がりなんです、私」
「ふふっ、面白い子だね。相川小羽さん」
先輩の手にはじめて触れた時、彼女の熱が私の身体に伝播して、
それまで光だった先輩が、急激に輪郭を帯びた少女になった。
さっきまで浮ついていた気持ちが静まり返り、
私の中に『真波月湖』という人間が刻み込まれる音がした。
その音は、血が沸き立つほどの激しい鼓動で、
先輩がその場を去っても、収まることはなかった。
໒꒱
(…先輩は、一体何を埋めたんだろう…?)
高揚にほだされた私は、
考える間もなく木の下に向かい、手でそっと土を掬った。
土の隙間から見えたのは、白のバレッタだった。
ミモザが刺繍され品の良さを漂わせるバレッタは、
まだ眠りつくには早いと言わんばかりに煌めいていた。
経験の少ない私でもわかりました。
あのバレッタは、誰かから貰ったものということ、
そして、貰った相手には特別な想いを寄せていた、ということ。
໒꒱
ねえ、先輩。
私、あなたのことを考えると眠れなくなってしまうんです。
あの日から毎晩、あなたの顔が浮かびます。
どうして? 先輩のことが知りたくてたまらない。
近づけば、傷ついてしまうかもしれないのに。
交わして重ねた声と声、触れた手のひらの温度、隠した気持ち。
知ってしまったら、もう戻れません。
どうか、夢の中では、抱きしめて。
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