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『深夜三時のスケルトンラヴァー』


登場人物

・黒目(くろめ)ユノ
・頬白(ぼおじろ)スミレ

本編

『Silence Sleeping Night(サイレンス・スリーピング・ナイト)』イヤホンから叫び声のような音楽が流れる。口ずさみながら、私は歩く。

『Silence Sleeping Night』私たちが眠っても、この街は呼吸を続ける。信号の点滅。自動車の走行音。整列する街灯。繰り返し訪れる普遍的な夜を、私は歩き続ける。

 『Silence Sleeping Night』昼間、人で埋まっている道を、夜なら、歩きたいように歩ける。その感覚が好き。普段触らない鉄柱や橋の手すりに指を走らせて、気分良く、私は、ぎこちないステップを踏む。

こんな夜更けに、少女がひとりで外出するのは危ない。昔なら、そう思っていただろう。今では親の寝息を乱すことなく、扉を開ける技術を習得してしまった。

無味乾燥な日常。その中で覚えた、潤いのシュガー&スパイス。いつの間にか、夜が好きになっていた。時計の針が午前三時を示す頃、見慣れた公園に辿り着く。嗅ぎ慣れたシトラスの匂いが、風に乗って、すこし鼻をくすぐる。私は、足を止めた。

「ユノ。ちっす」

そこには、セーラー服にブルーのスカジャンを羽織った少女、スミレがいた。ブランコに揺れる、すこし大人びた顔がこちらを覗き込む。揺れる度、纏めてない長髪が月明かりに照らされて光る。

「今日は乾燥するねー。ユノ、飴でもたべる?」

スミレは、勢いをつけて「よっ」と、ブランコから飛び降りる。スカートがふわっと、広がる。イヤホンを外しながら「スミレ、みえるよ」と言うと

「大丈夫。見せパンだから」

と笑ってみせた。「そういう意味じゃないんだけど……」と言いかけたが、その前にスミレが飴を投げつけてきたので、別にいいやという気分になる。

「ユノ、音楽聴くなんて珍しいじゃん。何聴いてたの?」

「痛い」

「え?」

「飴だよ、飴。渡し方」

「ごめんごめん。高校球児のようなキャッチボールが理想だった」

「デッドボール。土拾って出直し」

「甲子園の夢、破れたり……。って、そうじゃなくて」

「スミレが教えてくれたバンドのやつ、聴いてた」

「Silence Sleeping Night?」

「うん」

「ユノがあたしの言うこと聞くなんて」

「結構、聞いてる方だと思うけど……」

「それで、どうだった?」

 琥珀色の瞳が、私の顔を覗き込む。「期待してるよ」という視線だが、リップサービスをする気はない。

「……ほんとにこれ、好きなの?」

「好きだけど……?」

「……ずっと暗い。しかも、英語で何言ってるかわからない」

「うそー、めっちゃいいのに」

「意外だった。こういうの聴くんだって」

「どんなイメージ持ってるのよ、あたしに」

「……まあ、よくわかんなかったけど、それでも、声とメロディは、なんかいい」

「そっか。少しでも良さがわかってくれたなら、許す」

 音楽なんて興味はなかった。ただ、スミレの聴いているものを聴きたかった。それだけ。……と、想い浮かぶや否や、「リップサービスしてんな。矛盾」と、自己嫌悪がちくりと胸を刺す。

「スミレはさ、これの、どこが好きなの?」

「……んーとねえ」

 スミレは少し視線を外すと、空を仰いで、カーネーションピンクの唇を開いた。


好きなもの が 好きだったもの に 変わるの

成長したみたいで 切ないね

ほんとは ただ 忘れたくなくて

しがみついているだけ なのに


「……ってとこ」

「……なにそれ? 日本語訳? というか、何の曲?」

「ナイショ」

 出会って一年。スミレについては、わからないことの方が多い。

「さあ、今日も夜の街を巡ろう」

スミレは、私の手を掴んで走り出す。導かれるように、歩幅を合わせる。彼女の勢いに振り落とされないよう。スカジャンと制服が、風になびく。はだけて見える、腰とお腹。透き通っている。これは、比喩ではない。私の瞳には、彼女の身体を貫通して、外の景色が映し出されていた。

 「……あ。見えちゃった? 向こう側」

 出会って一年。スミレについては、わからないことの方が多い。でも私は、彼女の秘密を知っている。それは、スミレの体の一部が『透明』ということだ

✴︎

『透過症』と呼ばれるその病気は、十代の少年少女を中心に流行していた。腕やお腹など、体の一部がまるでクッキーの型でくり抜かれたように、透明になる。その原因は不明。『透過症』について、巷では、新種の感染病だとか、思春期特有のストレスだとか、いやいやもっとオカルティックな現象なんだとか、日夜論争が繰り広げられている。

「透明ってだけで、身体機能に支障はないよ? 力を入れれば、お腹だってへっこむ。ほらみて。……まあ、わかんないだろうけど」

感覚はあるのだ。ただ、透けているだけ。スミレはそう言う。透過症は、話題にはなってはいるが、当人たちにとってはほぼ無害のため、世間からの対応は曖昧なままになっている。一応、病院に行けば、透過症向けの肌色クリームなどが処方されるらしいが、スミレ曰く「匂いが土っぽくて無理」だそうだ。

「ユノ、今、あんた何歳?」

「十七歳」

「へえ、年下だったんだ」

「スミレは?」

「十九歳」

「十九?」

「そう。あと一つで二十歳。大人になる」

「じゃあ、そのセーラー服って」

「コスプレ」

「なんでまたそんな格好で」

「結局、制服が一番可愛いのよ。あたしは、いつまでも可愛くいたい。これは、武装」

「スカジャンは?」

「火力アップアイテム」

「その武装とやらで、スミレは何と戦うつもり?」

「決まってる」

「世界」そう言って、彼女は笑う。

透過症についての補足をしておくと、この病気は順当に行けば、十八歳、つまり高校を卒業する年齢で自然治癒する。だがスミレは違った。今なお彼女は、透明な体と生き続けている。

「……あたしの透明化、どんどん進んでる。このままだと、きっと世界に喰われる」

「喰われる?」

「ほら、あたしの体って、穴だらけでしょ? これはきっと、世界があたしを食べた痕なの。……透明になった部分、どんな感じだったか、だんだん思い出せなくなっていく。あたしの体を世界は、勝手に奪っていくの」

冬の乾燥した冷気が、私たちを通り過ぎる。ぶるっと震える私に対し、スミレは顔色一つ変えず、スカジャンのジッパーを閉め上げた。

「あたしは、強い」

「知ってる」

「てきとーな返事」

「じゃあ、どんな言葉が欲しいの?」

「あたしが気にいるやつ」

「わがまま」

「わがままで結構。あたしはね、あたしにぴったりな言葉が欲しいもの。雑誌に載ってるコーディネートをそのまま着るなんて嫌。あたしは、この世界があたしに負けたーって言うまで、絶対降参しないから」

道路を走る赤とオレンジのテールランプが、通り過ぎていく。スミレの横顔が、光と影に繰り返し覆われる。彼女は、私とは違う場所で生きている、ひと。そんなスミレに、私の瞳は、憧れるしかなかった。

✴︎

Silence Sleeping Night。私たちは、いくつもの夜を繰り返す。スミレといる時間は昼間、行儀よく生きている時間を忘れさせてくれた。スミレと歩く街は、現実のはずなのに、まるで物語の中にいるようで、ワクワクした。ある日の夜、こんな質問をしてみた。

「……え、 好きな人?」

「うん。高校の時とか、いた?」

「あー、どうだったかな」

「その口ぶりだと、いたんだね。どんな人?」

「別にいいじゃん、そんなの」

「知りたいよ」

「どうして?」

「スミレが好きになる人、気になる」

「高校生ってやっぱりコイバナ好きなのね〜」

「スミレだってそんなに歳、変わらないでしょ?」

「変わるよ。十七歳と十九歳じゃみてる世界が違う。大人の階段に足かけてるもん」

「でも、かけてるだけでしょ?」

「うん、それでも、かけてるんだよ」

一瞬、私の瞳に、寂しそうなスミレの姿が映ったような気がした。彼女の向こう側に輝く月が、曇り空に隠れていく。スミレは私に背を向けると「特別に教えてあげるよ」とつぶやいた。

「あたしが好きになったのは、今まで一人だけ」

「好きな人、いるんだ」

「いたんだよ。……カナコさん」

「カナコ?」

「うん、あたしの好きだった人」

「……スミレ、女の人が好きなの?」

「あたしはカナコさんが好きだった。誰でもってわけじゃないよ」

無色透明の澄んだ声色で、彼女は私の知らない人の名前を呼んだ。それは、今まで聞いたことのない、特別な響きだった。

「その、カナコさんって人と、付き合ってたの?」

「まあ、そうかな。でも、別れちゃった。だいぶ前に」

「……なんか、ごめん」

「なんで?」

「軽く聞くような真似して、ごめん」

「別にいいよ。だってあたしとユノは、そういうのじゃないでしょ」

「そういうのじゃない」たしかに、そうだった。私とスミレの関係。日常の隙間に出会うだけの、私とあなた。わからないこと、知らないことがあって当然。なのに、意識に反発するように感情が溢れてくる。

「ユノ……? 泣いているの?」

「え……? あれ、どうして……」

瞳から流れる涙。おかしいな。悲しくなんてないのに。「よしよし」とスミレはあやすように抱きしめてくれた。その抱擁に安堵して……でも、安堵しきれなくて。混沌とした感情が生まれる音がする。

「……スミレ」

「なに?」

「優しさって痛いんだね」

「え?」

「……もっと、泣きたくなるから」

スミレの存在が、私の中で大きくなっていく。どんどん私は、わがままな子になっていく。自己嫌悪。でも、この時間だけは、独り占めにしたい。

✴︎

気づけば、春が顔を出し始める季節になった。夜、いつものように公園に向かうと、そこにスミレの姿はなかった。ブランコに腰をかけ、彼女が来るのを待つ。しかし約束の三時を過ぎてもスミレは現れなかった。

「……スミレ、遅いな」

「……ユノ」

「スミレ?」

近くで彼女の声がした。立ち上がってあたりを見回すが、それらしき姿はない。

「どこにいるの? 隠れてないで、でてきなよ」

「………」

「もう、そういうイタズラ、子供っぽいからやめなよ。年上らしくないよー」

声の方向から判断すると、スミレは、木を背にして話しているようだった。目を凝らせば、見慣れたスカジャンがちらりと顔を出しているような気がした。

「……ごめん、あたし、出ていけないや」

近づこうとする私を制止するように、スミレはつぶやいた。

「……今朝、起きたらさ、透過症、進んじゃってたの。あたし、前よりもっと虫食いになっちゃった。服で隠せる部分ならよかったんだけど、腕も足も顔も。いっぱい透明になったみたい」

「そんな……」

「イキってたくせに、あたし、世界に負けちゃった。ごめんね」

スミレは、消えそうな声で、敗北を告げた。

「あたしね、気付いちゃった。どうしてあたしだけ透過症が続くのか。ちょっとだけ昔話するね。……前に話した、カナコさんのこと。カナコさんはね、あたしのヒーローだった。理不尽に身体が消えていく中で、カナコさんは、新しい世界を教えてくれた人だったの」

私は黙ってスミレの声に耳を傾けた。カナコさんは、透過症で悩む子供達を対象にカウンセリングをするボランティアスタッフで、引きこもっていた自分に手を差し伸べてくれた人だったという。

「カナコさんに追いつきたくていっぱい真似をした。カナコさんのこといっぱい知ろうとした。Silence Sleeping Night。カナコさんが好きなバンドだった」

「……」

「……でもさ、カナコさん、いなくなっちゃった。突然。噂だと、カナコさんもまた心の病気で悩んでたみたい。よくいるんだって、自分と同じ境遇の人を助けようとする、みたいな」

 「……」

「……独り立ちしなきゃ、何度も言葉にしたけど、覚悟がうすっぺらくてさ。……忘れられなかったんだ。成長なんてしたくなかった。変わりたくなんかなかった。ずっと子供のまま、カナコさんと一緒にいたかった」

 強いと思っていた人が挫けてしまう。憧れだった人が泣いている。

「……これは、罰なんだよ。自分に嘘をついて、偽ってきたあたしだから。透明になって、この世界から消えるの」

濁流のようなスミレの言葉を受け止めて、私は口を開いた。

「……関係ないよ。透明になったことと、カナコさんは」

「あるよ。あたしが大人になれれば、きっと透過症はここまで進まなかった」

「スミレは、大人になれないんだね」

「無理だったみたい。……ユノ。今日で会うのやめよっか、あたしたち。不良女子高生との夜遊びは、これでおしまい。朝を迎えてお別れしよ」

彼女が求める言葉。口にすれば、後戻りは、きっとできない。それでも、冷静さを欠いている心を、抑えることはできなかった。私は木の陰からスミレの手をひき、抱きしめた。

「……私、スミレとまだ離れたくない」

「……無理にそんなこと言わなくてもいいよ」

「私がそうしたいの。スミレのわがままが、移っちゃったみたい」

「そんなの……」

「私もスミレと同じ、深夜を徘徊する不良女子高生だからさ。まだ、一緒に遊んでちゃだめかな」

「……あたし、こんな醜いんだよ? それでも?」

「醜くてもいいじゃん。それがスミレなら。私は、それでいいよ」

気持ちの行方はわからない。でも、それでも、私の手のひらは、彼女の透明なぬくもりに焦がれていた。『Silence Sleeping Night』私たちは手を繋いで、夜に消えていく。『Silence Sleeping Night』夜に消えていく。


※2019年4月初出

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