事業創出は学習可能なプロセスなのか?(239/365)
事業創出はなにも特別なことではない、誰でも学べるんだ。
という言葉に励まされる方も多いでしょう。
デザイン思考や、エフェクチュエーションを学んでいる方にもそういう期待を持たれている方は多いと思います。
私の答えは、
イエス & ノー
です。
確かに、固定観念の打破による自由な発想の方法や、無数のアイデアから有望なアイデアに絞り込む方法論は学べます。
しかし、誰しもがイノベーションに到達できると言い切ることはできないと思います。そんな打ち出の小づちはありません。きっぱり。
よく、
経営は論理とアートの掛け算
と言われます。
仮にある一瞬の市場データを精緻に捉えたとして、分析しきる頃には機会が消失しているでしょう。そもそも市場は常に動いているので不確定であることは変わりません。
つまり、限られた時間で、限られたデータから蓋然性が高いと思われる経営判断を下さなければならない。直観や経験知も駆使する必要がある。
だから、
経営は論理とアートの掛け算
と言われるわけです。
事業創出は前例がない分、不確定要因が大きいので、さらにアートの比率が高まるでしょう。
ただし、アートといっても、芸術的にという意味とは違います。むしろ、
暗黙の経験知に基づく直観
と言った方がしっくり来ます。
「熟達化研究」という分野があります。
https://www.recruit-ms.co.jp/issue/interview/0000000232/
存在する熟達者を単に天才と捉えず、どのような熟達過程をたどったか分析すれば、
熟達化を学習可能なプロセス
として定義することができるのかもしれません。
しかし容易に想像できることですが、その大半は形式知ではなく、暗黙知や身体知の積み重ねであり、そこから生まれる直観でしょうから、やはり意図的に学ぶことは極めて難しいと私は考えます。
そしてもっとも大事なことは、熟達にはある程度の時間がかかるということです。そういう意味では、
高い志をもって、挑戦と経験を継続すること
が唯一の方法論にも思えます。
一方、このようなプロセスは、100%の形式知として学習可能だと考えている人々もいます。私は賛同しかねますが、参考にご紹介します。
ビジネスフレームワークと、熟達理論についてはまた別の機会に掘り下げてみたいと思います。
今日も最後までお読みいただきありがとうございました。
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