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研究開発の費用対効果とは (193/365)

2000年代初頭、私の知るある企業の中央研究所では、トップが初めて営業出身の役員に変わり、

研究の費用対効果(ROI)

という言葉が頻繁に問われるようになりました。
その結果各部門長は、市場予測や技術の将来貢献の定量化など慣れない作業に忙殺され、一人、また一人、と去って行ったのです。

結局、とがった研究は軒並み中止となり、事業部の現業に直接貢献する、いわゆる、

委託研究

または

国家プロジェクト

に比重がおかれ、自主性が失われ、結果として中央研究所としての競争力は急速に衰退したといいます。

研究開発であっても、企業活動の一部であるから、

費用対効果

が問われるのはごく自然なことに思われます。

しかし、研究と言うのは結果が約束されたものでないし、予測可能なものでもありません。そもそも、予測可能な活動であれば、それは事業であって、研究開発ではないのではないでしょうか?

しかしこういう当たり前のことが見逃されています。

不確かな未来を予測して、選択と集中を図る

という無理難題を平気でおっしゃる。いったい誰が選択できるというのでしょうか?

さて、90年代以降、中央研究所による自前主義から、スタートアップや大学との連携を前提としたいわゆる

オープンイノベーション

が盛んになりました。最近では、

投資

の視点から、

CVC(Coorporate venture Capital)

と呼ばれる、投資専門の組織の設立がが多く見られるようになりました。

CVCはそれはそれで大きな課題をはらんでいますが、少なくとも、投資先のポートフォリオマネジメントという考え方は自然と導入されています。

つまり、1点集中ではなく、ある程度分散投資するという考え方です。これは投資の世界では常識です。なぜなら投資先の成功は予測不可能であるからです。

もちろん、専門性を含めた

デューデリジェンス

によって、ある程度有望かどうかは判断しなければなりません。その上で、ハイリスクハイリターン、ローリスクローリターンの原則から、予測成功確率に期待リターンを乗じた、いわば成功期待値でポートフォリオを管理するのです。

不思議なのは、投資の世界では常識ともいえるポートフォリオ考え方が、研究開発のマネジメントでは取り入れられていないのはなぜか?ということです。

ひとつの仮説は、社内の評価、いわばデューデリは、他社に対してのそれよりも、徹底的に行われがちということがあるかもしれません。

もうひとつの仮説は、スタートアップの投資と違って、複数の異なるアプローチを共存させ、競わせるという考え方が持ちにくいのかもしれません。

社外に優しく、社内に厳しい

という言い回しはよく聞くところです。そんなメンタリティも背景にあるのかもしれません。

この理由は、今後考察を深めていきたいと考えています。

今日も最後までお読みいただきありがとうございました。

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