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経営日記2024年2月3日ヨガ哲学イシュワラ・プラニダーナ(神への祈念)

ヤンゴンから、おはようございます。2024年2月3日土曜日です。
米国公認会計士、アパレルオーナー、ヨガインストラクターのさやかです。毎日の会社経営日記を書かせていただいています。
今朝は自宅にいて、のちほど車でヨガクラスに行きます。
今の気分は「ほっとしている」です。土日も基本的にはお仕事なのですが、それでも土曜日の停電の朝、自宅ですこしのんびりする時間がもてて、やっと落ち着きました。ずっと忙しく毎日ベッドに入るとすぐに寝落ちしています。
今週のヤマ(禁戒しないこと)・ニヤマ(勧戒すること):スワディヤーヤ自己学習 今日は遠出して行ったことのないヒンドゥ教の寺院にいきます。

本日のスケジュールは下記のとおりです。
午前  7時半~デスクワーク(本書き、メール対応、スケジューリング)
         10時~ヨガクラス参加
    12時~ランチ
午後 ヒンドゥ寺院へお参り(Pilakat寺院)
     シュエダゴンパゴダへお参り(時間があれば)
夜  自宅で過ごします

ヨガ哲学を紹介します。
ヨガはポーズの練習、エクササイズのようなものをイメージされる方が多いと思います。実際は練習や勉強を深めていけばいくほどそうではないということがわかります。
ヨガはもっと多面的に人の暮らしや人生を豊かにする指針のような役割を持っています。そのために推奨されている実践方法を紹介したいと思いますが、その一つが「ニヤマ」(勧戒・行うべきこと)です。

ヨガ哲学の八支則の中に、ヤマ・ニヤマという考え方があります。
「ヤマ」は行ってはならないこと、
「二ヤマ」は行うべきこと、を意味します。
「ニヤマ」には五項目があります。
①シャウチャ清浄
②サント―シャ知足
③タパス熱業
④スワディヤーヤ自己学習
⑤イーシュワラ・プラニダーナ神への祈念
私は毎日今日の自分のテーマをヤマ・ニヤマの10項目のうち一つを決めて実践するように心がけています。(うまくできない日もとても多いです)


⑤イーシュワラ・プラニダーナ神への祈念を紹介してみたいと思います。
「イーシュワラ・プラニダーナによって、サマディが成就する」
イーシュワラ・プラニダーナの意味は「神への祈念」日々の暮らしで実践していきましょう。
イーシュワラは「自在神」と翻訳されます。神様と訳することもあるし、森羅万象のことをも表します。自在神、自分の中に内在する神様という意味があり、この考え方の根っこには、世界全体が神様であり、その世界に自分も含まれるという思想があります。わたし自身は世界から授けられた存在であり、だから自分の中にも神様が内在していて、わたしはわたしのものではなくみんなのものと世界をとらえます。こんな意味が全部含まれた奥深い単語だと思います。
わたしなりの実践方法として、例えばわたしは母のことをイーシュワラと捉えて接するように心がけています。母からLINEメッセージが来たら、イーシュワラからメッセージが来た、と捉え丁寧に返信するように意識しています。


また、夫から「どんな行いも神様が見ていると思って、行動してください」と諭されたことがありました。森羅万象、自身を取り囲むものが神様であるなら、いつでも神様がわたしを見ています。悪い行いは慎もうと思います。先に述べたように、自分自身は世界から与えられている存在なので、自分の肉体と心ですら自分のものではなく世界全体の一部なのです。だから自分が存在することに感謝し、そして同時に世界の流れには逆らえない、思いどおりにならないこと、コントロールを手放すということなのです。
プラニダーナは「お祈りをする」という意味です。わたしの尊敬するヨガの先生が、このように解説をしてくれました。お祈りをするというのは、「希望の学校に合格したいです」とか、「彼との恋愛が成就しますように」と神頼みをするということではなくて、「わたしは大いなる世界の流れ、森羅万象に逆らうことができないということを理解していますよ」という意味で、右手と左手を合わせる。このアクションがお祈りであるというふうに説明してくれました。すごく腑に落ちました。心の中で「こうありたい、なりたい」と願う気持ちも、もちろんあって良いのですが、同時に、それは神様・世界次第ですよということも、わたしは受け入れますという態度であると思っています。
イーシュワラ・プラニダーナを英語で学んだ時にぴったりな訳語があてられていて、それにも驚きました。それは「サレンダーSurrender」という言葉でした。サレンダーというのは「降伏」という意味ですので、戦争に国家が負けた時のサレンダー(降伏)というように使われる英単語です。そうです、わたしたちは森羅万象、この世界に対して降伏をする必要があるのです。これも重要なヨガの教えです。



翻って糖尿病と共に生きるわたしたちは、自分が悪いから糖尿病になったということでは決してありません。世界の流れで、たまたまこのような状況に居るそれだけです。ですから、丸ごと今の状況を受け入れる。逆らうことができないものなのだということを静かにわかって、できる範囲のことをやっていく。この態度のことをイーシュワラ・プラニダーナは教えてくれていると思います。実に深い単語で、これからも学びが必要だと思っています。

今日もお読みいただいてありがとうございます。
それではみなさま今日も素敵な一日をお過ごしくださいね。