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力あるいは物語(2)

生きた物語がきちんと紡がれているのか、の指標となるのが、香りといっても過言ではないかもしれない。

死のベクトルにまつわる香りは、基本的に不快なものとなり、生きたベクトル側は、かぐわしいと感じるものになるからだ。

そういう意味で、香りを使った巷の技術というものも、本質的に、本来その営みが自然にどんな匂いを放つのか、を誤魔化し、挿げ替えるために発展してきたものも多い。
西洋文化は特に、肉食が中心なので、匂いを誤魔化すということがとてももとめられてきた。香水の文化も、悪臭が発生する生活習慣を変えることなく、匂いを誤魔化したいというためのもの。

そういうことなので、やたら高価で甘ったるい香り、というものは、物語がきちんと紡がれていないことの隠蔽のために用いられることが多く、ほんとうは必要がないんだよな、としみじみ思うのだ。

たまたまみつけた、「匂いの魔力」という、フランス人のアニック・ル・ゲレが書いた本を読んでいたのだが、フランスの香り文化というものはまさに、この「物語の隠蔽」、、

この中の「聖なる香り」の章で、いわゆる聖人が聖人たる所以として、物理的に、ほんとうに身体から芳香物質が発生しているんじゃないか、という話が書かれていてとても興味深い。

神秘家の生活は肉体的に大きな変化をひき起こし、血中に方向物質を発生させる原因となりうる。トランス状態に入ると、酸化率が低下することによってアルコール、エーテル、アセトンが放出され、これらが血中の赤血球の色素と合成して、植物的な香りを発生させるのである。「神秘主義的生活が、ときに代謝機能の低下、特に糖分の燃焼速度の低下をひき起こし、芳香性の物質をつくりだすということは十分に考えられる」。
つまり、精神が肉体にはたらきかけ、さまざまな現象の連鎖反応をひき起こし、それが「聖なる」芳香の生成に終結するのである。「そして究極的には、魂が体内の化学反応をコントロールして肉体との鎖のいくつかを解き放ち、自らの飛翔を助けるのである」。
精神活動が最高潮に達すると、それは肉体全体に影響を与える。肉体はもはや通常の条件を必要としなくなり、血液組織の合成はより自由に、肉体的諸条件からより切り離された状態で、より審美的に、そしてより香り高く達成される。こうして、もっともアルコール度(スピリチュアス)の高い、そしてもっとも霊的(スピリチュアル)な血液の発酵作用によってつくられる聖性の香りは、殺菌力や防腐作用に加えて、甘美さ、力強さ、持続性、たぐいまれな拡散力といった特異な性質を備えもつにいたるのである。

「匂いの魔力」香りと臭いの文化誌 アニック・ル・ゲレ P154 

この箇所は、メディカルアストロロジー的に、火星や鉄が、病と関連して取り扱われることが多いということを思い出させる記述だ。
力の世界では、磁力にあやかることは力を増大させるので、もっと鉄を増やせ、という発想になるが、生命世界的に、鉄が過剰、しかも、自分でつくりだしたものでなく、外から剽窃した鉄は、害になる、ということは、桜沢如一氏なども提唱している。
違ういい方をすれば、鉄にまつわる体内の作用は、酸素と結びつき、酸化=死のベクトル、の象徴だったりするわけで、上に引用したように、酸化率が低下することがいい香り、というのはいろいろ納得なのだ。実際、植物も、あまり日に当たらないところで育つ方が香りが強いことが多い。
(この鉄、火星のあたりの話は、うまく消化できたらまた別記事で書いていきたい。これかなり肝だと思う)。

何をいいにおいと感じるか、何を美味しいと感じるか、という感覚は、自分が力にあやかって生きたいのか、それとも自身の物語を紡ぎたいのか、というところに非常に密接にかかわる。

なので、自分が快いと思う感覚と、実際に自分が紡いでいる物語に齟齬がない生き方ができると、人は一番幸せなんだよな、としみじみ思うのだ。

匂いの魔力、の話に戻ろう。

キリスト教的社会は、聖なる香りというものを重視する一方で、禁欲に関連し、肉体を喜ばせ、情欲を刺激する、いわゆる「いい香り」「美しく見せる化粧」「装飾品を身にまとう」ということを激しく非難している。以下はテルトゥリアヌスという教父が説いた禁欲に関する箇所だ。

もしこの町に、悪臭を放つ死体を運んで通りを歩き回る男があらわれたら、嫌悪感を抱かない者が果たしているだろうか。あなたたちこそ、その男。行く先々に、ウジがわき腐乱臭を放つ死んだ魂をもち運んでいるのだ。腐肉と汚物にまみれた姿で、どうして神の教会に入り、聖なる礼拝堂に立つことができようか。イエスのこの聖なる礼拝堂へ平然とした顔で耐えがたい悪臭をまき散らしにやってくるあなたたちに、何が与えられるというのか。救い主の足に家中を芳香で満たした高貴なバルサムの香りをつけた、あの罪人の聖女[マグダラのマリアを指す]をまねることができるとでも思っているのか。実際はそのまったく逆で、あなたたちはここに来て、点にまで届く悪臭を放っているだけなのに、自分ではそれに気づきもしないのだ。

「匂いの魔力」香りと臭いの文化誌 アニック・ル・ゲレ P181

よく宗教の修行者において、禁欲がつきものだけれども、わたしはこの本を読んでますます、ただ欲はすべてNGだということに本質があるというよりも、とってつけたように快楽をくっつけて、物語をすげかえることがNG、というところに本質があるのではないかと思った。

どうでもいいが、この聖なる香りの象徴として「バルサム」という言葉が使われていたようだが、現代では殺虫剤の印象が強い、、なんともなんとも。。
殺虫剤だってほんとうは、虫がわかないような暮らしにととのえることが大事で、それはそのままで、虫だけ追い出したいってのは、
ほんと、
虫が良すぎるってわけですな(^O^)


Image by Silvia from Pixabay

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