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この世は幻影?マヤズムとマーヤ考察

こんばんは。今日は、マヤズムとマーヤ、について考察をしたいと思います。

マヤズムとは、ホメオパシーにおいて、病を作り出す土壌、と考えられています。特定の病にかかりやすい傾向や、精神的傾向を支配しており、遺伝=記憶によって引き継がれていくもの、とされており、大本の疥癬マヤズムの他、梅毒、淋病、結核、癌、最近はこれにプラスして、西洋医療の治療が原因となる医原病も、マヤズムのひとつとして扱われています。

それはそうなのですが、ホメオパシーによるアプローチにおいて、この概念って結構恣意的に用いられて腑に落ちなかったので、勝手に調べちゃいました。

マヤズムは、ミアズム(MIASM)と表記します。マヤもミアも、同じようなものです。
(日本では、欧米の音声をカタカナにするときにいろいろ表記ゆれが生じるので、あまりそこに拘らない方が良いです。余談ですが聖書の登場人物なんかも、パウロはポール、Matthewはマシューでありマタイ、Davidはデイヴィッドであり、ダビデ。ほかにもMichaelはマイケルであり、ミカエル(ミハエル)。Jacobは、ジェイコブであり、ヤコブ。)

MIASMとは、MIA主義、MIAのような流儀、MIAのような特性、傾向がある、という意味になる。古ギリシャでは「染み、汚点、着色」といった意味がある。あるいは、大きい、偉大、海、唾液 などにも絡んでくる。

マヤズムは、その人が弱った時にスイッチが入ってたちあがってきてしまうよろしくないパターン、みたいなもので、ホメオパシーではこれを静めるアプローチがなされるんですけど、これ、マドモアゼル愛先生がおっしゃっている、月の欠損の話と合わせて考えるとものすごく腑に落ちるんですよね。

月に憑かれるとき、というのは、その人が弱っているとき、ふっと「魔が差した」ときだけれども、マヤズムがたちあがるときもほぼそういう状態の時、なのです。

mayaの語源を追うと、「幻影」とか、「測定すること」「数えること」といった意味に突き当たります。これらは言い換えれば、現世的なリアルさそのもの。ヒンドゥー教では、ビシュヌの8つの化身(マツヤ、クールマ、ヴァラハ、ナラシムハ、ヴァマナ、パラシュラーマ、ラーマ、クリシュナ、ブッダ)がまさにマーヤであるとしています。ペルシャ語では、「支配者」とか「王」といった権威を示す用語ですらある。
対して、シヴァ信仰では、これを棄てたらわたしは覚醒したシヴァ神のようになれる、とされている4つのパーシャ(pasa)の1つ、とされている。この視点からすると、さっきあげられていた、「染み」や「汚点」は、あると思っているがほんとうは存在しない!ということになってくる。(まあ、肉体そのものがまるっと幻影って話になってくるんだけども)。

月を積極的に利用しよう(月に憑依されよう)という流派と、なるべく月を使わないでいようとする流派があるのにも似ていますね。

ちなみにこのパーシャは、break、intervalといった、虚無的な意味と、「結び目」「輪」「縄」なんかをイメージする2つの方向性の意味合いを兼ね備えており、まさに、粒と光で物質が成り立っている、の根源そのものとも思えてきます。

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この、手にもってるやつが、パーシャ。

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この話は、内在神信仰なのか、外在神信仰なのか、とほぼ同じような話でもあります。ほんとうは内在神信仰がいちばんベストなのですが、どうしてこれが廃れ、外在神信仰が流行りやすいかというと、実用的であり、手っ取り早いから。黒い魔法が経済社会においてどちらかというと正義の味方であるのと同じことです。

しかし、外在神信仰=マーヤーに積極的に取り憑かれる生き方をしていると、そのうち、その「虚無」な存在の使い走りと化する危険があるんですよね、、そのことを、どれだけ自分の魂が許容できるか?その戦いのひとつのあらわれが、病だとわたしは考えています。

病にかかるのは単に不摂生なだけ、とも私は考えていません。大きな戦いに挑んだからこそ、魂が成長を求めたからこその体験だったりすることも多い。

マーヤーにあやかって生きる方が基本楽なんです。だけど、そうすることで苦しむのが、自分の真我であり、魂。

上の絵みたいに、外在神は、外からわたしたちを「縛って」くれることで、わたしたちを守ってくれる。だけど、それは、わたしにとってちょうどよい加減になることは決して、ない。必ず過不足が生じる。
そのことが、人が生き生きと生きることの邪魔になるのは間違いない。

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MIAに関しては語源でおもしろいエピソードがあり、北欧で有名な“Mia” “Meyer” または “Meier”と呼ばれる古いゲームがある。これは現在でもプレイされているようで、どんなゲームかというと、サイコロを2個ふり、それが見えないようにポットに入れて次の人に渡し、数字を当てる心理ゲームみたいなやつです。
ルールについてはこのサイト
http://www.lore-and-saga.co.uk/html/dice.html
に詳しいのだけれども、このルールでおもしろいのは、「誰も信用しないのがコツである」という点と、「21」という数字が最強である、ということ。

どう最強かというのは、相手の持っているスコアを強烈に失わせることができる、陰のパワーですね。
これは、正多面体の最大数が20であり、成人式が20歳で祝われることとも大いに絡んでそうだと思うのです。つまり、マーヤーという現実感覚が全部嘘だよね、というようなルールが透けて見えるゲーム。シュールすぎです。

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