天秤座冥王星世代について (2)アオイ科が教えてくれるもうひとつのバインド
冥王星があるサインが管轄するテーマに関して、そのホロスコープを持つ人にどのような影響があるか?それは、普通の人ならば当たり前のように手に入るはずのソレが手に入らなくなる、とよく言われる。冥王星天秤座世代でいうならば、天秤座が象徴する「個人として平等に尊重されること」や、「結婚制度の恩恵を受けること」などがこれにあたる。氷河期世代は、普通の人と同じような努力を積み重ねたにもかかわらず、他の世代であれば、普通に手に入っていた社会的な安寧というものから、ことごとく無縁な世代となっている。また、結婚というテーマに関していうならば、非正規で収入が安定しない故、独身を貫く人の数がとても多い世代であることも特徴的だ。また、結婚した人々も、多くの人であれば普通に利用できるような制度に関連した恩恵といったものから孤立無援な中、がんばって生き抜いてこられた方も多い世代ではないだろうか。子どもを保育所に預けて外に働きに出ることがとても大変な世代でもあった。
当たり前が手に入らず、それらはすべて「自己責任」と断罪されてきた、天秤座冥王星世代。しかし、物事には光もあれば、影も必ずある。
しっかり影を引き受けざるを得なかった人にとって、そうでない人よりもまぶしい光を手にするというのは、陰陽の法則として当然のことである。そうやってある種の偏りをしっかり引き受けてきたことのひっくり返しが、冥王星水瓶座時代には必ず起こってくる。オセロにおいて、最後に全部反対の色にだだだだ、とひっくり返る風景をご想像頂ければ良いかもしれない。
(1)で取り上げた、ナルキッソス(水仙)のエネルギーは、NPDに象徴されるような、マッチョな力学がはびこった時代において、弱みになるエネルギーであった。しかし、星は移動し、時代は大きく変わろうとしている。
このことで、いったい何が起ころうとしているのか?
それは、「バインドの質」の転換かもしれない。
このことをとてもおもしろく象徴しているのが、やはりこの天秤座に関連する植物である。
みなさんは、ハナオクラをご存じだろうか?畑が近い暮らしをしている人であれば、農家さんが栽培しているのを見かけたり、直売所でエディブルフラワーとして花が売られている所に遭遇したことがある人もいるかもしれないが、そうでない人にとって、あまり身近に感じられない植物だと思う。
しかし、わたしたちはこの植物の恩恵を、気づかないところで日々強く受けている。
それは、お札(和紙)の製造方法である。
日本の紙幣がなぜ、あそこまで丈夫で破れず、水にも強いのか?それは、楮やミツマタといった、原料の性質というのはもちろんなのだが、それだけではない重要な鍵が、ハナオクラにあるらしい。
ハナオクラは、別名トロロアオイと呼ばれ、アオイ科の植物である。この、トロロアオイの根から取り出したエキスが、ネリと呼ばれる、和紙を漉くときに重要な役割を果たすのだ。わたしたちがお吸い物にいれたりしておなじみの、野菜のオクラもこの仲間であり、オクラのネバネバの性質と、このトロロアオイのネバネバの質はほぼ同じである。
自由研究などの紙すきごっこ遊びにおいて、入手がしにくいトロロアオイではなく、野菜のオクラのネバネバで代用しよう、という試みもあるくらいだ。
この、ネリ。いったいどんな質感なのか、実際に昔ながらの製法での紙漉きを体験してみたくても、なかなか機会がない。トロロアオイがとても手に入りにくいため、化学薬剤で代用されたりもしているようだ。
実際に紙漉きをしている人の解説によると、紙を漉くときに、大きな器に水を張って、そこにネリを溶かし、そのネリがとけてとろみがある状態に、紙の原料を溶かし込むらしい。ネリが溶け込んでいる水で紙を漉くと、パルプ成分が、きれいに均質にひろがって、どこかにぐちゃっと固まらない効果が生じるらしい。均等に分散させる力があるということだ。このことによって、ふんわりと、簀桁の上に紙の繊維が乗り、水の中で揺することによって、繊維がしっかりと絡まり合い、とても丈夫な和紙をつくることができるそうだ。
単にトロみがあれば何でもいいわけでは無い。
このトロロアオイのネリだけが、ダントツで、均質にふんわりと、繊維をゆるやかに拡散させる力があるというのがとても興味深い。しかも、漉き終わった後の和紙には、全くこのネリの成分が残らない。ベタベタするような性質ではないのである。ただ、紙の成分がふんわりする、というところだけに寄与するトロロアオイ。
これがまさに、よくあるバインドとは異なる質のバインド、という話なのだ。
澱粉糊に象徴されるような、通常のバインドは、ある存在とある存在をくっつけるとき、そこには空間がなく、べったりと密着させる。自他境界を失わせるようなやり方である。この「自他境界を失わせる」というのは、NPD特有の在り方だったりするわけで、彼らはまさに、この通常のバインドの世界で暗躍する存在というわけだ。
日本の文化でたとえるならば、水引を思い出して頂いてもよくわかると思う。あれは「ムスビ」の文化の象徴だ。結ぶという行為も、バインドの一種であるが、自他境界を失して、もう一度離そうとすると互いに傷ついてしまうような態様のバインドではない。
しっかりと固く結ばれているにもかかわらず、解こうと思えばすっと解くことができる。互いのプロセス、ストリームはきちんと存在した状態での融合、それが水引の結び方なのだ。
和紙における繊維の絡み方もまさに、水引的、ということがよくわかる。
つまり、このもうひとつの質のバインドは、空間やゆるみ=他存在との快いあわい があるからこそ強い結びつきを生じる、という不思議なからくりになっている。
天秤座は、体内の臓器でいうならば腎臓に関係がある。腎臓の機能はまさに、体内の水の循環に関連している。体内において、栄養も老廃物も、水分に溶け込んだ状態で循環している。もしここに、しっかり溶け込んだ状態が存在しえなかったら、腎臓で濾過することは不可能だ。
社会における、前者の意味でのバインド及び、それらでつくりあげられたマッチョな世界でやたら成功しまくる人や、そこからたくさん恩恵を受けた人、あるいは何もメリットを受けていなくても、無理矢理このルールへ合わせようと自分を強いた人が、腎臓に問題をかかえやすいというのも納得がいく話なのである。
エンタメの世界において、サスペンスというジャンルがある。よくよく考えてみれば、和やかなお茶の間において、当然のように毎週毎週、人が凄惨な死に方をする物語が放映され、それを喜んで視聴する、というのはなんなんだ、と考えてしまったりする。(ホリスティックな観点からのホラーやサスペンスの効果というのは、あれらがフィクションであるからこその意味があっておもしろいのだが、それを書くと脱線するのでまた今度)。
あの、「サスペンス」というカタカナ用語。実はこれがまさに、このトロロアオイのとろみ、ネリ、の風景そのもの。
医療用語に「懸濁」という言葉がある。
嚥下がむずかしい患者さんに対して、錠剤を水によく溶かした状態のものを、点滴やら、チューブなどを通してダイレクトに身体へ注入する、という医療行為のことで、そのときに、どれくらい錠剤が溶けやすいか、というのは重要な薬剤の品質のひとつだったりするわけだ。
この懸濁を英語で表記すると、サスペンション(suspension)であり、ハラハラドキドキの緊張状態をエンタメとして楽しむサスペンス(suspense)と同じというわけだ。
ぺったりと、糊でくっついた後の風景は、動きが殺されて、静まりかえって、ある種の静寂空間が生じる。山羊座冥王星時代には、「ポジティブな言葉遣いだけをしましょう、人が傷つくでしょう」みたいな啓蒙が散々大流行したが、それはただ、マッチョな在り方で得をする人々だけの偏った状態に、集団を塗り固めてしまおう、という意味でしかなかったのではないか。
天秤座冥王星世代の人々は、そこに、個人としての尊厳、自立した責任感というものを必ずもちこみ、場の空気に緊張感(サスペンション)を持ち込む側になりがちだったと思う。
そういったサスペンションを持ち込むことを、どれほどまでに忌み嫌われたこの20年だったのだろうか?
和紙が丈夫にしあがるために大事な要素。水引がしっかり結ばるために大事な要素。これらを持ち込もうとすることを、散々嘲笑され、集団でリンチされるようなことを味わい続けてきた冥王星天秤世代。
これが、冥王星が水瓶座に入ったことで、いっきに取り返す状態に突入するということなのだ。
このひとたちが、常に死守してきた、一見無駄とおもわれがちな空間。それは人とのコミュニケーションであれば、他者への敬意。分け隔ての無い態度。信田さよ子先生がいうところの「抑圧移譲」を決してやらず、自分がされても、下にやりかえさないでしっかりホールドし、連鎖を止めた人々。
この人達が守り抜いた、別の種類のバインド空間は、水瓶座に冥王星が入ったことで生じる、強烈な風のエネルギーに基づいた循環による恩恵を、しっかり受ける力に変容するというわけだ。
古い種類のバインドの世界を象徴するキーワードが、英語において「溶かす」をdissolve と表記するところにもよくあらわれている。solveは物事を解決するという単語だが、それをdisることが「溶かす」。形をもたらすことが解決であり、形を失うことは、解決を手放すことという世界観なのだ。
しかし、形に固執することで失う解決も存在する、、、
今まで、古い種類のバインドで恩恵を受けてきた側は、この風が循環する空間を、自分の物語の中に持つことができない。それを排除することで肥えてきた人々だからだ。
これらの人が、欲張って、生き方を変えないまま風の恩恵を受けようとするといったいどうなるか。
それは、天王星(水瓶座の支配星)によるクラッシュである。
天王星は、雷を司ると言われ、雷神は鳴る神=ナルカミと呼ばれる。ナル、、深いキーワードだ。
この天王星によるクラッシュは、外在的なバインドの恩恵を受けた人に対してはそう働くだろうが、内在的な意味でのバインドを、自分が社会的に不利になろうとも死守してきた人にとって、それは自立を助けてくれる力として必ず作用する。
外在的なバインドの世界の住人にとって、世界はやるかやられるか、支配か被支配か、しかないのである。だから、それを半分ゆるめる天秤座的な在り方は、弱みとしてしかとらえることができない。
しかし、仏教の世界でいうならば、そういった人々が最後に行き着くのは天王星によるクラッシュ=奈落の底へつきおとされる という結末なのだ。
他者と自分を対等に尊重するということができないならば、物語の後半では必ず、自分が100%虐げられて否定される、ということで辻褄が合うしかなくなるでしょう、という話なのである。
そういうわけで、ロスジェネ=氷河期世代=天秤座冥王星持ちの皆さん、お疲れ様でした。ここからは失ったと一見思っていたエネルギーが反転され、一気に巻き返しに入る楽しい20年になるでしょう。焦らず、地に足をつけつつ、楽しく歩みましょう!
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