夏休み

夏休みを3週間とった。

家族と合わせてとった休みではなかったので、特に予定を入れなかった。純然たる非生産的な休み、猫のように過ごした。とは言え、人間ゆえの雑用はそれなりにあって、娘にしばしば送り迎えを頼まれたり(たいていいきなり)、空っぽになってゆく冷蔵庫を満たすための買い出しなんかをしたり、庭の草木の様子を見たりしていると、日々はそれにかまけて過ぎていった。

そう、庭の鉢植えひとつひとつの様子を観察していると、大した手入れはしなくとも毎日なんやかんやちょこちょこといじる所がどこかしらにあり、あっという間に時間がすぎていく。なんでこんなに時間がかかるのか、全部で鉢いくつあんのかなと数えたら90近くあったので我ながらおどろいた。今年はけっこうセーブしたつもりでいたんだが、つもりだっただけのようだ。我慢しないでいたら100は軽く越えていたんだろう。うーんこれだから5月の太陽ハイはこわい、庭仕事してる時ちょっとラリってるんだろうな。冬越しして春に植え直す多年草と、春に買う一年草の苗に加えて、去年から種とか球根にも手を出しはじめたので、おのずと数が増えるというのはある。

この面で約70鉢。反対側にも20弱ある

まだ7月は花のピークではないので緑色ばかりだけど、ダリアがもうすぐだし、8月になればヒマワリ、グラジオラス、タチアオイ(5月蒔きなので花が遅い)が咲いてもう少し華やかになる。

キキョウ2色と黄花コスモス
更新もたもたしてたらダリアが咲き始めた。手のひらくらいでかい

鉢が増えていってしまう理由のひとつに、青い花に対する執着がある。青ってだけでつい手が出てしまう。しかしなかなか満足のいく青色の花ってあまりなくて、だいたい紫っぽいものが多い。今咲いている青い花はこれら。

デルフィニウムシネンシス ミッドナイトバタフライ
これもミッドナイトバタフライとして売られてたけど明らかに別のやつ。かわいい水色だから許す
うねうねの矢車菊

デルフィニウムは数年前からベラドンナを冬越しさせたり買い足したりしていて、シネンシスは今年初めて育ててみたが、ぱらぱらとした花のつき方が涼しげでいい。ミッドナイトバタフライは株が同じでも花穂ごとに色味が若干変わる印象があって、やはりどうしても紫っぽくなるものもあるけれど、コバルトブルーが強く出るととてもきれい。他にもこの春に買ったチョウジソウのブルーアイスという苗がふたつあるが、調子はよさげなものの開花するはずの6月を過ぎても花が咲かない。もしかすると今年はダメで、うまく冬越ししたら来年咲くのかも。朝顔は今年もヘブンリーブルーを蒔いて、窓辺にも這わせている。花が待ち遠しい。

去年のヘブンリーブルー

もうすぐ4年目になる水槽は、今年に入ってからあまり調子が良くなく、エビが全滅しアカヒレも3匹まで減ってしまった。しつこい藍藻が悪影響をおよぼしているようだったがなかなか駆除できず、ここに生体をまた新しく入れても無駄死にさせるだけだろうから、環境をよくするためにもう少しちゃんと水草を育てようと一念発起して、いくつか新しく導入してみた。魚の専門店でなく中規模チェーンのペットショップの品揃えで、さらにうちの水槽環境で育てられるものとなるとかなり限定される。世の中にはほんとうに素敵な水景のアクアリウムをこしらえる人がたくさんいるが、うちのはなんだかいつもごちゃっとしてまとまりがない。こだわるのが面倒で70点くらいで妥協してしまう。まあ、とにかく今回は水質改善が目的だから。

買った水草はすぐに水槽に入れずに別の容器で薬液を使ってトリートメントしたり水を替えながらざぶざぶ洗ったりしたのだが、それでも生き残った小ぶりのあずきくらいのスネイルがいた。

お前…
よく生き残ったな(さかさま)

スネイルは複数いると大繁殖してしまうので駆除せざるを得ないのだが、どうやら1匹だけなので生かしておくことにした。忍び込んできた奴なので名をケムマキとする。小さなケムマキは移動がものすごく速くて驚かされることがある。サバイバーであるケムマキの本気を感じる。

藍藻はほとんど見られなくなったので、しばらくしてからオトシンクルスを2匹入れてみた。いちおう苔を食べてくれる魚として認知されているのだけど、結果から言うとそんなに苔を食べてる感じはしない上に、じーっとして動かないと思いきや、急にびゅんびゅん泳いで追いかけっこし始めるので意外だった。飼ってみないと分からないことってある。ナマズっぽい見た目は個人的にはかわいいと思う。

静かな時は水草の上にたたずんでいるか
壁面にへばりついています

ある日、オトシンクルス2匹がじゃれているのが視界のはしっこに見えていたが、その動きがいつもと違う雰囲気で「もしや…まぐわってる?」と思った翌日、水草に卵が産みつけられていた。

うおお、どうしようもないピンボケ
半透明のうす緑色、きれい…

同居のアカヒレもカノコガイも産卵したことがあるが、この卵は初めて見る。だから間違いなくオトシンクルスのものなのだが、繁殖がかなり難しい魚で、ネットで調べてもちゃんと育てられた人がほとんどいなかった。ましてやうちの水槽の環境は改善中で安定にはほど遠く、何もしてあげられなかったのが残念。2日後くらいには卵はどこかに消えてなくなってしまっていた。


なんだか半径10mで世界が完結する夏休みのように見えるが、いちおう外出もした。6月の終わりにネイティブアメリカンのお祭りのPow-wowを見に行った。近所にそういう部族の人々が住む集落があり、たまたま泊まりがけで遊びに来ていた友人とその集落を散歩していたらPow-wowをやっていたのだ。

夏の光の中、老若男女が色とりどりの衣装をまとい、プリミティブなビートに合わせて舞う。Pow-wowをじっくり見るのは2回目だったが、理屈抜きに心が奪われる何かがあるのだ。なんだろう。Pow-wowで演奏される声と太鼓だけのシンプルで力強い音楽は、かなりBPM早めではあるが、日本の和太鼓を使った民謡に通ずるものがあるような気もする。ひとつの太鼓を数人が囲んで一緒に叩きながら歌う、というか叫ぶ。すごいテンションで、聞いているこちらをビリビリ震わせてくる。いわゆるMotownとかのソウルとは関係なく、魂のレベルからマグマのように噴き上げてくるという意味で本当にソウルフルだ。

Pow-wowは、年齢別のダンスコンテストの合間に、日本の盆踊りのように観客も自由に参加して輪になって踊る。子供らが踊るのを見ているのはおもしろい。5歳以下のちびっこたちが衣装を着て無秩序にわちゃわちゃと集まっている中でも、筋のいい動きをしている子はいる。ビートにちゃんとのっていて、見る人をほうっと言わせる可愛らしく魅力的な動作を時折やるのだが、それがなんとも無意識的であまり考えずにつるんと出てくる感じなのがいい。ごく自然にPow-wowのスピリットみたいなものにコネクトしているのかなと思う。

年齢が上がるにつれて、踊り手の個性がそれぞれのダンスに表れるようになる。身体的な特徴としてすごく見栄えのする人もいて、背が高いとか姿勢がいいとか、生まれ持ったものがすでに美しく、凝った衣装を身につけるとそれだけでじゅうぶんに説得力のあるオーラをかもしだしていた。一方で、ひとつひとつの振り付けで物語を綴ろうとしているような少年もいた。彼はいささかその自分のストーリーテリングに踊りが飲み込まれてしまっているきらいもあったけれど、単なる表層のかっこつけではなくて、表現を通して自分のルーツにしっかりと繋がろうとする意志を感じて感銘を受けた。

このふたりを見てそう思った

そのふたりの今のあり方はそれぞれによいと思う。でも、それぞれの踊る理由によって、彼らがいつまでどのように踊り続けるのか、それを見た人が何を感じるのかは変わってくるかもしれない。そして彼ら自身も成長していく。来年の夏に彼らがどんなダンスをしているのか、またここに戻って見届けたいと思う。


今年のFestival d’étéのラインナップは、正直言ってかなり期待外れだった。Fleet FoxesとL’Rainが来ていたが、それほど気が乗らず結局行かず。ひとつだけ見たライブはAlexandra Stréliskiというモントリオールのピアニストだった。Festival d’étéは割合にいろんなジャンルのアーティストを呼ぶフェスだが、彼女はばりばりのネオクラシックの人である。

彼女のフェイスブックより

もしゃもしゃ頭を振りつつ、デリケートでメランコリックな旋律を奏でる彼女は、テレビなどでたまに見かけるのだが、なぜか毎回ピアノの音が聴き取りにくくて、寡黙でいかにも繊細な芸術家という印象しかなかった。そんな人が、Nickelback、Offspring、Motley Crue、50 Cents、Post Maloneなんかのメンツに混ざっていたわけで、最初にそれを見た時には「え?」と思ったのが正直なところだった。どうやってあの彼女の静かなインストゥルメンタルの楽曲で2時間近い野外のステージの間を持たせるわけ?

多少の疑問を抱きつつ彼女のステージを見守ったが、結果的にすばらしいライブだったと思う。林家ペーさながらのピンクのスーツに身を包み、いくぶん緊張している様子はありつつもテンション高く登場して、いつものように儚げな曲の他にもオーケストラをバックにドラマティックな演奏を披露しつつ、時におしゃべりで観客を笑わせたりしんみりさせたりしながら会場を一体化させていった。ゲストにラッパーが2人来てポエトリーリーディングをしたりもした。大半の観客にとっては、いつものように踊ったり拳を振り上げたりするようなライブではなかったかもしれないけれど、特別な何かに立ち会っているのだという感じはあったと思う。グラストンベリーに匹敵するだだっぴろい夜の会場がしんとなり、そこにクラシック音楽が響いているというのは、今までなかったことだしこれから先もそうそうないことだろう。静謐なピアノの旋律が闇夜の平原に降り注いでいて、何万人もの人々がひっそりとそれに耳を傾けていた。で、曲が終わると、イェー!みたいないつものロックコンサートのノリで反応していておかしかった。Alexandra Stréliskiもこれまでにいくつもコンサートをやってきただろうが、この歓声は聞いたことないはず。スクリーンに映される彼女の表情はとても楽しそうで満足げだった。

スマホの光がきれい

ライブも終盤にさしかかり、彼女は「ロックスターの夢を叶えたい」とおもむろに立ち上がった。

お願い聞いて…グフフ
ウヒョーこれやりたかったのー!
ロケンロール!!

クラシックのピアニストで、自分のコンサートにおいてモッシュダイブをした人は世界中で何人いるだろうか。いないと思うな。クラシックのお客はクラウドサーフさせてあげられないんじゃないか。彼女が観衆の上をドンブラコドンブラコと運ばれていく3分ほどの間、オーケストラが粛々と低音でボイーンという音を出しててなんだかシュールだった。激しい音楽のライブでなされる熱狂的なダイブと違って、ナウシカの王蟲の草原のシーンみたいな儀式っぽい感じがあっておかしかった。おかしいけど、すごく愛らしいエネルギーにあふれた光景だった。ステージに戻り、ジャケットを脱いで歓声を浴びながら何度も頭を下げていた彼女は汗でずぶ濡れだった。

ケベックを代表するネオクラシックのアーティストのAlexandra Stréliskiを、月曜とはいえメインステージのトリに抜擢したオーガナイザーは勇気あるなあ、と思う。出演依頼を受けた彼女も然り。双方にとってけっこうな未知のリスクだったのではと思うけれど、音楽のジャンルを広くカバーする懐の深さにプラスして、外部からヘッドライナーを呼ぶだけでなく地元のアーティストを起用することの意義も感じた。翌日はどのメディアでもこのライブへの賞賛のコメントで埋まっていて、このフェス以外では見ることのできないユニークなライブだったんじゃないかなと思う。

でも総合的に見て今年はパッとしなかったよなあ…わたしだけだろうか。来年はもうちょっとわたしものっかれるようなラインナップになってくれたらうれしいんだけど。


娘はわたしの車に乗ると、有無を言わさず自分のスマホをカーステレオにつないで、自分のプレイリストをかける。もう何年もこんな感じだが、昔はわたしのかける音楽を一緒に聴いていたのだ。まあ一方的に聞かされていたという方が近いかもしれない。今はもう母親の聴くものなんて何の関心もないのだろう。わたしも特に自分の好きなものを娘に薦めたりしないし、彼女が乗ってくる時に自分の聴いているものは止めて、彼女のスマホをつながせてやる。

The Shinsの「Phantom Limb」は昔から好きな曲なのだが、少し前からわたしの中で再燃していて毎日聴いてしまう。

The Shins、いいバンドだと思うしどの曲もまあまあ好きだけど「Phantom Limb」ほどではなくて、やっぱりこの曲が異常に刺さる。理由はよく分からないけど、全体的に耳触りが良くて陽だまりのように明るいのに、メロディラインがほどよく不思議にひねってあり、そこにあのウーエウーエオーという言葉ですらないサビ(?)が来て、すごく耳に残る。James Mercerの声はクールで優しく、その声で歌われる詞が相当変わっている。心情をぐだぐだ述べずに断片的なイメージの描写が多く、よく読んでも意味をつなげられなくてなかなかに謎のままなので、歌詞解説サイトのGeniusなどで他の人の解釈をふむふむと興味深く読んだ。ファンの人の名前が入っているのはへええと思った。

車でこの曲を聴きながら娘を迎えに行った時、彼女は車に乗り込んできてもめずらしく曲を止めず、ふたりでしばらく聴いているとあのウーエウーエオーのところになった。すると娘が「ああっ、これ知ってる」と言った。確かに一時期わたしのプレイリストにこの曲が入っていたので、たぶん6、7歳ごろの娘はわたしの車に乗っているときに定期的に聴いていたことがあるはずなのだ。

幼少期の頃に聞かされていた音楽が無意識の領域にしっかり刷り込まれていることはわたし自身にも経験がある。好きでもなんでもない演歌の歌詞を全部知っていて、そらで歌えてしまうのだ。たとえば「氷雨」とか「つぐない」とか「さざんかの宿」なんかで、我ながら気味悪いなと思っていたのだが、たぶん夕飯の後に母親がテレビで見ていたNHKの歌謡ショーから覚えてしまったのだと思う。両親はあまり「ザ・ベストテン」とか「歌のトップテン」は見ないタイプだったので、いわゆる流行歌はわたしの耳にあまり入ってこなかったようで、演歌ほどは覚えていない。その中でThe Alfeeは中学に上がる前後くらいだった兄がハマり始めたので、いくらか記憶はある。わたし自身は小3くらいでWinkのファンになり、「ザ・ベストテン」にハガキを出したりなんかした。

娘の幼少期の音楽体験は、わたしのそれとは時代も国も違うのであまり比べることができないのだけど、わたしの車で耳にしていたものは少なからず記憶に残っているようだ。娘はModest Mouseの「Float On」も覚えていたし(ニワトリみたいな声、といまいましげに言われたが)「Currents」を車でよく聴いていたTame Impalaも彼女の中では母由来のものになっているらしい。多少遠慮してAphex Twinとかは聴かせていなかったのが悔やまれるが…まあでもひとりでのびのび聴きたい秘密の花園のような音楽というのもあるし、母親としての自分が幼い娘に残してやれたものとしては、The ShinsとTame Impalaはまずまずなのではないかなと思う。

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