泳ぐ、流される

Apple Musicを解禁した。

自分にとっては本当に「禁じていたものを解いた」という感じがあった。サブスクリプションに乗っかってしまうことに抵抗があったけれど、毎月Bandcamp Fridayのお買い上げ金額が財布をぎりぎりと締め上げ、正直苦しくなってきていたので、いち消費者としてはこんなに助かるものはない。いい機会なのでファミリープランを選択して、娘にもSpotifyやめてApple Music使おうよ、とお願いした。

解禁に踏み切った理由は昨年からNav Katzeが全アルバムを配信開始していたことだった。あー全部聴きたい…でも全部買えない…という葛藤を経て、サブスクによるお金の回り方をざっくりだけどもう一度調べた上で、もういいかなという結論に至った。自分の思い込みで、サブスクをむやみに悪いように捉えていた節も若干あったかもしれない。作り手の中にはフィジカルよりサブスクで聴いてもらうほうがいいという人さえいたので。

Nav Katze、実はメジャーデビューの直前に松岡英明のラジオにゲスト出演したのを聞いたことがあった。おそらく1990年の秋で、カセットに録音したオンエアを当時繰り返し聴いたからだとは思うけれど、その時にかけた曲のメロディラインと歌詞の一部 (「流れ着く白い骨」「誰のためにこの歌を歌おう」)、そしてボーカルのちょっと節回しの心もとなくなるところなど、割と今でも鮮明に記憶していた。

Apple Musicでその曲「Voices - 声」に32年ぶりに再会して、イントロのドラミングからベースとギターが流れ込んできた時、懐かしさのあまり、体の中の何かが温かくなってとろっと溶け出すような感じがした。ああ、そうそうこの声、ずっと昔に聴いた声。間奏のギターのコードのフレーズなんかも、背筋から後頭部にかけてぞわぞわが駆け上がるほど素晴らしく、髪の毛がフワッと浮き上がるような感覚におそわれた。

ラジオに出ていた彼女たちはすごく真面目で落ち着いた人たちだなと感じたのを覚えている。キャピキャピした元気な90年代当時の、いわゆる「ガールズバンド」とは一線を画すというか。異国の古い物語をベースにしているような感じのする世界観も独特だった。その真面目さゆえに、当時のまだ幼かった自分にはちょっととっつきにくい印象があったし、積極的に彼女たちの音源を買って聴くには至らなかったのだけど、高校生になってテクノの洗礼を受けた頃に、Nav Katzeがずいぶんデジタルに傾いた感じの作品を出したのはなんとなく記憶の片隅にあった。今から思えば、その真面目さはなんとなくテクノと親和性があるなあという気もしてくる。 

今になって彼女たちの出した作品を聴いていると、1994年と1996年にそれぞれAphex TwinとAutechreにリミックスされていて、日本で一番最初に海外のテクノ勢にリミックスされたバンドのひとつではないかなと思う。同じ時期にBUCK-TICKも彼らにリミックスされたらしいので、たぶんSoft Balletの藤井麻輝つながりなんだろうな…わたしは94年リリースの「Never Mind the Distortion」のUltramarineのリミックスが特に好きだ。原曲よりもボーカルのキュートな感じがひきたっていると思う。


年の初めから話題の新譜が次々とリリースされて、わたしもそれらをApple Musicでひととおり聴いてみた。好きかどうか分からないけど興味はある、という音源を気軽に聴けるのはやっぱりいい。これまでは、Youtubeで試せるものは試して、それからBandcampかiTunesで購入して聴き込む、という段階を踏んでいたので。アルバム全部じゃなくて気に入った曲だけ、みたいなケチな買い方をしたこともある。それから、Bandcampはやっぱりインディーズのアーティストが多いプラットフォームだったので、それをメインに使っていることによってメジャーな音源を聴く機会があまりなかった。それで不満はまったくなかったけれど、Apple Musicを使い始めてみて、守備範囲の圧倒的な広さを実感する。インディーズ系もメジャーどころも、同じ土俵に上がっているというか。話題の新譜を聴いてみようと思えば、何の苦労も、出費のためらいもなく聴くことができる。つくづく、世の中は変わったなあと思う。


日本のアーティストの新譜では、Mondo Grossoの「Big World」がよかった。本当にいろんなジャンルの楽曲がアルバム1枚の中につまっていて飽きない。ボーカリストが曲ごとに変わるので、その曲の物語性やカラーがはっきり粒だちするように思う。満島ひかりがボーカル、坂本龍一がピアノの「In This World」が特に好きだ。テクノの6分とか7分の曲に慣れているので、中盤のビートがかっこいい部分が短すぎて物足りないくらいで、もっと長くてもいいのに…とは思うけど、5分に満たない1曲の中でひとつのフレーズが繰り返されながら、ストリングスアレンジも入り少しずつ変化してゆき、坂本龍一のエレガントなピアノで静かにしめくくられるエンディングにしみじみ感じ入った。

日本の歌モノの「ポップミュージック」の新譜をこれだけしっかりと聴きこんだのはかなり久しぶりだった。そもそもMondo Grossoはわたしが学生の頃からの長いキャリアがあって、昔はいわゆるクラブ系と呼ばれるような音楽性だったよなあ、とは思ったけれど、このアルバムを何度も繰り返して聴いてみて、確かに変わったんだけど変わっていないというか、フォーマットとしては手の届く親しみやすいところにぽんと置いてあるけれども、そこから楽曲を遥かな高みに持っていって完成させる職人技というかスピリットというか、「志」みたいなものがはっきりあって、Mondo Grossoって以前からそうだったし、現在も同じだと感じた。そしてそれはグルーヴィーな田島貴男であったり、おもちゃ箱ひっくりかえす系のCHAIであったり、シューゲイズな齋藤飛鳥であったり、しっとりした中島美嘉であっても、その音から一貫して感じられる。このアルバムはCDで手に入れてたら、じっくりクレジット読みたかった。…わたしとしては1月に出た宇多田ヒカルの新譜よりも、このアルバムの方に心が動かされたので、ツイッターを見る限りでは宇多田ヒカルほど話題になっていないのがとても惜しい。いいと思うんだけどなあ。


それから、キュビノワというバンドがよかった。ほんとに偶然ツイッターで見かけて、なんの予備知識も先入観もないまっさらな状態で聴いたらすごく好きになってしまった。このEPはオートリピートで気がつくと何周もしていることがよくある。

わたしと同年代の人たちがやっているみたいで、それはちょっと嬉しかった。こういうオルタナとかギターポップのバンドって若者のやるものというイメージがあるように思うし、わたしの中にもそういう固定観念がどっかにあるのは認める。でもさ、Built to Spillとかだってあんな青くてエモい音出してるけどけっこうおっさんで、それでいいはずなんだよなってずっと思っていた。そして、日本のバンドでそれを感じられたのが初めてだったような気がする。しかもこれがこの人たちのデビューEPというのがまたなんかうれしかった (それぞれ皆さんキャリアは長いはずですが)。


Apple Music、とても流される危険性があるなあと使っていて思う。膨大な情報のマスと向き合って、自分がいったい何をしたいのか分からなくなりやすいような、振り回されるような。大昔はひとつひとつの音源を聴きこむ作業はもっと丁寧なものだった。容易でない音にも時間をかけて中に入り込むから、自分の中にしっかり積もってゆくものがあった。今の音楽の扱い方はもっと脊髄反射的で、かなり違うものになってしまったし、すごく求めて求めて取りこみまくった挙句に消化不良を起こして食傷気味になりやすいかも。出会う音楽の量がすごいので、1週間前に何を聴いてたか思い出せないということにもなりかねない。意図的にあえて流される楽しみもあるけれど、やっぱり自分の泳ぎ方を忘れちゃいかんなと思う。だってこれだけの出会いの機会があるというのは、ものすごい幸福なはずなんだから。

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