ただいま、さようなら

年末年始の日本での滞在が終わった。

実家にたどり着いた初日、みんなが寝静まった後も居間にひとり残り、どんなに遠くてもちゃんとここに戻ってこられるものだなと思った。

誰かと会うことや何かを見に行くために時間と場所を決めて、そういう約束がひとつずつ果たされるたびにどこかしらもの悲しい気持ちになる18日間だった。

日本にいるとなんだかいつも核心に触れすぎないように気をつけて話をしている気がする。あまり相手をびっくりさせないように、そおっと言葉を選ぶというか。単にわたしの日本語の使い方(特に会話)に脊髄反射的な素早さがなくなってしまい、会話の際に少し意識的に文章を組み立てるようになってしまったというのはあるかもしれないが。その点では話し言葉と書き言葉をひねりだす工程やスピードは近くなってきている。年齢的なことを考えても、昔よりはていねいに喋っているとは思う。そしてそれが、露骨ではない言葉や言い方を選ぶということに関係しているのかも。

でもそういうテクニックの面だけじゃなくて、日本語では頭にぽっと浮かんだことをモロに言っちゃうんじゃなくて、程よく遠回りさせながらやりとりするような感じがつきまとっていて、ほんとうに大事なことは誰にも何ひとつ正直に言わないまま帰ってきてしまったような気がする。

でもほんとうに大事なことってなんなんだ。両親に愛してるとか言えばよかったのか。それ全然ちがうよな。

親子間に行き交うものって、あったくしなさいとか、これ食べなさいとか、主成分がそういう種類のおせっかいであって、それは家族愛から来ているのは事実なのだが、だからと言って無理やり「愛してる」っていう表現にすると、すごく見立て違いで的外れな違和感しか残さない。ああいうやりとりは非言語的であってこそという部分があるなと思うし、無理やりの「愛してる」は日本や自分の家族というコンテクストに全然合わない。何でもかんでも言えば済む、言えば偉いというものではない。

コンテクストや関係性においてだけじゃなくて、そもそも自分の中に「感覚」と「言語」の乖離があるというのも、今回はいやにはっきりと感じた。身も蓋もない言い方をすれば、感じたことを感じた通りに言葉にすることは不可能ということで、それはわたし個人の問題なのかもしれないけど。「感覚」はりんごとかトマトのような生の果実で、「言葉」になった時にはジュースとかジャムとかケチャップになっているような感じだ。感覚から派生しているのだけど、言語化すると別の何かに加工されている。それに対して、ひどくがっかりして虚しい時がある。反対に面白がれる時もある。

きっと、感じることはどちらかと言えば受け身の部分が大きく、言葉を連ねることは能動的だから、そもそも行為としてベクトルが違うし別のものに変換されているのだから仕方ないのだろう。生ものは新鮮なうちにじゅうぶんに味わうべきで、その後にそれを加工するメリットはとっておくことができることだと思う。刺身と干物、それぞれの良さがある。だからnoteを書くのはジャムや干物を作るのと近い。


大学時代のサークル仲間のひとりに本当に久々に会った。たまたま帰国直前に向こうから「最近どないしてますの」と連絡が来て、まだ生きてるよ、近々帰るよ、会う?と話がトントン拍子にすすんだ。会うことを提案したのはわたしからだったが、2023年はいろいろな人が亡くなったので、生きてるうちに会っておこうとシンプルに思ったのだ。

ふたりだけで会うのは実際のところこれが初めてだった。立川の飲み屋で焼酎の水割りを飲みながら、何年かぶりのおでんを食べて、つらつらとお互いの近況を話した。お互いに歳はとっていたが、彼の人となりは変わっていなくて、向こうもわたしのことを変わっていないと言った。以前から感覚がとてもフラットな人なので、そう言われて正直ほっとした。生きていく限り変わること自体は自然なことだけど、今回はそれをあまり感じたくはなかったので、遠慮がちながら親密な空気が流れてうれしく思った。

話の流れでヴァイナルプレス工場でパートのおばちゃんをしていることを話したら「俺も本業の仕事以外に何かやりたいんだよなあ」と言っていた。パートを始めて一年以上経つが、仕事仲間とは本当に仲よくやっているし、年末にやった6人だけの忘年会は、人生における全ての忘年会のベスト3に入るくらい楽しかったのだが、ふとした時にこのパートを何のためにやっているのかと意味を深追いするとよく分からなくなることはある。そもそも他人の起こした会社を手伝っていることは自分の手柄でも何でもないというか、結局は用意してもらったシンプルな役割をこなしているだけで、対外的(履歴書に書くような意味で)にも内的(個人としての成長とか)にも、何かがどうこうなるわけでもないよなと思うことはある。彼が探している「個人的なよりどころ」と呼ぶには、わたしのパートはあまりにも他力本願な気がするのだ。しかも、純粋な趣味ではなく、やっぱり仕事だし。楽しい、好きだ、小さいが自分の居場所だと思える限りは続けていてもいいだろうと、とりあえず今は思っているけれど。

その後こだま和文のライブをふたりで見に行った。この人のトランペットほど、まっすぐで虚飾のない強さを持った音はないなと思う。ふりしぼるような歌にも、真心がこもっていた。こだまさんはガザやウクライナの情勢に心を痛めており明らかに満身創痍だったが、それでも音を奏で続けてくれること、心からありがたいと思う。苦悩を経て鳴らされるこの人の音楽は、それでも何かを信じようとする真摯な思いに満ちている。それに貫かれて、何度か涙がにじんだ。

ライブの後、駅で別れて家に帰る電車に乗っていたら彼からメッセージが届いた。

「こだまさんを見てて、でも使命はあるのかもしれないと思ったんよ。
彼は平和を願ってできることを探す、
あわのはレコードをプレスする。
ささいなことかもしれん。
けど、使命はある。たぶん。」

うん、そうかもしれないね。ささやかでも、他力本願だとしても、そこに気持ちをほの明るくするまっすぐな何かがあると感じる限りは、続けていくべきなんだろう。


能登の地震が起こった時は、娘とサンリオピューロランドにいた。揺れはまったく感じなかったが、カナダにいても日本で何かあった時に情報を素早く得るために携帯に入れてあるアプリのNERVから通知が来ていて知った。ファンシーな夢のような空間の中であまりにもむごい現実の知らせを受けたあの瞬間から、心の中に重く暗い何かがずしんと投げ込まれていて、翌日の羽田の事故もあり、のんきにお正月をめでたく過ごすような心境ではなくなってしまった。それでも、人の暮らしは続いてゆき、生きていくことのどうしようもなさを思う。


無駄に急いでしまったなと思ったことがあった。なぜあと10秒や20秒のほんのわずかな時間を取れなかったのだろう。他の誰かを待たせていたから?それでもわたしの人生において、たった10秒や20秒をケチって早く行こうとしてしまったために、その後ずっと長い間そのことに対してこんなに苦い気持ちを抱え続けてしまうのなら、その10秒や20秒の持ちうる意味を認めてゆっくりしていればよかったのだ。でもその意味はしばらく後になってから分かったことで、その場ですぐに気づくことはできなかった。

帰りの飛行機の中で泣きたい気持ちになっていた。それでも明日からいつもの生活を始めなくてはいけない。時差ぼけがゆっくり治っていくように、悲しい気持ちも日常の中で少しずつ薄れて消えていくんだろう、と思っていた。


しかし実際は普段の生活にはそうすんなりとは戻らなかった。東京から12時間かけてトロントに着き、携帯を機内モードから通常の受信に切り替えると、ショートメールがばしばし届いて自宅に帰る接続便が悪天候のためにキャンセルになったと通知が来た。エアラインが振り替えたフライトはあさってにずれこんでいた。あさって!?

しかし飛行機を降りて案内板を確認すると、canceledでなくdelayedになっている。どっちなんだ?と思い、カスタマーサービスに長々と続く列に並び、3人の従業員にたらいまわしにされた挙句、やはり遅延でなく欠航で、割り当てられたあさっての便が最速で、それより早く家に戻ることはできないと言われた。なんと。しかし悪天候なのだから、こればかりは人間がどうこうできることでもない。ホテルはとりあえず1日分のクーポンをもらい、2日目はレシートを送れば返金できると言われた。

じゃあ2日分の着替えがいるからここでスーツケース回収しなきゃ、となり、最後に対応してくれた人が「スーツケースの途中回収はあなた1人じゃ行けない所だから、わたし休憩に行きながら連れてくわよ」と言うので、制服姿の彼女の後ろを従順についていく。てきぱきとした丁寧すぎない接客がむしろ気持ちのよい人だった。次に対応してくれた貨物担当の人も、親身に粘り強くトランシーバーのやりとりを重ねてわたしたちのスーツケースを探してくれた。待っている間に少し世間話をしていて、日本に行くのは何月がいいのかと聞かれたので、4月かなと答えた。スーツケースが見つかったので、ピックアップの場所へ向かう。そこもまた職員の付き添いが必要なゾーンで、次に対応してくれた人ものんびりと感じがよく、娘のスーツケースが壊れて閉まらないのをムキになってがしがしやっていたら「ゆっくりで大丈夫だからねー」と声がけしてくれた。

日本からの帰国でトロントで冬の悪天候のために足止めを喰らうのは2回目だが、今回に関しては、日本を去った後に必要以上に感傷的になりかけていたところから目が覚めたように感じる。単純に頭を切り替えて現実的なソリューションモードに入らざるを得なかったし、それに働く人たちのこうした気さくな対応に救われたと思う。彼らはクソ真面目に仕事をしていなくて適当なことがあり、人によって言うことが違ってハズレを引くこともよくあるのだが、そういう大らかさに気が楽になるのも事実で、「ああ、こんなもんで大丈夫なんだね」みたいに感じるのだ。良くも悪くも人間くさくて、仕事場の空気がゆるい。いや、それによって最高潮にイラつくことがあるのも事実で、日本のきめ細やかできちんとした均一な接客対応が懐かしくなることはある。でも、大らかな環境で仕事をしていないと出てこないあたたかみというのがやっぱりあるような気がする。あとは英語の敬語や丁寧語も日本語ほどガチガチではなく、言葉を交わすと立場の違いはあれどお互い人だよね、という感じがして、今回の事態では不思議と心地よかった。

カナダで仕事のレベルのばらつきがありみんなが同じでないというのは、多様性が社会の中で広く受け入れられていることの証拠であると言えるのかもしれない。それは美談というよりは、むしろ半ば仕方のないこととして諦められている気もするんだけど。仕事のできない奴にイラつかされ、できる奴がそれを助け、いろんなアクセントの英語/仏語が存在していて、肌や目の色がさまざまである。なんかみんなバラバラで、それでも大丈夫で世の中が回っているのを実感できる。

日本からケベックの自宅に戻る前に、特に何のゆかりもないトロントに2泊したのは、いったん生活感のないニュートラルなゾーンに投げ込まれて、現実復帰のためにリハビリしてるみたいな感じがした。こぎれいなホテルの部屋にいる時、頭の中でこの曲が鳴っていた。わたしの場合、一生に寝ていたのは自分の子供だが。

ベッドめっちゃでかかったなあ。正方形ですらなく、あんな横に長いベッド、初めて見たかも。


日本にいた時、去った時、ホテルで待機してた時、やっと自宅に戻れた時、もっといろんなことを考えたり感じたりしていたんだけど、やっぱり忘れていく。時差ボケのせいで、不意にブラックホールのような眠気に吸い込まれて意識を無くしてしまうので、筆が追いつかなかった。忘れてしまったことの中に、書いて保存されるべきものがあったのだろうか。干物やジャムになるはずだったもの。後になってから、残しておいてよかったなと思うようなことが。それとも忘れていくことで救われてもいるのかもしれないけど。今度は自分の家の深夜の居間でソファにもたれながら、どんなに遠くてもちゃんと帰ってこれるんだなとぼんやり思っている。

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