90年代のJ-Wave

今現在40代か50代の関東地方で育った音楽好きの人なら、90年代のJ-Waveが持っていた影響力の大きさを少なからず知っているはずだと思う。

今はどうだか分からないけど、当時のJ-Waveでかかる曲はほとんど洋楽だった。シャーデーみたいなAORとかR&Bがよく流れていた。都会的で洗練されていて、音楽を聞くためのラジオといったらJ-Waveだった。開局当時は交通情報だか天気予報まで英語だったという噂さえ聞いたことがある。日本の音楽もごくたまに流れたけど、いわゆる当時の渋谷系にくくられるような洋楽志向のアーティストや、ちょっととんがった感じのものでないとまずかかることはなく、他のラジオ局にはない独自のスタンスを持っていたと思う。 

DJはナビゲーターと呼ばれ、それぞれのパーソナリティに合った番組を持っていた。90年代中期までは、まだアーティストがやってる番組がほとんどなくて、ナビゲーターがナビゲーターのプロばかりだった。いかにも大人、という声のバイリンガルが多く、ジョン・カビラとかクリス・ペプラーがJ-Waveの顔だった。ルーシー・ケントとかロバート・ハリスとかも知的でかっこよかった。

毎週日曜にクリス・ペプラーがやっていたTokio Hot 100では、その週のオンエアと都内のCDストアの売上からランキングを出していたから、リアルタイムの動向がよく分かった。基本的に大人で上質な番組がメインだったけど、J-Waveにはいろんなタイプの番組があった。ちょっと毛色の違う「お笑い枠」もあって、えのきどいちろうのClub de Tokioとかピストン西沢の平日の夕方にやっていた番組では、リスナーが電話参加するコーナーがあった。特に好きだったのは、タイトルが分からないけどメロディは覚えてる曲をリスナーが鼻歌で歌って留守電に吹きこんでたやつ。だいたいピストン西沢が答えられるんだけど、分からない時はリスナーが回答を送ったりして、あれは面白かった。番組を通した一体感の作り方がうまかった気がする。このあたりの番組は音楽よりもしゃべりの比重が大きくて、雰囲気はAMラジオのノリに近いものがあったかもしれない。


ある日、わたしはJ-Waveから聞こえてきた曲にものすごい衝撃を受けた。たぶん平日の夜にクリス・ペプラーがやっていた洋楽の新曲メインの番組だったと思う。その時わたしは高1で、今までに聞いたことがない音が聞こえてきた、と思った。それはMassive Attackの「Protection」と「Karmacoma」だった。ちょうど彼らのセカンドアルバムの「Protection」がリリースされた頃で、「異様に重くてシリアスで容赦なくやばいかっこいい音」というのが第一印象だった。その時の自分はきっと瞳孔も耳孔も開いてしまっていたと思う。

なんといっても表題曲の「Protection」でのTracey Thornのクールな声にとても強く惹かれた。なんだろう、この、無表情なのに情感のこもったなんとも言えない声は。彼女の歌声は、聞く人を圧倒するようなテクニカルにすごいものではないし、飾り気のないごくシンプルな歌いかただと思う。それなのに確かに、人の心を深く打つものがある。そして彼女の歌う言葉の語尾がのばされる時に、冬の吐息がふわっと空気に白く溶け残るような余韻があるのがたまらなく好きだ。
このアルバムを買ってこの歌の歌詞をじっくり読んだ時に、助けを必要としている弱い誰かのことを、男女の差を越えて自分が守る、という決意が静かにつづられているのにも感銘を受けた。こういう歌詞を読んだのは初めてのような気がした。ものすごくスケールの大きな愛についての歌詞というものが。そしてそれが極めて淡々と歌われることをとてもドラマチックに感じた。


Richard Burmerという人の「Across the View」という曲がある。

この曲はJ-Waveというラジオ局にとって、単なる放送開始・放送終了のステーションコールのBGMというだけでなく、かなり大事なものであるらしい。

2012年に東京タワーが電波塔としての役目を終えた最後の瞬間に流れ、スカイツリーから初めてテレビとラジオの電波が送信された時にも流れたなんて、なんだかとても遥かな感じがしてぐっとくる。
この曲、わたしのApple Musicではなぜかジャズ扱いされていて、でもどう考えてもあきらかにニューエイジだと思うのだけど、とにかく名曲なのは事実で、透明感あふれるシンセのメロディが神聖な感じすらして心が洗われるようだ。ただ、わたしはこの曲を聴くたび、真夜中の狂乱の後、朦朧とした頭で迎える午前3時のカタルシスを思い出す。

Across the ViewというのはJ-Waveのために作られた曲というだけではなく、実際に同じタイトルの番組も存在した。番組としての「Across the View」は夜中の1時から3時までのいわゆる深夜番組だったけど、あんなにぶっ飛んだラジオ番組はそれまで聞いたことがなかったし、これからももうないのではないかと思う。
ナビゲーターはモーリー・ロバートソンだった。わたしが聴き始めた当初はまだ月曜から金曜まで彼が毎日やっていたような気がするけど、その後金曜だけになってしまった。彼が公共の電波を使ってやっていたことは本当に前代未聞で、アンダーグラウンドな領域のかなり変わった人たちがゲストでやってきて話したり(海外の誰かと国際電話というのもあった)、FAX(!)やインターネット以前のパソコン通信を駆使してリスナーの声をあつめたり、奇天烈な音を鳴らすノイズミュージシャン(突然ダンボールが来たのを覚えている)がスタジオで生演奏したり。とにかく高校生の自分にとっては、この番組で耳にするものはすごく刺激的だった。こんなカオスな世界ってあるんだ、と目を開かれる思いだったし、あらゆる手段を使って情報を集め、いろんな思考の断片をがんがんぶつけてくるモーリーの放出する熱に、ラジオごしにすっかりあてられていた。

当時のモーリー・ロバートソンはたまに都内で番組関連のイベントをやっていて、一度ひとりで行ってみたことがある。会場に集まった人があちこちに円陣を組んで即興詩を読み合ったりしていた。そこには魚市場のような活気があった。わたしも勇気を出してそこに入り、いくつか詩を読んだ記憶がある。そこで知り合った何人かの人とはしばらく文通をした。大学生の男に「貞操帯をつけておいてください」とか手紙もらったことあったな…あれなんだったんだろう。まあとにかく、高校生の自分にとって、「Across the View」は未知の世界の入り口のような番組で、変人ってこんなにたくさんいるものなんだ、もっと自分を自由に、いろんな刺激にさらしていいものなのだ、と実感させられた。

だから何年か前に一時帰国した際、モーリーが民放のワイドショーに出てるのを見た時の衝撃は計り知れなかった。えーーーっ、あなたもっとアナーキーな人じゃなかったの?ネクタイ締めてお茶の間のテレビに映るなんてありえん!と勝手に憤ったりもしたけど、それだけ時間が流れたということなのでしょう。わたしだって歳をとった。ああいうことを散々やった彼だからこそ言えるような意見もあるのだろうし。

でもやっぱり、いまだにわたしがあのAcross the Viewという曲のイントロを耳にした時に感じるのは、「ああ…もう午前3時かあ…」というけだるさ、何が何だか分からない濃厚なイデアの混沌に陥れられた後に、ふっともたらされる解放や救済だったりする。深夜のハイテンションは、この曲がすうっとすべりこんでくると優しく取りおさえられておとなしくなった。モーリーはこの曲をバックに思いの丈をさんざん語った後、事務的に天気予報を読んで番組をしめた。疲れ切った午前3時の脳みそにこの曲はしみわたるようだった。あの頃の時代性とその当時の自分の感受性がシンクロした強烈な記憶は、当時の年齢を2倍にしてさらに重ねた今になっても、そうそう簡単に消えていかないものだなと思う。

「Still Life」の冒頭の曲も泣ける。

この頃のJ-Waveのおもしろさは、この時にしか作り得ないものだったかもしれない。インターネットとサブスクで音楽もエンターテインメントも好きなように消費できてしまう現在と、どちらがしあわせな時代だったかなんて考えても無意味なのは分かっているけれど。

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