百日百首(64〜70)

64日目:4月27日(火)
 三次元の形状を二次元に落とし込み、様々な断面をつくる。形状を一枚の紙の上で指し示すために最低限必要な線のみを残して、余分なものを取り除いていく。黙々と集中しているうちに日は暮れて、ほとんど口をつけていなかった缶コーヒーを飲み干して家に帰った。
 既存のシステムに対して180度反対を向いた逆張りというのは実は難しくて、既存のシステムと折衷しながらより高い次元へ歩みを進めることが重要だと僕は考えている。あまり詳しくないけど、こういうのをアウフヘーベンとか言うんじゃなかったっけ。古き良き価値には一定の価値がある一方で、その中には旧態依然としていたり価値そのものが権威化していたりする部分がある。同様に、新しいとされる価値の中には、その価値観そのものが大量消費社会にあまりに順接であったり、「既存に対するカウンターとしての価値」を作ること自体が目的化してしまっていることもあるのだろう。自分はというと、その中で揺れ動きながらやれることをやっていくしかない。

またしても何も知らない大泉洋をテレビは映し、外がほの暗い

65日目:4月28日(水)
 Clubhouseで部屋を立てて、30分ほどひとりでしゃべってみた。反応が見えないままひとりでしゃべるのはなんだかむずがゆい感じがするけど、聴いているひとがいるのが見えるとすこし話しやすくなる。まじめなひとり喋りに耐えきれずにひとを招き入れたら、聴いているひとが減ってしまった。おそらくひとがひとりで滔々と喋っているのを聴くのが好きなひとというのも一定数いるんだろう。確かに、ひとりで作業しながら音声コンテンツを楽しむ場合は、がちゃがちゃした会話よりもひとり喋りのほうが聴きたくなる。そういうときは会話における音の移り変わりによる耳への刺激は疲れてしまうからかもしれない。ポッドキャストにずっと興味を持っていて、はじめる環境をどうやって整えればいいのだろうとぼんやりと思っている。

この区画は正方形で地面から直方体が並んで伸びる

66日目:4月29日(木)
 雨。Netflixで「なぜ君は総理大臣になれないのか」(監督:大島新)を見た。いちばんぐっときたのは、二〇一七年の選挙の初日に大学の先生が応援演説に来たシーンだ。ドキュメンタリーの密着対象の小川議員は、民進党からの希望の党への合流という政局や仁義のために振り回され、一部の有権者からは「ふらふら揺れ動くやつ」という目も向けられるようになる。その彼を鼓舞する言葉に、ぐっときてしまうような構成になっている。
 夜。「ヨルムンガンド」を同居人とお酒を飲みながら見る。「BLACK RAGOON」と似たようなものと聞いていたけどほんとうにそうだったので笑ってしまった。

撃鉄の音を想像してみても彼女はビジネスに忙しい

67日目:4月30日(金)
 馴染みの飲み屋さんが、お酒は出さずスパイスカレーのみをランチ営業で提供するということで、食べにいった。料理の美味しいお店だからもちろんカレーは美味しかったけれど、もう少し辛味のある方が好みだ。出かけたついでに連休中に家で飲むためのお酒を何本か買って帰る。街を歩いているあいだ、イヤフォンをつけてラジオを聴いている。ラジオのいいところは、イヤフォンをつければ手ぶらで視界も遮られずにコンテンツを受容できるから、歩きながら聴けることだ。YouTubeやNetflixは歩きながら見るのは難しい。こういうことを考えているときに思うのは、スマート眼鏡的なもので映像コンテンツを見れたら電車でも布団でもいろいろなコンテンツを享受できるんだけどなあということだ。技術的にはできそうだけれど、安全のための仕組みづくりで苦労しそうだ。技術を開発することと、それを組み込んで製品を開発することには大きく隔たりがあるということは、自動車の自動運転が技術的にはほぼ完成しているのにまだ消費者の実用段階にないことを考えればよくわかる。ところで聴いていたラジオではよしながふみの『大奥』が紹介されていて、読んでみたくなった。

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