百日百首(50〜56)

50日目:4月13日(火)
 この日記もついに50日目に突入。折り返し地点だ。100日間も短歌と日記を書き続けるという試みには居心地のいいような悪いような不思議な感覚がある。行きつけのビール屋でクラフトビールを3本ほどと、おつまみ用のかき揚げを買って帰り、同居人とふたりで飲む。僕が飲んだのはメルボルンのブルワリー「MOON DOG」の「SPLICE of HEAVEN」というもので、パイン・ライム・アイスクリーム・IPAというジャンルらしい。ジャンル名がもはや迷走しているような気がするけれど、確かにバニラフレーバーが感じられるすこし甘いビールだった。

幾何学を重ねて疲れ切る夜のどうしてもねじ穴が錆びている

51日目:4月14日(水)
 通勤中に「アフター6ジャンクション」を聴く。映画監督のインタビューをしていて、その最新作を見てみたくなった。ラジオを聴いているとそういう情報に触れる機会が増えるのと、話を聴いているうちに見にいってみようかという気持ちになる。というより、見にいくという選択肢を自分の休みの日の行動コマンドのひとつとしてゲットすることができる。自分の行動の選択肢や可能性を広げることにいまの僕は興味がある。なのでカルチャーキュレーションのラジオはうってつけなのだ。(ただ、平日毎日三時間とかやってるので全部聴く余裕などまったくないんだけど。)アフター6ジャンクションみたいなラジオで「最近の注目歌集情報」なんてのがキュレーションされるような時代もそのうち来るんだろうか。
 『ビギナーズラック』も、あと三ヶ月もすれば刊行から一年になる。批評会もできなければトークイベントもできず、なんというか、まだ自分の歌集について人々が語っているのをぜんぜん見たことがなくて、むずむずする。(イベントという意味では蔦屋書店梅田での展示があった。あれは嬉しかった。)歌集を出版すると、当たり前のことなんだろうけれど、いろいろな隣の芝が顕在化して眩しい。目を眩ませてもしかたないことなのだけれど。(というか、僕の歌集じたい、目を眩ませる側のぜいたくなつくりだ。内容面以外の諸々が。)しかし、ここ最近いい歌集がたくさん出過ぎて読み込むのがほんとうに追いつかない。イベントができていたときはそれを目標に読んで感想を固めるなり分析するなりができたんだけど、今やそういう目標地点もないのでついつい積んでしまう。よくないなあ。

たばこ吸うような気持ちで手のひらにチョコボールあそばせる春の夜

52日目:4月15日(木)
 仕事を終えて、家まで帰るまでの間の公園で、音楽を聴きながらコンビニで買ったコロッケを食べた。ソフトボールの練習をしている風に見える親子がいて、親らしき男性がソフトボール投手風に投げるボールを子どもらしき男児がキャッチしていた。

公園で駄菓子をあげたりもらったりしていた友達に会いたいな

53日目:4月16日(金)
 ラジオを聴いていると、ラジオネームを考えたくなる。「冬の鬼」とか「アマチュアダックスフンド」とか、ラジオネームというのは人の名前っぽさがなくていい。大喜利界隈とかの名前の付け方と少し似ているのかもしれない。実際、冬の鬼さんはインターネット大喜利でも著名な方のようだ。自転車に乗りながらおもいついたラジオネームをとりあえずメモしてみたけれど、使うかどうかはわからない。しかし、ラジオにメールを投稿するためにはラジオネームだけではなくメールの内容も考えなければならない。メールするからには読まれたいけれどなかなかそうもいかないのだろう。とても難しい。

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