百日百首(78〜84)

78日目:5月11日(火)
 健康診断があった。体重や血圧が一昨年→昨年→今年とどんどん悪化していっている。心臓や血液の話を医者や看護師としていると、自分の身体が見えないシステムに支配されていることの怖さによって、息苦しくなってくる。連日眠れないのと、健康診断で血を抜かれたのもあり、体の調子が良くなかったので早退してきた。ご飯を食べてゆっくりと眠ってすこしよくなった。秋田麻早子『絵を見る技術』(朝日出版社)の冒頭を読む。ビジュアル・リテラシー、つまり絵画を観察し、読み解くための技術について書かれている。読みやすくておもしろい。この本は読書会を先輩と行う予定なので楽しみ。
 Podcast「奇奇怪怪明解辞典」の最新回を途中まで聴く。「カウンターカルチャーの繰り返しの螺旋から降りる」こと、抑圧や縛りのなかでの自在さについて、などを玉置さんが話していたのがなんだか良かった。

霧の夜もキルヒホッフの法則が機械のなかで暗く成り立つ

79日目:5月12日(水)
 引き続き「奇奇怪怪明解辞典」の続きを聴く。野球はなぜ面白いのかという話。僕が野球に対して暗い気持ちを抱かずにいられるようになったのは22歳を過ぎたころぐらいだったと思う。野球をやっているひとはワルな奴が多い、という先入観が幼い頃からの環境によって形成されてきた。そのため、野球を見ると高校生ぐらいまでのころの暗い思い出が浮かんでくるから好きではなかったんだけれど、月日が経つことでいろいろなことが許せるようになり、いろいろなことの奥行きが少しずつ見えるようになっていった。

はんぶんは幽霊はんぶん生きているみたいに立ち尽くす歩道橋

80日目:5月13日(木)
 「怪文書を書きました」「怪文書を書きたかった」などの表現をこのところ何度か見た。「怪文書」とは辞書的には「中傷的・暴露的な内容で、出所・筆者不明の文書。」(大辞林)という意味なのだけど、おそらくここでは「怪文書(のような怪しい、よくわからないけれどもなにか惹きつけられる文章)を書く/書きたい」ぐらいのニュアンスで使われているのだと推測している。個人的には、個性派を目指す大学生が「俺たちまじメンツ濃いよな笑」みたいなことを言うノリに似て見えるなあ……と思いつつ、「怪文書」という言葉をあまり躊躇なく使ってるひとのほうが多そうなので自分の気にしすぎなんだろうなと思う。
 今日は晩御飯にキーマカレー。同居人が作ってくれていたのだけれど残業で帰るのが遅くなってしまった。待たせてしまう申し訳なさを感じつつ、ビールをふたりで飲みながらカレーを食べた。

寿司という直観が頭にとびこんでくる そこから寿司は構築される

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