百日百首(92〜100)

92日目:5月26日(火)
 「リアリズムの宿」という映画をU-NEXTで見た。オフビートという言葉でこの映画が評されているのを見てなるほどなと思う。大きな山場や、わかりやすい記号や暗喩が排斥されてるようで、もそっとしたリアリティがあるような感じ。演技にも撮り方にもわざとらしさがない。ケチャップのシーンとか、うどん屋でうどんが来ないシーンとか、なんの脈絡もなければ大きく物語に回収もされない謎シーンがあっておもしろい。こういう奇妙なシーンが、時間の断続性を連続性へと変質させて、映画の時間軸を保つような気がする。よくよく読み解けば連関を見出してそのシーンに意味づけすることは可能なのだと思うけど、今まで見てきた映画のようにシーンが意味として使役されるということがあまりない映画だと僕は感じた。いや、でももしかして意味として使役されていない謎のシーンこそ暗喩として読み解くべきなのかもしれない。この辺りは映画に詳しいひとに教えてもらいたい。
夜は「大豆田とわ子と三人の元夫」を見ながら一本だけビールを飲んだ。2時間かけてゆっくりと500mlのビールを飲む。一本だけだと決めているとそれを大事にゆっくり飲むので結果的に酔わないままけっこう満足する。毎日1リットルとかそれ以上のビールや酎ハイを飲んでいた日々のことをなんだか信じられなくなる。僕はお酒自体はもちろん、酔うことも好きだが、酔うために飲むのはよくないことなんだと今まさに気づきはじめている。持続可能な飲酒のために、今目の前の飲酒をしないということ。まさに、酒を飲まないことによって将来飲める酒を増やしているところなのだ。

わりとしずかなシーンで一時停止してすこし考えてメールを返す

93日目:5月27日(水)
 飲み友達の先輩から、「彼女と別れた」とメッセージがきた。その先輩とは大学時代からの付き合いで今もよく一緒に飲むのだけど、(元)パートナーの方もよく飲み会でご一緒したのでけっこうびっくりした。もう昔のように一緒にお酒を飲む機会がないのかもしれないと思うとさびしい。
 仕事を終えて、ご飯を食べてドライゼロを飲んだ。ぼんやりとしながらラジオを聞いて、パズルゲームをして、YouTubeを見ていたら12時を回っていた。

植え込みが雨をはじいてふるえてる なるべく死なないように生きとく

94日目:5月27日(木)
 阪神とロッテの試合をなんとなく見ていた。野球を見ててきとうに一喜一憂するのはたのしい。継続的に阪神の試合を見ているとすこしずつ阪神を応援したくなる気持ちがわいてくる。このようにして地方の人間は地方球団を愛するようになるんだろう。
 地方の話で考えたいのは、僕は大阪在住だが、大阪市在住ではないということだ。当たり前のことだけれど、大阪市内に住むほうが(場所によるけど)便利だ。南大阪から最も近い大阪市の繁華街は天王寺になるわけだけれども、北摂育ちの僕はやっぱり梅田の方が性に合う。(というか、繁華街のでかさとしては梅田の方が圧倒的に規模が大きいのでその分自分に合う場所を探しやすいだけなんだと思う。)緊急事態宣言のなかで、梅田にも難波にも2ヶ月ぐらい行ってないような気がする。天王寺には先日スタンダードブックストアに行ったきりだ。電車を使う生活をしなければ、どんどん電車から遠ざかる、すなわち都市的な部分から遠ざかる。職場と家を往復し、動画配信サービスを見て、本を読んで眠る。楽しくないわけではないけれど、僕はもっといろいろな風景を見たり街を歩いたりしたいなとおもう。

折り畳みだから見えないけどたぶんリュックがはみ出して濡れている

95日目:5月28日(金)
 残業して帰って、野球を見た。佐藤輝明が3本ホームランを打ってたのしい。夜に先輩たちとオンラインで少し話す。歌会をどうやるべきかという話をふわっとしたり、キャラクター消費の話も少し出たりした。もっとちゃんと色々読みまくらないとだめだよ、と(直接的ではないが)言われる経験は大事だ。もっと短歌を磨いていきたいなと思う。

夏が心を壊してしまうその前に心は風景と入れ替わる

96日目:5月29日(土)
 本を読む一日。kaze no tanbunシリーズの『移動図書館の子供たち』(西崎憲編、柏書房)をちょっとだけ読んだ。宮内悠介のやつがなんだかよかった。麻雀の役を衝動的に言いたくなってしまう癖というか症状のあるひとの話。
 中村明珍の『ダンス・イン・ザ・ファーム 周防大島で坊主と農家と他いろいろ』(ミシマ社)を完読。銀杏BOYZの元ギタリストが、バンドを辞めて瀬戸内海の周防大島に移り住み、暮らしをつくりあげていくなかのエッセイ。時系列が順不同で行きつ戻りつして若干こんがらがったけれど、面白かった。ぼくは農学部卒だけれど農業未経験なので、実際に就農している方を純粋にすごいなと思う。農業の在り方に外野からとやかく言うのは非常に簡単だ。たとえば、「農薬は人体や生態系に悪影響だから有機農法を促進するべきだ」という話とか、あるいは「現行の畜産業は動物福祉の観点から好ましいものではない」という話とか。(後者はヴィーガニズムの根幹を支えるものでもある。)食料安全保障の問題と、アニマルウェルフェア/アニマルライツの問題(日本ではこの二つを同じ団体が担っているために上手いこと話が進まないという記事を読んだことがある)、持続可能な農業の在り方の問題(畜産業が環境に与える負荷は大きい。二酸化炭素の放出と、水の使用。)など、様々な観点からの語りしろがあるのが農業というおもしろいコンテンツだ。もちろん、日本の中においては農村の過疎化・人手不足とか、地方再生とかの話もある。そういういろいろないろいろを背負いながら現場の農家は、ただ目の前の作物(あるいは家畜)と向き合っているわけで、そこに僕はリスペクトがある。ひとつひとつのローカルな農家の営みの積み上がりで、ひとつひとつの食べ物が出来ている。陳腐な言い方かもしれないがそこに小さな感動がある。

摘果・摘心・やがてひかりを浴びながら糖度を増してゆく梨のこと

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