日記(フライング・バットレスの奇跡)

年が明けて、相変わらずお酒を飲んで過ごしている。

最近読んだ本。中谷礼仁『実況 西洋比較建築史講義』(インスクリプト)。

https://www.amazon.co.jp/dp/4900997838/

ゴシック様式の解説でノートルダム大聖堂のフライング・バットレスが出てくるところあたりがすごくおもしろい。フライング・バットレスは、梁が建物の外に飛び出すような構造。ノートルダム聖堂でググるとわかるとおもう。

ここで大変重要なのは、フライング・バットレスは建物内部に入るとまったく見えないことです。想像してみてください。フライング・バットレスの存在と役割を知らずに教会内部に足を踏み入れた人々は、何を感じるでしょうか。それは決して成立しないはずの華奢な構造によって、現に成立している空間に包まれたという実感です。それはまさに神の力によって生み出された、奇跡の空間と感じるでしょう。
いま、「奇跡の空間」と言いましたが、これは「奇跡のような空間」ではないことに注意すべきです。本来、中で完結するはずの構造部材を外に追い出したことによって、内部空間からうかがえる構造負担部分を極端に減らしたわけです。つまり建築構造全体としては真実なのですが、しかし、内部空間に見出される情報だけでは構造全体は見えません。このギャップを意図的につくり出したことによって、奇跡の空間が生まれるのです。これは現代の建築においても十分成り立つ、美と構築技術との関係の本質です。

ざっくりと、ゴシックというのは初期キリスト教のバシリカ式→ロマネスク→ゴシックと拡張していったもの。バシリカ式は西ローマで広まっていた柱梁架構の様式で、ゴシック建築ではそれを垂直方向にぐんと拡張し、内部の構造も複雑になっていったんですが、当然強度的な臨界点がくる。そのときどうしたかというと、補強構造を建物の外に出してしまうことで、建物の内部から見ると、補強が疎でありながらでかい空間が作れるようになった。まさにブレイクスルーだったんでしょうね。こういう建物が生まれたきっかけも、都市化によりマスのための聖堂をつくる必要があった、というのもあるんだけど、建築史を見ていくと、時代によって建築に要請される形が変わっていき、それに伴い技術が発達していくのがなんともおもしろいなと思う。

これの続きとして、同じ著者の『実況 近代建築史講義』もあるので、そちらも読み進めたい。

歌集や短歌関連のトピックについては全然追えていない。総合誌購読でもすればいいんだろうけれど、置き場所がなくなっていくから踏み切れない。電子版は読まないしなあ。ねむらない樹の次のやつは買わなくちゃなとおもっている。

緊急事態宣言が出る。馴染みのお店はランチとテイクアウトを始めるみたいなので、潰れないよう祈りながらそのうち訪ねようと思っている。

最近はゲームをしたりアニメを見たり妻と他愛もない話(今日は「杉田かおるがYouTubeでEM菌を推進している」という謎事実を教えてくれてめっちゃ笑った)をしながら日々を過ごしている。FGOを妻の指南を受けながら進めて、SHIROBAKOを妻に解説されながら見る。一緒に楽しむことは一緒に楽しむし、ひとりで楽しむことはひとりで楽しむ。ふたり暮らしをするうえでのとてもシンプルなメソッドかもしれない。
思えば、僕が強烈に見たいと思う映画やアニメというのはないなとおもう。いつも勧められて一緒に見るか、連れられて一緒に見に行くかだ。もう少し知識をつけて、主体的にコンテンツを楽しまなくちゃなあ。

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