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耳を澄まして - 映画『寝ても覚めても』短評

 ヒロインの朝子は、どちらかといえば内向的で、口数も多くはない女性である。しかし、彼女は常に周囲の空気を感じ取り、周りの人々の話す言葉にも耳を澄ましている。監督である濱口竜介は、撮影が始まる前の段階で、俳優同士が役になりきった状態でお互いにインタビューをし合うというワークショップを行っている。これは前作の『ハッピーアワー』の制作時にも同様に、人に話を聞きに行くというワークショップを行っているが、この「聞く」という行為が、朝子というキャラクターの形成に非常に大きな特徴をもたらしている。冒頭にある牛腸茂雄の写真展にて、朝子の後ろを通り過ぎる麦が「クラリネットこわしちゃった」を鼻歌で歌っているのを、朝子だけは聞いている。その後のエスカレーターでの移動時にも同様に、微かにしか耳に響いてこないその鼻歌を聞いているのだ。序盤にある焼く肉屋での会話場面では、話している人物よりも、その話を聞いている朝子の表情を捉えたショットが多く、一見すると何気ない会話に見えて、そのシークエンスの中心にいる主体は朝子であるという構造だ。

 彼女を演じる唐田えりは、モデル出身で演技経験の少ない女優である。しかし彼女は、「何も考えなくていいから、相手のお芝居をちゃんと見て、聞いてください」という濱口監督からの助言を頼りに、周囲の芝居によって、自分の存在が浮かび上がり、その芝居が成立しているような、自然な演技を見せている。

 朝子を演じる唐田えりは、モデル出身の演技経験の少ない女優である。しかし彼女は、演技に関して現場での苦労はそれほど感じることはなく、「何も考えなくていいから、相手のお芝居をちゃんと見て、聞いてください」という濱口監督からの助言を頼りに、周囲の芝居に反応して、自身のなかから湧き上がるものを発露するような、そうした自然な演技を見せている。
 この映画には、恋愛映画にありがちな、自分の思いを伝えようとして、もがき苦心するといったヒロインの姿はない。発話しようするよりも、「聞く」という行為に重きが置かれている。それは、人の話を聞くのはもちろんのこと、周囲の声にも耳を傾け、その空気を察知することでもある。「聞く」とは受動的ではなく、能動的な行為なのだ。


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