見出し画像

淡路島アウトドア施設経営日記♯3〜一期一会〜

私は南あわじ市にあるアウトドア施設を仲間と営んでいる。

そして、今日はその施設での宿直当番という事で施設で夜を過ごしている。
9月といえど、広い敷地を行ったり来たりしながらBBQやキャンプの準備を行っていると汗だくになり、いい運動ができた。

毎日ブログを書くと決めているものの、今日は書くことが思いつかない!の極みだ。そこで、キャンプに来ていた大学生と会話することで何かヒントを得る事にした。(お客さんにしたら迷惑な話である。笑)

地元の同級生3人組は、今では高知と長野、そして地元の大阪と住む場所がバラバラなのだという。

20歳の大学生はどんな事を考えているのかに興味があったが、彼女たちが常人ではない事はすぐにわかった。笑
知的で論理的で物事の捉え方に俯瞰性を感じたのだ。どんな20年間を過ごせばこのような思考回路になるのかを聞きたくなった。

キャピキャピした恋愛話などはなく、「なぜ恋人という存在が必要なのか?」という真理に迫るような話で盛り上がる。「親以外の自分を肯定してくれる存在が欲しいから彼氏が欲しい」という話もあった。
働く事に関しても「お金を稼ぐための手段で人生とは残りの余暇」といった意見や、「地元が好きすぎて地元になりたいから市役所で働きたい」などの答えが返ってくる。

3人の内一人は大学生らしさもあり、「モテる仕草」をレクチャーしてくれた。
彼女の恋愛話は、2人の哲学者のそれと違って安心させてくれるものだった。笑
それでも、養子に対してや将来の自分の家族についてはっきりとした意見を持っていてしっかりしている印象を受けた。

こういった類の話は好きなので面白かった。そしてこの様に深く考えるという行為は年齢からくるものではないのだと教えてもらった。私もどちらかといえば考えるタイプだが、この特性は「個性的な発想を生み出す」というポジティブな側面と、「考えすぎて普通に生きにくくなる」というネガティブな側面があると思っている。(あくまで経験論)

私の友人も賢い人ほど真理に迫った思考をする事が多く、度が過ぎると世間で言うひねくれ者や天邪鬼扱いを受けている人もいる。しかし、この「考える」という事を放棄した人からは魅力を感じないものだ。

知識量に関わらず、今の世の中に対して意見がない人より、意見がある人と話したい。一つの事業にしても、自分の住んでいる街にしても考えて意見が生まれるから進化があると思っている。

普通の20歳の実態に迫る事には失敗したが、これはこれで想像し得なかった新しい学びを提供してもらった。彼女たちのように知性と意見を持ち合わせた若者がどうなっていくのか楽しみだ。

キャンプ場で起きる一期一会はいい時もあれば嫌な思いをすることもある。しかし今回は明らかな前者だった。ありがとうみんな。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?