田舎の牛丼屋に見る〜変わらない為に変わる事〜
私の住む淡路島は「御食国」と言われ、食材の宝庫だ。玉ねぎが有名だが美味しい野菜も多く、淡路牛などの肉や海の幸にも恵まれている。その辺に出回っているものでも、都会では高価で取引されているものばかりだ。
お裾分けなどで何気なくもらったものが、高級食材なんてこともザラにある。私は素晴らしく食に囲まれて生活している幸せ者なのだ。
そんな私には好きな食べ物がある。
それは牛丼だ。
淡路島ではちょっとした飲食店でもこだわりの物が出てきてもちろん美味しい。しかし超庶民の舌を持っている私は、東京時代に日頃から食べていたチェーン店が恋しくなるのだ。
中でも牛丼は格別で、先日久しぶりに食べた時には感動すら覚えた。東京へ帰省した時にまず食べたくなるものもチェーン店なのだ。
私が住んでいる南あわじ市には「吉野家」がある。家から車で25分ほどの立地だ。車で25分は正直遠い。しかし、モチベーションは距離を超える。大好きなあの子に会えるなら睡眠時間も惜しまずどこまでも行く。そんなテンションだ。
このブログを書いている今もまさに吉野家に向かっている。23時に牛丼。懐かしい感覚を覚える。
淡路島の人は舌が肥えていて食事にはうるさい。しかし、新しい物好きでチェーン店が進出してくる噂が出ると浮き足立つ。ローソンが進出した時は、からあげクンを食べたことある人からヒエラルキーが上がったのだとか(真偽はわからないが)。
ここからは真面目な話だ。
地域元来の良さと便利で低価格なチェーン店の折り合いは考えさせられる課題だ。特徴的なのは大型スーパーで、商店街より低価格でなんでも揃うとなったら人はそっちに足を運ぶ様になる。
それの良し悪しではなく、事実なんだとイオンに行ってもシャッター商店街に行っても感じる。ダーウィンの進化論ではないが変化が必要なのだ。商店街という形態も進化した形な訳で、需要がなくなったものを守ることが全て正しいことだとは思わない(もちろんうまくいっている商店街もある)。
色々と書いてきたが、結局私は田舎ならではの風景が大好きだ。都会化が進みどこの地域も変わらない景色になっていくことは嫌だ。しかし、変化なくして今の姿を守ることはできない。
守るために変化をしていかなければいけないのだと思う。そして、東京から移住してきた自分だからこそ感じること、見えている世界がある。私が大好きな淡路島の今ある魅力を残していくための変化を起こして行きたい。
さあ、吉野家は目の前だ。
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