見出し画像

絶句

人に面と向かって暴言を吐かれたことがない。唯一思い出せるのは、祖母に手を引かれて広い道路の片側を歩いていたときの記憶。たぶん、小学生にもなっていなかったと思う。川のそばで、空は気持ちよく晴れていた道の途中、反対側にいた小学生男子の集団の中のひとりが、私を一瞥して「外国人だ。気持ち悪りぃ」と叫びながら走っていった。心地よい風が吹く午後だった。

きっとこれから、なんどもこんなことがあるのだろうと、私は迎えに来た車の中でめそめそ泣きながら考えていたのだが、大人になっても、それ以来そういうことは起きなかった。

中学生のとき、お調子者の関山君が投げた消しゴムのカスが私の頬を掠めた。わざとではないのは解っていたが、騒がしさに苛立っていた私は関山君のほうを振り返ってギロリと睨んでしまった。関山君は車に轢かれかけたような驚いた顔をして、私に「ごめんなさい」と言った。

授業が終わって教室を出ると、廊下の隅には男子生徒が固まっており、その中心にはおびえた目をして縮こまった関山君がいた。私が前を通り過ぎると、関山君を囲む男子はまるでイワシの群れのようにぎゅっと固まり、私の視線から関山君を守ろうとした。きっと、私の目には父によく似た殺意が宿っていたのだろう。そのあまりの怯えようを見て申し訳なくなった私は、人に接するときはなるべく温和に、物腰柔らかく接するよう努めるようになった。

たぶん私は真顔で立っているだけで怖い。威圧的な恐怖というより、それは見慣れないものに遭遇した時の警戒である。そんなものが睨みをきかせてふてぶてしく歩こうものなら友好的な交流の機会は減り、私にもとってもきっと良いことはないだろう。私はできるだけ、機嫌が良さそうに歩いて、申し訳なさそうに人に話しかける。間が持たないとヘラヘラと笑う癖もある。

それでも私は面と向かって馬鹿にされたことがない。馬鹿にされたことが解っていないこともあるかもしれないが、それはそれでおめでたく、精神的には悪くない。私は自分の知らないうちに、気安く侮辱することを許さない佇まいのようなものを手に入れたのだと思う。人ごみの中でも、私に突進してくる“ぶつかりおじさん”なる男はいない。

「女はなめられる」とあちこちで聞く。ネットにも信じられないような酷い話が溢れているが、周りがそういう話をするとき、いつも私は少し遠くで話を聞いているような感覚になる。“女”である前に“異物”として生きていた私にとって、この「女の生きづらさ」というものは、どうもいまいち感触がつかめないまま、ここまで来てしまったもののような気がしている。

ここから先は

1,141字

「もっと知りたい。こんなとき、貴方になんと伝えようか。もっと聞きたい。貴方はなんて言ってくれるの。」 月2回更新します。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?