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美しい日


人生は美しい。

この10年間で何度かそう感じる瞬間があった。

それがいつだったかは覚えていないけれど、どれも、日常の中の何気ないシーンだったと思う。


4月末から約2週間ほど続いたラマダンと厳しいロックダウンが明け数日経った火曜日、15時過ぎにセッションを終え、バルコニーで寛いでいたパートナーに散歩に行こうかと声をかけた。

気温はもうすっかり上がっていて、日差しの感覚は日本の初夏に近いが湿気が少ないためか暑くても快適だ。そして(これは欧州の夏にも感じてきたことなのだが)トルコには蝉がいないため、とても静かだ。

どこへ向かうともなく歩いていると彼が「あのカフェでブラウニーを買って海に行くのはどう?」と聞いてきた。いいアイディアだと頷く。

ロックダウン中にも開いていたそのカフェのマスターの手作りのチャイとチーズケーキはもうすっかり私たちのお気に入りだがまだブラウニーは食べたことがない。

「私はまだ上手く食べられるか分からないから、カップのティラミスにしようかな」

数日前に歯の治療をした関係で今は食べ物を上手く噛むことができない。それでも、良い歯医者を見つけてすぐに治療を受けることができたのは本当にラッキーだったなあ。なんてことを考えながら歩き続けた。

チャイとスイーツを持って海に向かう。

先月から滞在しているイズミルはエーゲ海に面した街だ。

海沿いは遊歩道や公園、自転車専用道が整備されていて、果てしなく海沿いを歩いていけるような感覚になる。

海沿いのスペースには「賑わっている」と言っていいくらい人がいる。

アウトドア用の椅子を持ってきている人も多く、思い思いの場所で思い思いの時間を過ごしている。

約2週間の厳しいロックダウンの期間は、スーパーや八百屋、パン屋など生活に必要な店だけが開いていた。カフェなど一部テイクアウトができる店もあったが「ほとんどの店が閉まっていた」と言ってもいい。

学校は休みになり、公共機関の利用も特別な理由がある人のみ許可され、向こう岸との間をつなぐフェリーも朝晩だけになっていた。

街はとても静かで、それは私の仕事にはとても良かったのだけれど、ここまで厳しい行動がなされる中でこの街の人々はどうやって過ごしているのだろうと不思議でならなかった。

オランダでは夜間の外出制限が出されたときに各地で暴動のようなものが起きたが、「自由」や「自己選択」をアイデンティティとする国と、何かに従うことが当たり前になっている国ではこうも起こることが違うのだろうかなどということを考えていた。

イズミルには(おそらくトルコ全土で)猫が本当にたくさんいるが、猫とともに暮らす人々は気質がのんびりしているのだろうかということを本気で思ったりもした。

釣りをする人たち、芝生の上で寝転ぶ人たち、音楽を奏でる人たち…。

「ここの人たちが普段からこうやって過ごしているのだとしたら、彼らは人生を楽しむということを知っているのかもしれないね」

イズミルの人々を見て、同時に日本のことを思う。

夕日を見ながら家族や友だちとゆったりとした時間を過ごす。

そんな毎日が続いたら、それは特別ではなくなるのだろうけれど、でもきっと、そんな風に過ごす人生は幸せな人生に違いない。

幸せに生きるのに、そんなにたくさんのものはいらない。
そんなことをこれまでも5年に一回くらい強く思ってきたけれど、このままこの感覚を持ち続けるだろうか。それともまた、成長や変容に魅力を感じるようになるのだろうか。

そんなことをゆらゆらと考えながら、ただそこにいた。

19時を過ぎてもなお高い位置にあった太陽がやっと沈み始めた。

沈み始めたらあっという間だ。

家路に着く人たちもいるけれど、まだその場に留まっている人も多い。

「トルコピザを買って帰ろうか」

そう言って彼が立ち上がる。

肩にかけていたカーディガンを羽織り、差し出された手に手を伸ばす。

歩くときはいつも手の届くところに彼の手が差し出されている。

幸せを感じる小さな瞬間が、毎日たくさんある。

今はまだ英語で表現できないことも多いけれど、いつかこの幸せな感覚を彼に伝えたい。

そう思いながらいつものように手を繋いで、数日前に見つけた年季の入った雰囲気のトルコピザを焼いているお店に向かった。2021.5.20 Thu Izmi

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