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ボラプ超訳2・メンバー編

ボヘミアン・ラプソディ和訳、普遍的バージョンを考えました。

これはフレディが、自分だけじゃなく、ブライアン・メイなどのメンバーにも当てはまるように詩を書いたと妄想したものです。特にバラードパートです。


ボラプがヒットしたとき、つまり、初めてやっと国内で一位になったとき、メンバー全員の母親が喜んだそう。

全員、母親とは良好な関係だと思われ(なんだかんだ息子を信じていた)、

だからこそこの挑発的な詩が書けたのだと思う。


争うこともあったけど、もう解決済みだから。

また、当然、仲がいいからと、すべて分かり合えるわけではない、息子と母の仲。あるいは娘と母。

そんな関係性を普遍的に描く気がする。


まず、intro。


これは現実?それとも幻想?

雪崩のように現実が襲ってくる

両親がミュージシャンになることを反対している

学業を捨ててしまった

やっと音楽の道がひらけたが、難題続きだ

なかなかヒットしない

ボーカリストが色々とヤバい時がある

解散するかもしれない

ヒットしたはずなのに契約のせいで借金が終わらない


もう現実から逃れられない


目を開け、空を見上げて、悟るのです


僕はちっぽけな存在、世間ではもういい歳だが中身はただの子供、同期と違って社会経験もない

(だが)同情はいらない

だって

僕はのらりくらりかわしてきた

学業とか演奏とか誇らしい瞬間もあったけど、

ボヘミアンみたいな暮らしをしたことも、今でもひどいホテルにツアー中は泊まったり重労働のギグをこなして旅したり、体を壊したり、今は次のアルバムの出来によっては解散の危機。


どっちにしろ、風は吹く

僕は気にしないことにしよう

僕には、どうでもいいことなんだ



バラード:

母さん(または父さん)

僕は人殺しをした

頭に銃を突きつけ、引き金をひいた

母さん、

人生は始まったばかり、

なのに僕はもう投げ出してしまった

(つまり、安定の確保できる学業の世界を捨て、ギャンブルな業界を選んだ)

母さん、

泣かせるつもりはなかった

もし僕が明日この時間戻らなかったら、

続けてほしい、何ともなかったかのように。

僕は音楽と結婚したと思って


もう遅い、僕の時間がきた、

背筋に寒気が来る。

過酷なライブで体はぼろぼろ、

さよならみんな。

もう行かなきゃ

みんなを残して、真実に向き合わなきゃ

(真実=学業を捨て不安定な世界を選んだこと?)

母さん、死にたくない、

時々、最初から生まれてこなかったらとさえ思うくらいなんだよ


ギターソロ


一人の小さい男のシルエットがみえる👤

道化よ、ファンダンゴを演って欲しい

雷鳴にいかづち(音響と照明のライブ)

とても怖い。

ガリレオを思い出せ

とても賢く、正しい物理現象を発見し証明できたが、

権力に潰された

フィガロの結婚のモーツァルトは、音楽の天才だが、生前人気が落ち、墓もなく35歳で亡くなった

素晴らしい功績を残した人達!


でも

僕はただのちっぽけな、まだ子供。

いくら頑張っても誰も愛してくれない

(彼はただのちっぽけなガキ、

無理解な両親を持った、

または才能を確約されていない出自である

彼をそんな運命から救おう)


のらりくらりやってきた、離してくれないか?


「ビスミッラー(イスラム教のお祈りの言葉、頂戴しますの意)」

だめだ、我々はあなたを離さない

彼を離せ

(繰り返し)

僕を離せ

決して離してくれない

ノー ×7

マンマ・ミーア!(または母さん)僕を離して

悪魔の王(父?世間?)が、僕に悪魔を一匹用意した、

僕に、僕に!


僕を普通じゃないと侮辱する気か、

愛してると言っておいて、見殺しにできると言うのか?

ベイビー、そんな仕打ちできるの?

ここから逃げなくては


(そうさ)


何も気にしない

誰もがわかってる

何も関係ない、

僕には。

いずれにしろ、風は吹く、、、


以上です。


つまり、この曲は

「ママ、人殺ししちゃった」

のところは、すでに1960年代後半には存在したが、


他の歌詞は1975年近くまでは完成してなかったはず。


完成した歌詞を聞いたメンバーは、

自分(達)のことのようだ、

とも思ったかもしれない。


学業と安定の道を捨て、自分が売り物の世界に飛び込む。

明日どうなるかわからない世界を生きる。

飢え死にか、突然の大ヒットか、裸にさせられたり(写真あり)、


芸能界入りする娘や息子を心配し、反対する昭和の親のように、親は心配してるだろう。


特にインテリのイギリス人3人は、両親の落胆が大きいはず。


そんな心情を、

泣かせるつもりはなかったんだ、ママ

パパ、

と歌っていると言うこと。


音楽の道に入ることの覚悟を語っている。

この道を選んだことで、何らかの理由で死んでしまったとしても、後悔はないよ、ということ。

少なくともフレディはこういう心意気だということをメンバーに示している。


この先、ヒットした後のバンドの先にある未来も予測して、見せている。


「お前は普通じゃない」と、一般人に人間扱いされない(投石)こともあるかもしれない。特に記者など音楽批評家たち。

昨日までファンだったのに、人気がかげり、雲行きが怪しくなると捨ててどっかにいっちゃうファンもいるかもしれない。


少なくとも、両親であるあなたたちはそんなことしないよね?

ともハッとさせられる詩かもしれない。


両親を、信じているからこそ書ける。

むしろ信じたい。


また、同じ心境の闘う若者を鼓舞したい。


ということだ。


「ビスミッラー」だけは、フレディのことを指すと思う。

イギリス人から見たら、アラブ系移民のイスラム系、または他の宗教不明の有色人種だと思われるフロントマン。

(本当はゾロアスター教はイスラム教の敵で、ビスミッラーはイスラム教の言葉。しかし、そんなことを知ってる人はあまりいない。どっちも一括りにされるし、そもそもビスミッラーなんて聞き取れすらしない)


フロントマンが外国にルーツをもつ外国人である。

それにより、世間や両親がなかなか受け入れてくれなかったり、

そういう目にあうことも想定されるということ。

それでも自由、音楽的な、思想的な「自由」を求めて、活動を続け、戦ってゆこうということ。

他のミュージシャンが示したように。ブルーズやジャズ。

音楽に国籍はなく、自由な世界である。


風が吹くから、待ちな、ということ。


必ずヒットさせるから、ついてきて、というメッセージ。


あまり細かいことは気にせずに。


つまりこの曲は色んな意味、役割がある。


今もこの曲はあまりの美しさに意味も分からず人を涙させてしまうという。


人の持つ、普遍的な感情に訴えかける歌だということだ。


歌詞よりも、重要なのは、歌い方や合唱かもしれない。

演奏かもしれない。


たった6分で、人生を駆け抜けたような、充実感がある。


これは一種の魔法かもしれない。

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