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ボヘミアン・ラプソディ和訳・深堀り③バラード2/4

フレディ・マーキュリー作詩の楽曲ボラプの和訳の続きです。


前回から、バラードパートの深掘りを始めました。

バラードには1番と2番があり、さらにそれを前後2つに分け、4つに分けました。


前回はバラードの1番の前半を深堀りしたので、今回は1番の後半です。

Bohemian Rhapsody
Written by Freddie Mercury


~バラードの1番~

Mama, just killed a man,
Put a gun against his head,
Pulled my trigger, now he's dead,
Mama, life had just begun,
But now I've gone and thrown it all away-
Mama, ooo,
Didn't mean to make you cry-
If I'm not back again this time tomorrow-
Carry on, carry on, as if nothing really matters-

今回はこの太字の部分のみ解説します。上の①-A,Bに続き、①-Cと名付けました。

①-C

Mama, ooo,
Didn't mean to make you cry-
If I'm not back again this time tomorrow-
Carry on, carry on, as if nothing really matters-

訳すと、


「お母さん、ああ、泣かせるつもりはなかったんだ。

「もし明日の今頃、僕が帰らなかったら。

「どうぞ、(そのままの生活を)続けてね、

まるで気になることなど何もないかのように・・・。」


となります。


まず、

didn't mean to make you cry-

の部分。

直訳は、あなたを涙させる意図はなかった、という意味です。


この文も主語はありませんが、Mama~,から続くので、youがママで、主語は前述からのボヘミア少年でしょう。

ここで文章は"ー"でいったん閉じます。


この部分の意味は、直前部分でママに語りかける形で恐ろしい告白をし、その告白によってママが涙する、ということだと思われます。

しかし具体的に、ママが涙する内容とは、何についてでしょうか?

普通に考えれば、少年が殺人を犯したことでしょう。そしてそれに付随する様々なこと。始まったばかりの人生で、やっと光が見えてきたところでのこの事件。これから起こりうる恐ろしいこと。

では、泣かせるつもりはなかった、というセリフは、どういう状況からでたのでしょう。

何か泣かせるようなことを意図せずして、相手が泣いてしまった後に驚いて言うセリフです。またはいいわけです。

泣かせるつもりはなかったとは、殺人のことでしょうか。泣かせるためにやるには罪が重すぎます。泣いて済む話ではありません。


疑問を浮上させたところで、先に進みます。


ちなみに韻に関しては、最後の単語、"cry"(クラァイ)が、次(2番)の同じメロディのところで韻を踏みます。(しかし韻だけのためにcryを持ってきたのでしょうか?)



次の文。

If I'm not back again this time tomorrow-

前回からセリフは”ー”で切れて、また新たに始まるので、あえて、前の文章は忘れてみます。

「もし、明日の今頃、僕が戻らなかったら。」


this time tomorrowで、「明日の今頃」という表現になります。

来週の今頃は、this time next week。

昨日の今頃は、this time yesterdayです。


しかし、ここが疑問です。

なぜ「明日」なのか?明日の、なぜ今頃なのか?今は何時なのか。

24時間の間に何かのカタをつけるのでしょうか?

「戻らない」、の意味は?ー逃亡?男の仲間に殺される?投獄?

はっきりとわかりません。


しかし、「明日の今頃」、という表現は、どこか規則的な感じがします。毎日、時間通りに帰宅する少年が、今以降はそうならないというような。

あまりボヘミアン(遊牧民的自由人のイメージ)らしくありません。

ボヘミアン的生活にはthis timeはただ、「今回ばかりは」という意味なのかもしれません。いつも翌日は戻らない、でも、今回ばかりは明日戻らなかったら。。。という感じ。今久々にママの目の前に姿を現し、24時間でカタが付かなかったら(、こうしてほしい)などと約束している感じ。


想像ですが、これはなにもボヘミアン物語の話だけではなく、当時の英国などの若者にも当てはまりそうです。


今回の映画ボラプの1970年前後のフレディも、この一場面を彷彿とさせるシーンがあります。ママの作った夕飯を断り、夜の盛り場に出かけます。設定では、ヒースロー空港で荷物を運ぶバイトをしていて、実家にいながらアートスクールでデザインを学んでいたようでした(史実はわかりません。)


ママを泣かせる息子。

第二次世界大戦を知らずに育った若者は、勉強や就職などのレールに乗せようとする親に反発し、ロックやディスコに夢中になります。世の中も冷戦や紛争、移民問題などで揺れています。

これらの歌のセリフは、そういう社会に不安を抱きつつ、わかりあえない親に反発し、自分を信じて行動する若者の気持ちに重なるのではないか。

つまり、夕飯はいらないと、外へ出る若者が、毎回心の中でママに言っている、実際に言いたいセリフかもしれません。「泣かせるつもりはないんだ。」

「もし明日の今頃戻らなかったら。」

もし今夜バズって自分がロックスターになっていたら、もし無茶しすぎて、今夜拘置所に留置されていたら、今夜駆け落ちしたら、今夜死んでいたら。。。


「ママ」と、「明日の今頃」の表現は、当時こそ似合います。



次の文も疑問が出ます。

Carry on, carry on, as if nothing really matters-

これも、前の文からくっついていそうですが、”ー”で区切れています。

だから、いったん前の文を忘れます。

Carry onは続ける、引き継ぐ、という意味ですが、「続けて」に対し、「何を」、にあたるものはありません。何を続けるのでしょう。

as if ~とは、まるで~のように、という意味で、”as if nothing really matters”で、「まるで、まったく何も問題ではないように」、ということです。

この場合、殺人を犯すという大問題に対し(または少年が人生を棒に振ったことに対し)、まるで何も問題はないかのように、と言っている感じです。

続けて、とは、問題があっても何も問題がないようかのような心境で続けるもの、単純に考えると、広い意味で「生活(life)」です。

Carry on with your life.

という感じになりそうです。

carry onと同じような言葉にgo onがあります。

これは、単純に続けるという意味で、lifeとの相性のいい言葉です。

Life goes on. The show must go on.

フレディの詩やクイーンの曲でもよくつかわれます。



では、これまでの途切れた3文を並べてみましょう。

Mama, (I) didn't mean to make you cry-
If I'm not back again this time tomorrow-
Carry on, carry on, as if nothing really matters-

お母さん、泣かせるつもりはなかった。

もし僕が明日の今頃戻らなかったら。

まるでなんにも問題はないかのように、このまま続けて。


このように独立したセリフと考えます。ママとの会話の中のセリフや、ママに言おうとしていることを断片的に並べた、ともみえます。

「もし僕があしたの今頃戻らなければ、何もなかったかのように今までの生活を続けて」、と1文にしてしまうよりは意味が通りやすいかもしれません。(「明日の今頃」のニュアンスや、「戻らない」という意味がはっきり分からないからです)


バラードパート1番の後半はこんな感じです。

たった4文で、大変な混乱が生まれています。


まとめると、1番は、

①-A,B

Mama, just killed a man,
Put a gun agaist his head,
Pulled my trigger, now he's dead,
Mama, life had just begun,
But now I've gone and thrown it all away-

①-C

Mama, ooo,
Didn't mean to make you cry-
If I'm not back again this time tomorrow-
Carry on, carry on, as if nothing really matters-

となります。2番に続きます。


ありがとうございました。

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