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重要無形文化財と藍

昭和25年(1950)に制定された文化財保護法によって、染織技術も無形文化財の工芸技術の一分野として保護されることになりました。無形文化財の指定対象は技術を保有する〈個人〉または〈団体〉です。そして特に重要性が高いと判断したものを重要無形文化財と指定されます。個人の場合は保持者(通称:人間国宝)が指定された工芸技術を高度に体得し精通していること、団体の場合は複数の人々によって伝承された技術が、指定された際の用件を満たした保存団体に認定されます。

指定条件は工芸技術の機械化がなされる以前の作業や、衰退化する産業の技術保護と継承をはかるためのものが多く見られます。この法律が制定されたとき日本の社会は大きく発展し、手仕事が当り前だった時代のこれらの技術は、採算が合わなくなり後継者も育たなくなっていました。

   重要有形民俗文化財

藍が産業として成り立ち難くなり衰退してから数十年経過して、数件の藍製造業者によって技術の保護と継承を行ってきました。藍の生産は明治36年の15099haを最高に、昭和元年には502haになりました。昭和16年40ha、23年35ha、25年80ha、40年には4haまで減ることになります。藍製造の現場も多くの困難な問題に直面していましたが、30年には阿波藍栽培加工用具が重要有形民俗文化財として指定されただけでした。

   重要無形文化財

天然藍と関係のありそうなものを紹介すると、個人では30年(1955)長板中形•松原定吉、清水幸太郎、正藍染•千葉あやの、団体での指定は小千谷縮、越後上布、結城紬の認定に続き、32年(1957)久留米絣の技術が重要無形文化財に指定されます。後に昭和47年(1972)芭蕉布、51年(1976)宮古上布、平成18年(2006)久米島紬が指定されます。
藍、染料関係はその後昭和53年(1978)に阿波藍製造が「選定保存技術」に選定され、54年本藍染•森卯一、植物染料(紅•紫根)生産・製造が財団法人日本民族工芸技術保存会、平成14年琉球藍製造が指定されました。

高度経済成長で余裕もでてきた昭和40年代は、社会的背景の急速な変化が生まれました。日本万国博覧会終了後の旅客確保の対策として、個人旅行拡大キャンペーン「ディスカバー・ジャパン」などで日本各地に残る古い町並みや伝統工芸が見直されるようになります。重要無形文化財に指定された人間国宝の紹介シリーズ、伝統工芸の展覧会も多く企画され、ドキュメント、書籍、雑誌などでもたくさん紹介されていました。

首都圏に住んでいたわたしもこれらの情報を食い入るように見て読んで、いつか丹波や郡上、沖縄へ行ってみたく思っていました。急に父母の故郷徳島へ訪れる機会ができ、余暇に藍の工場を訪れたことから、好んで読んでいた染織の記事にどこか違和感を感じるようになったのです。専門家の机上での知識の及ばない現実の情況、そして知識の少ない愛好家や編集者の方の現地取材、作っている人が一方的に話される内容の感動をもとに検証もなく書いてしまう情報に不安を覚えました。そのことが切っ掛けとなって藍の周辺を調べ始めました。


   正藍染 本藍染

文化財保護法の制定後から世間では、本来の藍染の名称を「正藍染」1:合成染料の化学藍で染めたものと区別するため、植物藍で染めること、または染めたものをいう。2:奈良時代から始まるとされる藍の自然染法。千葉あやの氏が、この方法を継承し重要無形文化財に指定された。「本藍染」合成染料の化学藍で染めたものと区別するため、植物藍で染めること、または染めたものをいう。と、何となく染織関係の専門書などでは位置づけていました。映像や書籍など情報の中には「正藍染」「本藍染」の使用が多くあり、「正藍染」「本藍染」の藍瓶の管理の大変さを一般の藍染と照らし一様に語り伝えています。現実は藍の原料の生産者や栽培地域が日本でも無くなりそうになっていて、にわかに厚遇されるようになった藍染とは無関係の状態でした。

結城紬や小千谷縮、越後上布の指定には、技術継承に選択された条件の「行程」に藍染は指定されず、久留米絣の行程のみ「純正天然藍で染めること」と藍染の技術も用件に指定されました。その後の芭蕉布や宮古上布、久米島紬は天然染料が指定になっていますから、結城紬や小千谷縮、越後上布で認定された「純正天然藍」ではない藍の技術の説明によって、藍の性質が誤解を生じることもありました。藍の栽培面積も30年の37haから36年20ha、40年には4haとなることからも、染色技術のなかで天然藍のことが多くの関係者から理解されていない結果の現れだと思います。

昭和30年(1955)に正藍染が文化財保護法で指定されてから「正藍染」の表記が藍染製品に多く使われるようになります。重要無形文化財千葉あやのによる藍染の技術を指した言葉でもあるのですが、他の藍染にも自ら「正藍染」を使い合成藍を使った藍染との区別をしたことからです。「正藍染」「本藍染」と偽装表記しても罰則はないことから、明らかに天然藍で染めていないものにも使用がはじまり、本来の意味を保証できるものではなくなりました。

国によって法律で継承・保護されたにもかかわらず、専門に解説できる機関もはっきりしないまま管理されました。難しいとされていた染料の使用方法の種類の定義もなく、藍染の何が正しく本物なのか「正藍染」「本藍染」の違いも定義されず「純正天然藍で染めること」の規準さえも明確に伝わりませんでした。


   天然藍灰汁醗酵建

今度は藍栽培の増加につながらない現状に阿波藍の存続を願う人たちによって、「天然藍灰汁醗酵建」「灰汁醗酵建正藍染」「阿波藍灰汁醗酵建」などとより具体的に「正藍染」「本藍染」との区別がはじまりました。根本的に天然染料と合成染料を区別して表記する規制は存在しません。狭い範囲で自分たちが本来の藍染をしている製品名だと訴えても、消費者には何も伝わらないし却って無関心になります。本物の藍染が多くの人の手で幻影となり、商業主義の「憧れの商品」になってしまいました。

   選定保存技術 有形民俗文化財 無形民俗文化財

文化財保護法において、歴史上または芸術上価値の高い染織技術を「重要無形文化財」「無形文化財」として、その関連する材料や道具をつくる技術を「選定保存技術」、染織技術に関わる道具やその資料を「有形民俗文化財」、染織技術に関わる習俗が「無形民俗文化財」で保護されています。

平成15年(2003)に締結された世界無形文化遺産条約では「無形文化遺産」と「有形文化遺産」の区別は設けられていません。保護するための学術的、技術的および芸術的な研究と調査の方法を促進し、権限のある機関を指定、設置することで役割を決め計画を建てることで保護から発展、振興のための政策に努めています。そして機関の設立のための立法上、技術上、行政上、財政上の措置を考え無形文化遺産の伝承を進めています。

昭和30年(1955)には阿波藍栽培加工用具が「重要有形民俗文化財」として、53年(1978)に阿波藍製造が「選定保存技術」に選定されました。重要無形文化財を支える技術としての仕組みなのですが、同じ「もの」を作るための「技術」が文化財とそれ以外の関連技術に選別するのでは、染織品を作り出す技術や意図を一体に考えることができないと思います。文化庁は無形文化財と選定保存技術に線引きされた異なる枠組みでの保護体制をとっているため、技術とその技術の発達してきた必然的な関係は生まれ難く、いま生きている技術は過去のものになり、一面だけ保護された染織品になってしまいます。効果的な手を打てる技術保持者が存在するあいだに技術を総合的に保護する重要性を考え、現在の枠組みを超えた無形文化遺産として想像した保護になることを望みます。

参考:染色辞典 中江克己編 泰流社 1981年

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https://www.japanblue.info/about-us/書籍-阿波藍のはなし-ー藍を通して見る日本史ー/

2018年10月に『阿波藍のはなし』–藍を通して見る日本史−を発行しました。阿波において600年という永い間、藍を独占することができた理由が知りたいと思い、藍の周辺の歴史や染織技術・文化を調べはじめた資料のまとめ集です。

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