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遠く離れて(結)

こんにちは。
今日もご訪問ありがとうございます。

前回のこの記事で触れた、私が欲する「ききみみ頭巾」。
そんなものが一朝一夕で手に入るわけもなく。

万が一にも手にできたところで、エゴや執着が強い今の状態に私自身が留まっている間は決して使えないものだろうし、使ってはいけないものなのかもしれない、そんなふうにも解釈しています。

突然の猫との別れのあと、足を取られた悲しみの沼から一旦は抜け出したものの、その後も続く家族の深い悲しみに共鳴してしまったことが引きがねとなり、寝るときや運転中など一人になったときに、なにか突如として様々今生の別れを思い出したり未来の別れを考えて涙にくれたりもする、そんな安定しない日がおよそひと月ほどにわたって続きました。

しかしこうして記事を書き連ねることは一種の内観になり、季節的なエネルギーの後押しもあってか、またもとの自分に戻ってくることができました。

読んでくださってありがとうございます。

ちょうどキリよく弥生3月・年度末の最終日。
このお話も一旦結びの章を迎えます。
よろしければご覧くださいませ。

|本能の力

猫がいなくなってのち。いつからか、私が出かけると必ずカラスが目の前をこれ見よがしに横切ることに気がつきました。
たとえそれが偶然だとしても、同じ「黒」の色をまとう生きものが目の前に現れると、なんとなくうちの猫が乗ってきてサインをくれてるのかも…と想像しては心強く、心温まる感じもして。

(あったかくなったからなぁ…まぁそりゃカラスも活発になるよね)

(…にしてもこんなところで?こんな時間に?)

気にしすぎて意識を向ければ、そのフォーカスしたことが特別目立って見えるもの。なので、気のせいだろうと自分で打ち消しつつも、出かければ必ず横切るので、最近では楽しみにしています。

そんなことが続いていたある日。
気分転換に夫の運転で少し郊外に出ました。

自分が運転していたら気がつかなかったと思いますが、助手席からのどかな里山を遠く近く眺め、一抹の寂しさとともに春の訪れを感じていたときのこと。

視界を流れる風景の端っこに色鮮やかな一点の違和感を感じ、瞬時にそれがキジだという確信を持ちました。
すぐに戻ってもらい、やはりそれがキジであることを確認しました。

この距離で見つける私ってすごくない?前世は猟師だったか!と、そう思ったくらいの印象的な出来事でした。

ズームで撮影したので近く見えてはいますが、どのくらい遠かったかは画質の荒さからご想像いただけたら…。
なお、スマホからだと保護色でキジが見えにくいかもです。

国鳥でもあるキジ(♂)
見にくいけれど2つの青丸内に写っています


また別の日には、近所の公園内で初めてカワセミを見ました。

インスタグラムなどで写真家に人気の被写体
カワセミ。

幸せの青い鳥とも飛ぶ宝石とも称され、鮮やかに光り輝く青い羽根を持っています。
この公園のどこかにいると聞いてはいましたが場所まではわからず、一度でいいから見てみたいなと思っていたところでした。

水面に映る咲き初めの桜を撮って、画面から顔を上げたほんの一瞬。

偶然写り込んでいます(桜の左)

閃光が走るようなスピード感で水面すれすれを滑空する小鳥の姿を視界の端にとらえたと同時に、静止画のようにはっきりと「カワセミだ!」とわかるカタチで見えました。

動体視力には自信がありますが、最近は乱視が進んで眼鏡をかけていることが増えています。
なので遠くて小さいにも関わらずはっきり見えたのは予想外で、ちょっと不思議な感覚でした。


直近では、通りがかった道端の桜をよく見ようと車から降りたとき。
なんとなく桜とは逆方向の山を見上げたら、そこにいたのは樹上で食事中の野生のサル。

3倍ズームでこの距離からの
このお猿さん🐒

周りの誰も気づいていない生きものの存在や違和感に、いち早く気がついてしまう私。

これはある意味、無意識で先方から送られてきたコンタクトを、本能的に感じ取れているのかもしれないと思うようになりました。

エゴや執着を手放して、ききみみ頭巾を手にする日も近いんじゃ…と、
すごーくすごーく期待しています。

どこまでも欲深く、貪欲に。…人間だもの。

|生まれてきた意味

自分はなぜこの世に生まれてきたのだろう…とは、良くも悪くも誰しも一度は問うことかもしれません。私には、このことで深く悩んだ時期がかつて何度かありました。

幼稚園児の頃、小学校高学年になって、中学生の頃、高校で。
学生時代に、結婚してのち…と、結構な頻度で毎度、苦悩・懊悩しています。

先日来、猫がいなくなった悲しみにとらわれ、自分の軸を見失って大きな渦の中でぐるんぐるん翻弄されているような心もちでいたとき。

ちょうど上京する予定があって、バイオリニストのYUKIさんにヒーリングをお願いしようかなと考えていました。

結局上京自体を取りやめたのですが、満月の遠隔ヒーリングに参加させていただいたときに頂戴したYUKIさんからのメールを読み返していました。

再び目に飛び込んできて、心にズシンと響く言葉の数々。

この満月の遠隔ヒーリングを過去に受けたことがある方は、いただいたメッセージをこうして時間を置いて見返してご覧になると、また新たな発見があるかもしれません。

”自分の中心をしっかりと持つこと”

”地球と繋がり、すべての生命の瞬きを目撃する”

”今世で、この地球において、何をするつもりで生まれてきましたか?”

”飛ぶのです!!”

”過去を手放し、魂と繋がり、ご自身の使命を思い出すこと”

自分の中心をしっかりと持つことの重要性は、この動揺し続けた期間を経たことでよくわかりました。

すべての生命の瞬きを目撃することは今の私にとって、ある面ではとても耐えられる気がしないほどに辛いことです。

しかし、これこそが私が今生この世に生まれて、したいことの一つであったのかもしれない。

すべきことの一つであるのかもしれない。

そんなふうに思うようにもなりました。

太陽の光を受けて、艶やかに光り輝く緑の葉っぱ。
色とりどりに美しく咲き誇る、野の花々。

蝶が舞い、鳥が啼く様子を外に出て眺めている時間。
これ以上ないほどに幸せな時間です。

ただただありがたいと感じる、実に濃い時間。

枯れた木や枯れ草さえも、美しい。

吹く風に、降る雨に、流れる雲に、青空に。

お陽さまや夜空の星に、月あかりにも。

目に映るものすべてに深い喜びを感じます。

ときには心の深奥が感動で震えます。

すべてのものの生と死に、思いを至す日々。

世の中にはいろいろな人がいますが、自分にとってありがたくない存在ですらも、一歩引いて眺めれば、この世でのその役者ぶりに興味は尽きません。

乗り越えるのが困難に思えた多くの課題を、様々の助けを得ながら次々とクリアした先には、こうして何事も味わえるようになった自分がいました。

過去、依存性の高かった私がなにかに依存せずにはいられないほどの困難や混乱を極めた時期にもずっと寄り添い支えてくれた猫でもあったので、いなくなったときには本当に大きな支えを失った気にもなりました。

大きなものを失ったからこそ、気づいたことというのも非常に大きかった。

これまでで最も大きく印象的な気づきであり、私がこの世に生まれてきた意味についても、ようやくしっくりくるものが見えてきました。

「過去を手放し魂と繋がる」とは、

・過去世も含めこれまでに刻み込まれた数々の傷を癒し
・その恐れや囚われを意図的に手放し
・輪廻転生の高い視点から見れば魂とかスピリットとか意識体とか、そういったものは永遠に在るものであると腑に落とすこと。

目にはさやかに見えずとも、人も動物も植物も虫も鉱物も地球も、
・そのどれもが永遠の存在であると知り
・すべては繋がっているのだと自ら腑に落とすこと。

・起こることや出会うものすべては最善であり
コントロールしようとせず
・流れに身を任せ、信頼して委ねきること。

・周りの現象を創り出しているのは自分に他ならないと知ること。

これらはどれも、人様から言われてただ知るのではなく、頑固さや疑い深さ、その他諸々これまでに身につけた鎧や常識をかなぐり捨ててでも、

・自らの手で・足で、五感で、内なる自分のもとへと受け取りに分け入ってゆくもの。

・深く深く、腑に落とすこと。

とどのつまり、私の使命とは、

この地球に生きる自分をただひたすらに生き”きる”こと。

この地球上で、肉体を持ってでしか味わえない感情や感覚を、脳や五感をフルに使って満喫すること。


心地よさで自分を満たし。
地球から、ひいては宇宙からの愛で自分を満たし。

そんな愛で、自分という器をあふれさせること。

これほどまでに美しい景色の一つひとつを、光や雨や風を。
この肉体があるうちにひとつでも多くこの目に焼きつけておきたい。

時々降って湧く、いやなこともよく味わい。

目で見、耳で聴き。耳で見、目で聴く。

匂いを感じ、舌で味わい手で感じること。

今この瞬間瞬間を、ピカピカの心で味わうこと。

猫を失ってからは特に、一層強くそう思うようになりました。

肉体がなければどんなに好きだったものも二度とは食べてもらえない…そんな思いを残してしまったからこそ、強くそう思うようになったのかもしれません。


今、当地はたくさんの生命萌え出づる春の日々。

やっと十分な気力を回復し、暇を見つけてはこの地球上の美しいものや風景を見に出かけています。

こうしたことができる現在の私が置かれた環境というのも実にありがたいことであり貴重なこと。

猫が生きていた頃の私であれば、日々ストレスの多い仕事に就きながら生計を支えてくれる夫だけでなく、よそのよく知らない職業人たちにまで遠慮して、こうした豊かな時間を「怠け」と思い、心底からは受け取りきれなかったところがあります。

ようやく、心から感謝しながら素直に享受できるようになりました。

|使命について

感謝しながらただ生きているだけで、もしかしたら感謝の気持ちなど無くともただひたすらに生きているだけで、「私は十分に使命は果たしている」と考えられるようになりました。

機嫌よく愛で自分を満たしあふれさせていれば、周りをも愛で満たすことができます。
そうすれば、周りをどうにかして変えようとしなくても、自分が変わることで自然と周りが変化していくもの。

なにか周りの人のためにこうしなくては、とか。
なにか別のものにならなければ、とか。
他人を喜ばせなければ、とか。
期待に応えなければ、とか。

人間はそんなふうに自分で自分に枷をはめてしまいがちですが、それすらも人の持つ驕りや傲慢さから生じるものではなかろうかと思ったりも。

そして「こうしなければ」という真面目なエネルギーというのは、ある種の執着でもあって、重いのだなということにも気がつきました。

きっかけは先日、満開の桜を眺めていたとき。
ふと、桜は特別いい香りも持たないのに、ただ咲くだけでこんなにも歓迎され愛されているなぁということに気がついたことでした。

猫だって、そうでした。
食べて寝て。寝て、寝て、食べて。

なにをするでもなくただ、そこにいるだけ。

むしろ人間を下僕にし、たまに自分は人間のために居てやってるくらいにしか思ってないんじゃないかと感じることもあります。

いつも自然体。

ならば、人も同じ。

冬の時代を耐え、ただ生ききるだけ。
特別なことはなにもせず、ただそこに居るだけでいい。
年に一度、究極的には一生にたった一度でも花を咲かせれば、ただそれだけで喜ばれる存在なのだろうなぁと思ったのです。

花を咲かせる時期や頻度は人それぞれ。

母の胎内に宿り、喜びを与えた時点で花を咲かせ終わったという人だってあるだろうし、そういう人がいても自然だなと思ったのでした。

桜は蕾をつける前から人をワクワクさせ、咲いている間はもちろんのこと散り際までもが喜ばれ、感動を与えます。

そんな、花を咲かせられる人でありたいとも思いました。

|アバンダンスプログラム効果

ところで、いまから十日ほど前のこと。

寝付けなかった深夜、何気なくスマホを手に取りInstagramの様々な投稿を眺めていました。

ビジネスアカウントの情報はどうしてもガツガツした集客感が出ているものが多く、見ていてしんどくなるので、普段あまり好んでは見ません。

しかしその夜、私の注意を引いた投稿の主は、カウンセラーでもありアニマルコミュニケーターでもある方のビジネスアカウント。
私の意識がペットロスの情報に敏感になっていたことを差し引いて考えても、泣き笑いしてしまうくらい、そのときそのときの感情の波にぴったりピンポイントな投稿が数日間にわたって続いていました。
この方、私に気があるんじゃ…と勘違いしそうになるほど。

深夜にアプリを開いたら、この日も一番上にその方の最新投稿が上がったばかりで、ドーンと目に飛び込んできました。
で、なんとこの夜の投稿を目にして2〜3日後にはその方とオンラインでお話しする機会を得、すごい流れだなと自分でもドン引きしたほど。
それは先方も同じように感じてくださっていたようで、お互い予想していなかったようなスピード感あふれる展開に、エェッ?と笑いました。

こうなってしまったのは、ぼんやりした深夜の私が冒した、ちょっとした勘違いからのミスがもとだったのですけれど、結果的にはこれがまたひとつ、今の私に必要なことへの大きな大きな導きであったし、必然的に与えられたのだなと感じています。


“飛ぶのです!!”
“今すぐに、です!”

と言われながらも早や半年以上。

そんなグズグズしていた私が2度目のアバンダンス・プログラムに取り組んで得たものは、今後、私が大きく飛ぶ・飛躍するための出会いでした。

この大きなギフトは、こうしてちょうど44日間プログラム中、振り返りの最終日に届いたことになります。鳥肌が立ちました。

プログラム途中にはこれほどつらいことがあろうかと思われた愛猫との別れを経験し、エッセンスは摂り続けたものの、日々取り組むお題(エクササイズ)についてはそこで完全に止めてしまいました。
こんなことになるのなら、アバンダンスプログラムなんてするんじゃなかった…という考えも、一瞬浮かんだくらい。

しかし、つらかった死別の経験から得たことがすべて先へ繋がって、こうしてより大きな、新たな展開を、ギフトとでも呼べるものをもたらしてくれました。

感情の渦に呑み込まれ失念していたけれど、最終すべては愛なんだなとふたたび感じられたこの佳き日。

飛ぶということがなにを意味していたか、それを妨げていたものがなんであったかにも自然と気づかされ、腑に落ちました。


これより先、私は
フラワーエッセンス・プラクティショナー(選ぶ人)として。
カウンセラーとして。
「安心」を提供できる人として。
量子力学的なエネルギー世界でヒーラー(癒す人)として。

自分のために。
住まわせてもらっている、この地球という惑星のために。
ひいては私に関わってくださるすべての方にくみするために。

しっかりと地に足つけて歩むため、より一層自らに磨きをかけて参ります。

いろんなことを経験しながらも、誰もが平和で笑っていられる世界に。
感謝のエネルギーが循環し、望めば誰もが満たされる世界に。

なにより自分がこの地球での暮らしを精一杯、無理なく味わえるように。

くたびれがちな地球のために、ささやかながらできることを。

その思いは変わりません。

また、ここにきてようやく、自分にはできるのだという確信が持てました。

ブラッシュアップを経て、初夏を過ぎた頃からメニュー及びカウンセリング料については順次大幅な更新を予定しています。

ここまでの揺るぎない自信を与えてくださった基礎にあるのは、他でもなく、セッションのお申込みをくださったりエッセンスの調合をご依頼くださった皆様のおかげさま。ご感想をお聞かせくださる皆様のおかげさま。
さらにはこのnoteに見に来てくださる皆様のおかげさま。

本当にありがとうございます。

意識体になってしまった猫と共に、笑いながら面白がりながら、そして祈りながら。どれだけ残っているかわからないこの人生、自分の使命のために捧げたいと思います。

よろしければこの先も、ぜひご一緒に歩んでいただけたら。
私にとっては無上の喜び。
皆様がフラワーエッセンスの力を借りながらも自力で気づいていかれ、ついには笑顔になっていかれるご様子を拝見するのが嬉しくもあります。

多くの喜びや学びをありがとうございます。

|新たなスタート

折りしも明日は4月1日、年度初め。

明日は新年度の始まりであるだけでなく、旧暦3月1日。
つまり新月。
しかも12星座中いの一番の「牡羊座」新月を迎えます。

新しいことのスタートラインに立つには最適な日。
準備ができていないのに無理にスタートを切る必要はなくて、とりあえずこの日にスタートラインに立つだけでもいいと私は思います。

牡羊座新月の日はアバンダンス・プログラムを始めると得るものも大きいとのことなので、プログラムへの参加者募集をしようかとも思いましたが、まずは自分を整えるのに精一杯で、今回は募集に至りませんでした。

こうしたらいけないというのはフラワーエッセンスにはほぼないので、まぁいつからスタートしてもいいのですが、牡羊座新月からやお誕生日の22日前スタートは、特におすすめとのことです。
新月エネルギーが残る3日頃までのスタートであれば、ほぼ新月スタートとも言えるので、それもおすすめとのこと。

もし今どうしても手に入れたいものがある・なりたい自分像がある、ほしい豊かさがある、など気になる方がいらしたら、こちらからお気軽にお問合せくださいませ。

awatosanuki@gmail.com

最後までのお付き合い、ありがとうございました。


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