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離れていても 〜レイキとフラワーエッセンス【1】

私の名前

私の名前には漢数字の「三」が使われています。

これには衣・食・住の三つを兼ね備え、将来にわたって
これらに困ることがないようにとの父の思いが込められています。

父は戦前生まれ。
幼少期は、田舎暮らしといえど生きていくための基本的な衣食住さえ
保ち続けることが困難だった時代。
苦労が多かったのだと思います。

おかげさまで私はそのどれ一つとして欠くことなく育ちました。
結婚した今でも衣食住に困ったことはありません。
暖かい服を着て、温かい食事をお腹いっぱい食べられて、
雨風から守ってくれる家に住める、これがどれほど幸せなことか。

ありがたい限りです。

早朝の電話

そんな父が、昨年の夏に倒れました。


数日前から体調がスッキリしなかったものの、ちょうど世間は
疫病騒ぎの真っ最中。近所の内科クリニックを訪ねたけれど
熱があったため車内で待たされた挙げ句に診療を断られ、
しかたなく自宅で休んでいたところでした。

私はあいにく遠出していて不在のとき。

ややパニック気味の母から朝早く電話を受けて様子を聞いたときには、
あぁこれでもう父とも最後なのか…と、覚悟しました。

常々いつ別れのときが来ても後悔のないようにと思って
関わってきたので、意外と心は静謐なままです。
急いで帰るつもりもこのときはありませんでした。

一方で、やはり人間ですから、このままでいいのかなという迷いも
少なからずありました。

その迷いを見抜いた夫の強い勧めで一転、
目的を果たすことなく出先から引き返しました。

しかし感情とはおかしなもので、引き返すことになって目の前の事態に
関わる」ことを決めた途端に涙があふれました。

つらいのでも、悲しいのでもない。

ただただ夫の配慮がありがたかったのと、
間に合わないかもしれないという不安と、一抹の寂しさ。

もしこのまま帰らぬ人となったら、
いったい何から手を付けたらいいのだろう…という余計な心配。

すぐに思い直して、とりあえず先は見えないけれど
今できることをただひたすらにするほかはないのだという決意。

ほんの一瞬で様々な感情がないまぜとなり、
心が圧倒されたのかもしれません。

空を見上げると、真夏のお陽さまの周りには虹が出ていました。

ただの大気現象ではあるけれど、そのときの私には
天からの「大丈夫。」というメッセージのようにも感じられて
大変心強かったのを覚えています。

落ち着け落ち着け落ち着け自分。

そう心の中で繰り返しながら帰宅すると、
すぐにフラワーエッセンスの中のレスキューレメディと呼ばれる
緊急時のためのエッセンスを飲みました。

その後も持ち歩き、初めの数時間はかなり頻繁に摂りました。

しばらくするとざわついていた感情が潮が干くようにスーッと
どこかに流されてゆき穏やかになります。
穏やかになると思考もクリアになり、
いろいろなことを段取りよく考えられるようになりました。

母の想い

一方の父は、意識はあるものの高熱のために朦朧としていました。

二日目になっても原因がはっきりせず、全身状態は悪化する一方。

それでも意識が比較的しっかりしていたことで、
救急病床を長く塞いではいられないことから、
すぐに一般病棟に移る入院計画が立てられました。

当時既に世間を騒がせていた新型感染症のため
一般の面会は厳しく制限されていましたが、
病棟を移るタイミングなら会って構わない、
ぜひ顔を見せてあげてくださいということで
病院から連絡がありました。

救急病棟と違って一般病棟では必要な物品が多くあるようで、
電話しながらメモを取ります。

メモの物品の支度を始めたところへ再び病院から電話がありました。

こういうときの電話の呼び出し音はなんとも心臓に悪いです。

どうか良くない知らせでありませんようにと祈るような気持ちで
電話を取ると、状態が悪いので家族の到着を待たずに
すぐ集中治療室に移ること、担当医から後ほど病状説明をしたいので
ご家族の方は聞きに来てくださいとのことでした。

終話間近になって、電話口で言いにくそうに

「万が一の場合は人工呼吸器やその他の処置をどうしたいかにつき
 お尋ねするので、あらかじめご家族で話し合っておいてほしい」

と言われました。

そこまで状態が悪いのだなと思うと同時に、
これは早く母を連れて行って会わせておかないと…と
冷静に考えていました。

このまま父が最期を迎えたとしたら、
この先ずっと悔やみ続けるだろうと感じられたからです。

普段お互いが憎まれ口ばかり叩いていても
父が倒れたショックで母も体調を崩し、
足元さえおぼつかなくなっていました。

いつもの両親の様子からは
とてもすぐには想像できませんでしたが
子供である私の立場からは窺い知れない、
良くも悪くも二人で何十年と積みかさねてきた見えないなにか、が
あることは明らかでした。

取るものもとりあえず、歩きかねていた母をなんとか病院まで
連れていくと、ベッドサイドに通されるや父のおでこに手を当てて
熱の具合をはかりました。…まるで子供の熱をみるように。

看護スタッフから私が状況説明を受けている間も
ずっと母は父のむくんだ頬に手を当てて、
その温もりを我が手に覚えさせるかのように、労うかのように、
ゆっくりゆっくりと撫でさすっていました。

初めて見る、母の姿でした。

思いがけないその光景に私は喉が締まって息苦しくなり、
これはどんなことがあっても今ここで父を死なせるわけにはいかない、
と、初めてそう思いました。

離れていてもできること

しかし、私は医者でもなければ看護の知識すらありません。

ときは都会から遅れて新型の感染症が一気に拡大していた真っ只中。
そうそう簡単には面会が許されない状況でした。

もどかしさを感じつつ、なにかできることはないだろうか?と
考えていて、ハタ、と思い出したのが、習ったばかりの
レイキとフラワーエッセンス

フラワーエッセンスは最初の入門講座に参加したばかりだったし、
レイキもちょうどほんの3ヶ月前に遠隔でもエネルギーを送れるように
なったばかりでした。

なんらかの効用があるのかどうかさえ
まだよくわかっていなかった時期。

しかし事態は一刻を争います。

もうこうなったらダメで元々。
昭和だったらきっと、「えぇい、ままよ」と言うような場面。

少しでも可能性があるなら、
一か八かでそれらに賭けようと考えたのでした。

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…長くなったので、続きはまた明日。

レイキについては、今日のYUKIさんの記事が
とてもわかりやすかったので、ぜひこちらを読んでみてくださいね。

今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。

全国的に寒いようですが、春はもうすぐ。
どうぞよい週末をお過ごしください。

#フラワーエッセンス #家庭 #暮らし #緊急事態 #レイキヒーリング
#救急搬送

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