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満月の癒やし ⑩

こんにちは。
今日もお立ち寄りくださりありがとうございます。

トップ画像は、ひときわ明るく、
タブレットからでもきれいに写り込んだ木星。
(すごく小さいけど…)

引き続き、バイオリニストYUKIさんから受けた
満月ヒーリングのあとの気づきについてのお話です。

お時間あればどうぞご覧くださいませ。

(前回の記事はこちらです↓)

⚜️生と死と


前回、幼い頃の記憶が浮かびあがってきたお話をさせていただきました。

そして、こちらは前々回『満月の癒やし⑧』でも触れた、「鹿の教え」。


すべての生命は「水」でつながっていそうだということ。
「土」が大事だということ。

鹿のなきがらはそのことを教えてくれましたが、私が目にすることで、鹿のなきがらを通してそのことに気がつくように、なにかしらの意図をもって

見せられたのかもしれない

とも思いました。(…誰に?)


「鹿の教え」についてはこちらをご覧ください。


そして、前回ご紹介した、名もない仔犬。

幼い私のすぐ傍で、目の前で失った、小さな生命。

これもまた、もしかしたら「見せられたのかもしれない」。

その一命をかけてまで、見せてくれた?

…ふと、そう、思いました。

⚜️善と悪と


バイオリニストYUKIさんのこちらの記事から、言をお借りします。

【以下引用】

昨晩の満月の遠隔ヒーリングのテーマは、ズバリ「許し」でした。

私たちは誰しもが、無意識下でネガティブなパターンを繰り返し、意図せず創造性のエネルギーを妨げていることがあります。

その傷を今一度認識し、負のストーリーを負ってくれた演者に感謝して、すべてのひとと、すべてのものを許すことが、今回の大切なテーマとなるようです。

「許し」は「感謝への転換」

それは、視点を180度換える、最上級の「愛」の顕れであり、新しい人生をクリエイトする通過儀礼です。

今回は、それぞれの魂のルーツとなるマントラを授与することで、いつのまにか失っていた自己の一部を取り戻し、魂の回復を図るよう意図して、遠隔ヒーリングをさせて頂きました。

すでに克服しているはずの古傷の上で、いつまでもホバリングするのはやめて(笑)ワクワクするような新しい航路へ、一緒に旅立ちましょう!

【引用終わり】


ここに「負のストーリーを負ってくれた演者」という言葉が出てきます。

初見で、あぁそれかぁ…と強く強く感じ入った言葉でした。

この世で起こるできごとは、すべてニュートラル。

中立です。

そこに良いとか悪いとか、善だ悪だと色をつけるのは私たち。



「したいことをして生きましょう」


と言うと、


「じゃあ、人をあやめてもいいんですか」


という議論が起こることがあります。

結果から言えば、いささか暴論ではありますが、


「人間生活のルールとしてはそんなことはとんでもないことでして、決してお勧めはしませんが、あなたが心からそうしたいというのであれば、たとえ引き留めたとしてもそうするんでしょう?」


ということになろうかと思います。
(答えになってない?)



「殺める」という行為に、善悪の「悪」を紐づけたのは私たちです。

それは親世代から受け継いだ「常識」です。

その親世代は、そのまた親世代の「常識」を受け継いでいます。

もうちょっと遡ってみれば、中には「斬捨御免」の常識を持ったご先祖様がいたかもしれません。だとしたらその時代のその方にとっての斬り捨ては、少なくとも「悪」ではなかったことになります。



人が赤ん坊としてこの世に生まれ落ち成長していく過程において、幼児期に平気で虫など小さな生きものの命を奪うことがあります。稀な病的ケースを除いて、そこに悪気などはありません。遊びの一つです。


平気で生きものの命を奪う子を見た親は、
たぶん吃驚して

「そんなことをしてはいけない!」

と、強く教え諭すことでしょう。


ここにきて初めて、子供の中には

「他の命を奪う=悪」

という概念が生じるのだろうと思います。


こうして善悪の区別を生じさせることこそが教育であり、そこから「善」の方だけを選びとって子供に勧めるのがしつけというものなのかもしれません。



たとえば。

何世代にもわたって戦争を続けているような地域では、少年兵といって年端も行かない子供が銃を携え戦闘に参加していることがあります。

今はもう平和な国の私たちは、戦争の記憶、という経験知をもとに、

「あんないたいけな子供を戦士にするなんてけしからん!」

と驚き、腹を立てたり悲しんだりします。


そこにあるのは「少年兵=悪」の概念。


しかし、当の本人には、その概念が無いかもしれません。

むしろ戦闘に参加していることは少年や周りの人々にとっては誇らしいことで、だとすればそこでは「少年兵=善」でさえあるかもしれないのです。

⚜️ヒトとアリと


そんなわけで、ヒトを離れたところに、善悪の別は存在しないものと私は考えています。

私たちは日々流れるニュースの中で、大変に重苦しい事件を目にすることが多々あります。
しかしながら、地球や宇宙からしてみたらそこに善悪はなく、ただあるのは、そうした事件があった、という事実のみです。

人間がなんかまた喧嘩してるな、とか、あー、あいつ泥棒しよったな、とか、淡々と事実だけを見ている感じ。そこには善悪の別も、ジャッジメント(審判、断罪、etc.)もありません。


それは、私たち人間がアリ(蟻)などの昆虫を観察するのに似ています。


アリは働き者の代名詞的存在。

でも、よく見ていると、ちょいちょいサボっていたり、要領よく他のアリが引きずる餌に乗っかって移動していたりします。

平和的社会生活をする代表格のように言われていますが、他のアリを生きたままエサとして奪い合うこともあります。

まだ息の根があろうとも、弱って地面に落ちたセミやチョウなどを餌とすべく、巣穴へと運びます。

こうした様子を観察したところで、ごく一部の繊細な感性を持つ方や、マニアックなアリ研究者でもない限り、

「あぁっ!なんてずるい!!!」

とか

「あぁぁぁぁー!酷い!ヒドいわ!!」

とか

「なんて残酷なの?!このヒトデナシ!!!」
(いや、アリやからヒトデワナイ)

とは思いません。


もしなにか思って口にしたとしても、

「おぉ、サボってはるわ〜」

とか

「アリがアリとアリを奪い合いしてるで」

とか

「うっわー!生きたまま運ばれてってるわ」

と、目にした事実を述べるのみ。

そこにジャッジメントは存在しません。

善でも悪でもない、ニュートラルな状態だから。

⚜️害虫と益虫と


善悪の別と同様に、

「害虫」vs.「益虫」

の区別もまた、ヒトの視点で創られしもの。


どちらも「ただ生きている」だけなのに、一方は排除され、一方はモテはやされる。

人が人を殺めるのは悪くて、ヒトが虫を殺めるのは悪くない?

…なぜ?

どちらも同じ、生命なのに。


子孫を残す、つまりDNAを未来へつなぐためにただひたすらに生きている、全く同じ、「生命」なのに?


ヒトがウシを食べるのは良くて、クマがヒトを食べるのは悪い?

…なぜ?

お腹が空いているのは、同じ、なのに?


どちらも同じ、生命の煌めき。

懸命に、ただ、生きている。

気持ち悪いと言われようとも。

ヒトに害なすと言われようとも。


すべてはこの豊かな星、地球の、
「土」から生じた水の一滴を分けあった生命。


こんなに、美しいのに。

これほどまでに、静かにひっそり生きているのに。

土足で立ち入るのは、いつも私たち、人間の方なのに。


⚜️正と負と


なぜだろう、と考えたとき。

すべてが善であると、そこには対比とか差とかが生じないので、善のよさが際立たないからかな?と思いました。

すべてが善で、誰もが満足していれば、ずーっとずーっと、飽き飽きするほどずーっと、そのままかもしれない。

そこには進歩も進化もありません。


悪さをする人がいるからこその、警察官。

病める人がいるからこその、医師。

不便さがあるからこその、発明。


悪あってこその善、陰あってこその陽。


負のストーリーを負ってくれる人がなければ、
正のストーリーは成り立たない。


人を殺める人がいなければ、それを取り締まる警察や、倫理観といったものは本当に発展しないのか?私にはまだわかりません。


ただ、過去を振り返れば、航空機にしても、現在私たちが恩恵を受けているコンピューターやインターネット技術にしても、医薬品や遺伝子組み換え技術などにしても、その発展の礎となった原動力は、すべて「戦争」でした。

ここのところの宇宙開発にしても、原動力は覇権争いへの備えであったりもして、相も変わらずなにごとにつけ戦争が前提なりベースなりにあります。


吉本新喜劇の池乃めだか師匠よろしく、

「もういい!もーぅたくさんだ!!」

と叫びたくなります。


そして、善悪の別というのはやはり人間特有のもので、地球からしてみたら、かなりどーでもいいことなんだろうなと思います。

善とか悪とかそんなマボロシに縛られず、ただ生きて?

いろんなことがあるけど、マルっとぜーんぶ、楽しんで?

善とか悪とかどーでもいいから、
そんなものに縛られず、したいことしたらいいんよ?

で、軽くなって?ね、お願い。

しかめっ面で暗い顔されたら、重いからさ?

笑お?ね?笑って?o(^▽^)o

ワクワクしょ?

…by 地球🌏

⚜️ゆるしへの道のり


ものすごくつらいことに直面すると、無意識のうちに人はなんらかの防衛機制を働かせて、自らを守ろうとします。中には意識的にそうすることができる人もいるでしょう。

でも、いったいなにから守ろうとしているのか?

つらさ、から?

それとも別のなにか、からだろうか?

ほんとうに、耐えられないことだったのだろうか?

今なら、もう、耐えられるかもしれない?

疑問は尽きません。


ネギを刻みながら仔犬のことを思い出した私の脳裡に浮かんでいたのは、こんなこと。

いろんなことに次から次へとこの2ヶ月で気がついたのは、あの日、仔犬が目の前で轢かれて、私にその死を見せてくれていたから?

40年以上前から、この日のために役者はすべて揃ってたってこと?

あの事故がなければ、私、ここまで思い至らなかった?

そんな壮大な伏線て、ある…?

そんなんいらん、のと…ちゃう…?

でも、あのくらい深い悲しみを一旦持たなければ気がつけなかった?

そのためには、ひき逃げする人が必要だった?

じゃあ、あの白いセダンの運転手は、
あえてその嫌な役を買って出てくれたってことなん?

そりゃイヌの仔ひいたら、普通は後悔するよね。

もしかしたら、あの人はあれから二度とうちの前の道は通れなくなってたかも?

イヌやワタシが夢に出てきて、うなされてたかも?

私だって気がつかないだけで、実際は雨の日に
カエルの仔、たくさんひいてしまってるかもしれない…

チョウチョ巻き込んだことあるし…

夜の田舎道を走っただけですごい数の虫をフロントガラスで死なせてるし…

罪深いのは、自分も同じかもしれない…

次回、最終回へと続きます。

満月ヒーリングを送ってくれたバイオリニストYUKIさんのお誕生日にちなみ、次回11番目の記事を以てこの2ヶ月の間に得た気づきについてのご披露は一旦、締めたいと思います。

お時間よろしければ、あと少し、お付き合いくださいませ。

読んでくださって、ありがとうございます。

※ハチクモヘビ嫌いな方ごめんなさい※

※上であげた画像に写っているのは、これからの季節に特に凶暴化するキイロスズメバチと、致死毒を持つマムシです。
彼らの生活様式をよく知らないままに、こうした写真を撮ることは危険を伴います。見かけたら、刺激しないようそーっと離れることをお勧めします。※

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