見出し画像

無一文の果てに受け入れた自分の「悪」

泡ぴこのnteを読んでくれてありがとうございます

火曜日のイベント帰り、銀行口座も底を尽き、カードも止められ、手持ちの現金も無くなった為に池袋から徒歩で地元の最寄り駅まで歩いた時の話をします

その時のSuica残高は180円
池袋から最寄り駅までは330円
自分の金回りの状況は前述の通り
「あーもういいや、歩いて帰ろう」
もはや僕は自暴自棄になってた

会社を辞めて早9ヶ月目
急場凌ぎの行政からの借入や失業保険の給付も終わり
メルカリで身の回りの物を売るも泣かず飛ばず
それでも9ヶ月生きてこれたが、もはやこれまでか?
という気持ちで歩き始めた

歩き始めると色々な悪の感情が沸き起こってくる
「なんで歩いて帰らなきゃいかんのだ?」
から始まり
「音楽で投げ銭貰える奴はいいよな、こちとら30年阿波踊りやってたって投げ銭なんか貰えねーし」
「イベント手伝ったって一銭にもなりゃしねぇ」

池袋から練馬を過ぎる辺りまで
ずーっと憎悪の念が湧き上がってた
たぶんドス黒いオーラを纏っていたと思う
(平日の深夜だから周りに人が居なくてよかったわ)

普段からニコニコ努めるようにして
人当たりよく接したり
頼まれれば自分の出来る範囲内でやれることやったり
「泡ぴこさんて、いつもニコニコしてますね」とか
「泡ちゃんが居てくれて助かる」とか
ここ最近言われるけど
そもそも俺はそんな出来た人間じゃない

「底意地が悪い」のだ

よくよく今までの人生振り返ると
“底意地の悪さ”がよくわかる

30年阿波踊りを続けられたのも
小学生の時に言われた
「お前の阿波踊りは阿波踊りじゃない」
と周りに言われたからだし
「君の偏差値だと○○高校は無理」
と塾の先生に言われ
それでも合格スレスレのところで入学を果たせたのも
「柳○管楽器はここ最近求人出してないから内定取るのは難しいから辞めておけ」
と専門学校の進路指導に言われたにも関わらず
内定を勝ち取って来たのも

全部「はっ!!言ってろ!言ってろ!そんなお前らにドヤ顔してやっからな!覚えとけよ己ら!」
という自分の底意地の悪さから来るパワーだった

もう1度言う

俺は「底意地が悪い」

池袋からよくやく半分を過ぎた辺りから
膝の裏辺りが痛くなってきた
足の裏も擦れて腫れてきた
自分の姿がすごく惨めで無様だな
っと思うようになってきた
「....なんで俺こんな思いまでして歩いて帰ってるんだろ」

そんな時ふと顔を上げたら
「埼玉県」の標識が見えた

池袋から歩くこと3時間

その瞬間何故か笑いが込み上げてきたんだよね
「あはははは!埼玉県に入ったぞ!!」

それと同時に俺の中でふっとある感情が首をもたげてきた
「そっか....俺は池袋から家まで『自分で選択して歩いてる』んだよな」
そこから更に自分の人生も振り返るようになる
「そっか....今までの人生の選択だって自分で選んで『自分の足で勝ち取ってきた』んだよな....」
歩くスピードも落ちてきた
埼玉県に入ると途端に下り坂登り坂が多くなる
足は痛いし膝も曲がらなくなってきた
まさに「足が棒」になってきた

その時だ
自分の「底意地の悪さ」が燃料になって
「何としてでも家まで歩いて帰る」
へとエネルギー変換される感覚になって
足がまた復活したような錯覚になった

それまでの憎悪がどうでもよくなって
「俺の足は阿波踊りで鍛えられてるんだ」
「高校生の時に秩父の山の中30km走り切ったじゃないか」
わけわかんない自分への鼓舞が始まった

自分の「底意地の悪さ」を受け入れると凄いエネルギーになるんじゃないか?

「底意地が悪い」を辞書で引いてみると
「意地が悪い」よりも悪質で陰湿・陰険なワードのオンパレードだ

「底意地が悪い」・・・本来の意地が陰険である。

『新明解  類語辞典』三省堂

類語辞典に記載のある周辺語句も
「陰険」「無慈悲」「薄情」「悪趣味」「腹黒い」「非人情」だの散々な言われよう
一方、じゃあ「底意地」って何だろな?

「底意地」・・・表面には出さない心の底に潜めている気持ち
「意地」・・・思い込んだことを貫こうとする気持ち

『新明解 類語辞典』三省堂

あぁ確かに俺の今までの人生そうだったかも....
自分の悪の部分「底意地の悪さ」をエネルギー源にして
自分の貫き通したいことをやり遂げていたんだな
そう思えるようになった

そう考えたら、、、

自分の「底意地の悪さ」を受け入れたら
それが自分のエネルギー源に変換できる

のではないか?
まさに青天の霹靂
笑いが込み上げてくる
足も動くようになる
めちゃくちゃ痛いけど
そんなのどうでも良くなってきた
今はただ「自分の底意地の悪さ」をエネルギーに変換して、とにかく「家まで歩いて帰りつく」を貫き通すのだ

Googleマップでは6時間とあるところ
それより15分早く27kmを歩いた

自分の内なる「悪」に気付いて受け入れて
その「悪」のエネルギーを「自分が選択した道」を貫き通す「パワー」に変換できることに気付いた帰り道だった

最寄り駅の自転車置き場まで辿り着いた足はボロボロだったけど何故か爽快な気持ちだった

34歳で無一文だろうが
俺には足があって生きて歩けるし
自分の中にある「悪」を活動エネルギーに変換できる術にも気付けた
いや、むしろ今まで「悪」エネルギー変換が出来たから「自分の意地を貫き通し」てきたんじゃないか!!!

「悪」エネルギーを纏った俺の足、最強

この池袋〜最寄り駅までの5時間45分は
自分を見つめ直すいい時間になった

自分の「悪エネルギーをパワーに変換」して自分が「選択した道」を自分が思う「正解に向かって歩く原動力」にすればいいのだ

今までやってきたはずなのに
なんでこんな単純なこと忘れてたんかなぁ〜
人って経済的困窮に陥るとこうも自分に気付けなくなるものなのか
あ〜スッキリ!!
気付けたからには他の色んなことに応用できるだろ

「自分の『悪』の感情を受け入れて
     エネルギー源に変換して
   『悪』とは違うベクトルの起爆剤に」

長い散歩を終えて自転車置き場にある自分のチャリの元へ
「え....パンクしてる....」

一難去ってまた一難....トホホ


\\\\「自転車パンク」は「選択」した覚えねーぞっ!!////

最後まで読んでいただき
ありがとうございます
泡ぴこでした

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?