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パーソナライズされる情報への恐怖―

こんばんは!わたなべです。
お仕事をしていると、自分の視野が狭いんじゃないかとか、感度が衰えたんじゃないかとか、不安や焦燥感を感じる事はありませんか?
特にここ数年、自身で意識しないと簡単に視野が狭くなったり、感度が鈍くなる時代の流れになってきたなと感じています。そんな事を意識できていればまだマシで、そのネガティブな感覚に気付かない、気付けない人が増えていったら...と想像すると恐怖を覚えます。

では、なぜそんな風に不安や焦燥感を感じ、恐怖を抱いているのか?

不安興味関心軸に沿った広告

今やテレビ広告出稿費を上回るデジタル広告出稿費。インターネットやYouTube、Instagramなど見ているときに流れてくる広告は、ユーザーの興味軸に沿って出し分けられてます。ある人にはファッション広告が多く、ある人にはゴルフ関連の広告が多く流れてきます。

今までメインだったテレビ広告(テレビCM)は、時間帯によるすみ分けはあったかもしれませんが、特に興味関心がない内容であっても、繰り返し流れてきたし、無理やり見させられてきました。
興味はないけれど、みんな一様に同じ広告を見せ続けられた広告の遺産は、自分が興味がある認識がなくとも見せられ、刷り込まれ、いつの間にか記憶に残り、興味が湧く事だったと思います。

「100人乗っても大丈夫!」のイナバ物置のテレビ広告においては、当時学生だったわたしに全く関連のない内容ですが、記憶に残り、そんな丈夫な倉庫なんだ~と認識させました。未だに覚えている点においては、認知拡大という広告目的を果たしている非常に優秀なテレビ広告です。

それとは違い、ここ数年主流になってきたデジタル広告は、ユーザーのインターネットやソーシャルメディア(SNS)上の検索や閲覧履歴に基づいて、興味関心があるであろう広告を提示してきます。自身が認識している興味関心に基づき流れてくる広告は、テレビ広告ほど邪魔にならず、さほどストレスなく見ている方も多いと思います。

―この興味関心軸に沿った広告、不安じゃないですか?

焦燥感―最適化されたニュース

毎日のニュースを何で得ているか?
長い間、ニュース伝達の役割は新聞が担っていました。新聞は、どの読み手にも全く同じ情報を同じ割合で届ける媒体です。読む読まないは読み手に委ねられます。もちろん、読み手は興味がなければ読まないことも多々ありますが、ザッと全体を見通せば、ある程度一様な情報を得られたのではないかと思います。別の視点においては、新聞制作側が掲載ヶ所やタイトルの強弱によって、読み手の情報の得方を操作しているような印象も受けます。

現在では、多くの方はYahoo!ニュースなどのニュースサイトや、ニュースアプリ、Facebookなどのソーシャルメディアを利用していると思います。それらの媒体は、広告と同様に個人の属性や行動履歴に基づいて最適化された情報を提供しています。主体的に興味関心のあるカテゴリーや地域選択もしつつ、多くのニュースは気付かぬままに最適化された情報が提供されています。自分には提供されたニュースが、隣の人は全く見ていないニュースである事象が大いにあるのです。

―この最適化された情報提供、焦燥感を覚えませんか?

※補足※
ニュースサイトやニュースアプリによっては、公共性や視野の拡張を意識し独自の手法でニュースを提供してます。

なぜ恐怖を抱くのか...

興味関心軸に沿った広告も最適化されたニュースも、自身が認識している興味関心や属性、行動からパーソナライズされています。これらは、自身の興味外のモノを排除して知る機会を失い、視野が狭くなり、気付かぬ内に小さな世界を創り上げていくような気がしています。
パーソナライズされた情報の良い点は、深く知ることができスペシャリスト育成につながるかもしれません。しかしながら、狭い視野と小さな世界で出来上がった物差しが”普通”となってしまった時、なかなか生きにくいんじゃないかなと思います。

自分は認識していない、もしかしたら育つかもしれない可能性の”芽”を摘んでしまっているんじゃないか?!

私自身、今自分が見ているニュースサイトやソーシャルメディアの広告や情報のみで情勢を知れているのだろうかと、ふと怖くなります。様々な情報に触れることで気付くことができる新しい興味や価値観をもっともっと大切にしたいと、自身の成長の糧にしたいと感じています。

少しでも共感してもらえたら、スキ♡してください。とっても嬉しいです。

では、Stay safe and healthy:-)


▼参考記事
あなたの見ているニュースを隣の人は見ていない。ニュースはここまで“最適化”されている

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