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私と祖母のこと

私の祖母は、大正生まれ(大正最後の世代)

私が育った街とは少し離れているけれど、毎年夏休みと、冬休みには、家族で祖父と祖母のところに遊びに行っていた。

ご縁があり、私はその、祖父と祖母のいる街に就職して引っ越してきた。

いまは夫と、息子と、お腹の中に新しい命も、一緒にいる。

祖父は亡くなってしまったけれど、祖母にとって、ひ孫(わたしの息子)との時間は、言い過ぎではなく生き甲斐になっていると思う。

祖母は、祖父が亡くなってから、90歳を過ぎてもずっと一人暮らしをしていたけど、

今年ついに、娘(私の母)のところに、引っ越した。だから、祖母の家と、そして、家庭菜園には広すぎるくらいの畑が、空いてしまった。

誰もいない家に空気を入れ、畑のはしっこで少しだけ野菜を作った夏。

雑草でぼーぼーになってしまった広い敷地。

「ひぃばあは、一人でこんなに仕事をしていたんだねぇ。すごいねぇ。」と、気づいた夏。

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私は祖母と過ごすことで、野菜がどんな風に育って枯れていくのかを知り、果物がどんなふうに実っていくのかを知り、収穫した野菜の下拵えや、料理の仕方や、始末の仕方まで、教えてもらっていたのだった。

そして、海の街だから、魚の捌き方や、干し方、ホタテの捌き方や始末の仕方まで、、(これは意図的に、技を盗んでいた感はある)

それだけでない、

思い返せば、初の海外旅行は、70代の祖母と、私の妹と一緒に、イギリスへ行ったのだった。

そして、祖母が80代、私が30代になってから、わたしは祖母に書道を習ったのだった(祖母は師範)。私は、まったくの初心者から有段になった。

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細かいことをあげればキリがないくらい、私は祖母からたくさんたくさんのモノコトを受け取っていた。

「あんたこれ持って行きなさい」と肥料袋いっぱいのトウモロコシやジャガイモをもらって、さて、どうしよう。それを、まわりに配ることも覚えた。

友達にあげたジャガイモが、絶品コロッケになって返ってきたこともあった。

愛を出せば、愛が入ってくる。そんな循環があることも、祖母から教えてもらっていたのだった。

本当に、有難いこと。

ばあちゃん、ありがとう。

そして、これからも、私たち家族と、たくさんの思い出と経験を、共有できますように。