見出し画像

「何者かになって成功する」ことについて

人生の進路で困っていた時をきっかけとして、
私は「何者かになる」ということに強い興味を抱いた。

「何者かになる」とは?
それは、他者から「こういう人だ」と呼びやすい社会的立場を手に入れて、
ほどほどに成功した状態になることだ。

当時の自分の場合、
英語のできるエンジニア、研究者、病気の克服者、システムトレーダー…に
なって情報発信できないだろうかと考えていた。

「何者かになる」ということは、単純にアイデンティティを得る
ということだけではなく、
「自分の気に入ったものを得たい」という気持ちがある。
時にはモチベーションにもなるし、
得られないときの葛藤や、えり好みなどの動的な不安心理が発生する。

最も注意しなければならないのは、
「何者かになる」というモチベーションを搾取されることだ。
「将来的に何者かになりたいが、現在は何者でもない、
なんとかしなければ」という不安心理を利用され、
自己啓発やオンラインサロンに時間と大金を注ぎ込んでしまうという、
詐欺的な落とし穴がある。

また、「何者かになりたい」気持ちで飢えてしまい、
今現在を気楽に生きられなくなるという苦しみも発生する。

ただ、現状に満足できない何かしらの背景に気づき、
自己理解が深まるケースもある。
「何者かになりたい」という苦しみは、
自分の人生を有意義なものに変えるための、大事な材料なのだ。

最近、熊代亨『何者かになりたい』という本が発刊された。
文字通り「何者かになる」ということについて、
最近の潮流を丁寧にとらえた鋭い本だと思う。

社会的なアチーブメント達成だけが「何者かになる」ということではなく、
「子の親」などのアイデンティティを得ることなどにも言及されている。
若い人ではなく、中年の人向けにも書かれた内容があり、
「何者かになる」ということの多面的な記述がある。
また、「交換できるようなものはアイデンティティになりえない」という
鋭い一言が発せられている。

もし「何者かになる」ということが、
人生を逆転させる何かだと期待しているのであれば、
それは往々にして失望に終わる。

ラジオ人生相談で多くの悩みに対処し、
心理学的自己啓発書を記している加藤諦三は、
このような人生逆転をもたらすものを「魔法の杖」と呼んだ。
魔法の杖は存在しない。
存在しないのに求めてしまう、神経症的な心理を、
彼は警告している。

心理的面ではなく、社会的成功の面から、
「何者かになる」を考えてみよう。

「何者かになった」過去の成功者を観察して、彼らを見習う。マネをする。
一見当たり前の行動が、実は成果にまったく結びつかないことがある。
再現性の無さは、また別の書籍で言及されている。

フランス・ヨハンソン『成功は”ランダム”にやってくる!』によれば、
テニスなどの永くルールの変更がない、あるい変更が予測可能なものは、
そこに時間とリソースをつぎ込むことによって成功がつかめる。
しかし、ビジネスなどルールがコロコロ変わる世界で、
いくら成功例のプロセスや原因を突き止めても、そこには再現性がない。

「クリック・モーメント」と呼称する成功のチャンスは、
当事者に降りかかるランダム性と小さなリスクテイク、
発生する熱意、複雑な周囲の力学によって発生していたとのことだ。

成功が成功を呼び、知名度や周囲の承認・賞賛が与えられるのは
複雑な力学に加え、
「ハロー効果」という心理効果が働いているというのもある。

この点については、ふろむだ氏の
人生は、運よりも実力よりも「勘違いさせる力」で決まっている
が詳しい。

「何者かになる」ということは、心理学的なバイアスやゆがみから発生した
知名度や社会的信用を資産のように運用し、一定の閾値まで稼ぐということなのだ。

「ハロー効果」は、
人の一面を見ただけで、
「他もすごいのだろう。他もよくないのだろう」と、
人の評価を全体的に底上げしたり、あるいは一気にマイナスにする心理だ。
この心理によって評価は想像以上に上げ下げし、
それによって生まれた信用は各要素に対応して倍々になっていく。
(ふろむだ氏はそれを「錯覚資産」と呼ぶ)

SNSの台頭で、ちょっとしたきっかけで成功する人や、
「社会的信用の資産運用」で成功する人が目に入るようになった。
少なくない人がそこに「魔法の杖」があるに違いないと考えた。

昔のアメリカン・ドリームのように、
日本での成功譚が次第に強く求められて、
「何者かになる」という気持ちを抱く、
要因になっているのかもしれない。

「何者かになりたい」という、心理的な背景や落とし穴への自己理解。
再現性のない他人の社会的成功をマネするのではなく、
自分なりの小さなランダム性へのリスクテイクと、
社会的信用を運用することの意識。

「何者かになる」ことはとても難しいのかもしれない。
ただ、「何者かになる」ことと「向き合う」ことは、
決して雲をつかむことではなく、
何かしらの実を心理的、社会的な面で、
もたらしてくれるのではないだろうか。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?