あの日のおにぎりと嶋基宏のぬくもり

「田村さん、あのさ」
残業中、同僚が話しかけてきた。
「田村さん、本社にいたんだよね」

10年前の3月11日、本社での仕事を終えた私は、現在の事務所に帰るため、当時妊娠中の後輩を連れ、本社の駐車場を歩いていた。
まるで起震車のように揺れる地面。二人で手をつなぎ、ただ顔を見合わせていた。
「つながらなくなる」
電話だ。急いで本社に戻り、入口近くの部署から事務所に電話をする。
「二人、無事です。もう少し収まるまで待機してから戻ります」
かなり揺れていた。課長は「分かった。気を付けて」と言った。

建物の中に留まるのが怖かった。またすぐ駐車場に戻り、ガラケーのワンセグでニュースを見る。安藤優子がヘルメットを被っていた。スタジオも同じタイミングで揺れていた。
本社に面した国道に車の流れが戻ってきた午後5時過ぎ、事務所に戻った。

彼女は、電車が止まり帰れなくなった。課長と彼女、もう一人男性3人が職場に泊まることになり、自力で帰れる人は一旦帰宅することになった。
私は、自宅へは帰れないが実家が私の家から近いという上司を車に乗せて帰った。
「明日、迎えに来ますよ」
「明日は送ってもらうから大丈夫」
「分かりました。おやすみなさい」
そう言って別れた。水が吹き出ている道路を走り、水やカップ麺を調達して帰宅したのは10時半だった。

翌日の招集は7時。緊張と興奮で眠気も感じず、課長からのモーニングコールがあった6時には、職場に提供する布団を車に積んでいた。

昨日実家に送っていった上司は、「弟に送ってもらった」と言い、実家のお母さんが握ってくれた大量のおにぎりを持ってきてくれた。のりも巻かれている。コンビニおにぎりとは当然違う、やわらかいおにぎりだった。

「あのときのおにぎりと、田村さんが持ってた、おみそ汁。あれが本当に美味しかったのよ~」

まったく覚えていなかった。私は、いつも職場にインスタントみそ汁を常備している。昼には必ず飲むその小袋を、どうやら振る舞っていたらしい。

「やだーあんなインスタント!おにぎりは手作りだったけど」

おにぎりとの対比のクセがすごい。ぬくもりなどない私の差し入れじゃ、格が違う。

「いやぁコンビニに行っても食料ぜんぜんなかったし、一晩泊まってあのおにぎりとみそ汁はうれしかったよー」
「あ、そっか。それでコンビニで洗顔フォーム買ったんだよね」
「そうそう!課長のポケットマネーで。メイク落とさないと泊まれないから笑」

震災復興の象徴、嶋基宏の苦悩を知り、私は初めて、星野仙一の言葉の意味が分かった。
選手が被災地を回り、地元の被災者に声をかけ、ふれあう。これ以上の奉仕と地域貢献はない。しかしそんな中、星野仙一は言ったのだ。

>お前らの優しさは十二分に被災者に伝わった。でも、強さを伝えないと本当の優しさは生まれない。Bクラスばかりじゃ子どもたちは悲しむ。今年は強さを証明しよう

被災地から選手を取り上げるような発言。弱くったって、選手がいつも近くにいてくれることが、何よりうれしいことなのではないか。

しかし、そんなチームを見渡せば、あの有名なスピーチの重圧と練習不足の状況にジレンマを感じ、体力と時間をすり減らして痩せていく嶋がいた。
慰問と野球の両立が難しいことを肌で感じていた星野仙一なら、嶋を野球に専念させたいと思ってしかるべきだ。

嶋は今、36歳。まだ26歳の若者が、キャッチャーならではのキャプテンシーを発揮し、被災地の野球球団の選手会長として発信した勇気あるスピーチは、10年経っても忘れ去られることはない。
嶋は、自分たちが地域に支えられ、地域から頼られ、憧れられている存在だということを十分分かっている。そして、そう振る舞ってきた。だから、苦しんだ。

あの日のおにぎり。そして、満身創痍で東北の人に寄り添い続けた嶋基宏。あたたかく、ふんわりと、やわらかい。昨日のことのようにそのぬくもりを感じ、感謝がとまらない。

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