マー君と言えば

田中将大が、日本球界に帰ってくる。

古巣・東北楽天ゴールデンイーグルスへの復帰だ。仕事が終わってスマホを開くと、SNSには楽天ファンの喜びであふれていた。石井一久球団GM兼監督は、「球界最高年俸」を公言した。

「楽天優勝」という歓喜の声。マー君に思い入れを持っている人たちにしか分からない喜びがそこにある。マー君を応援してきた楽天ファンの物語がそこにあるのだ。こんなときは、その輪の中にいる人たちがうらやましい。

マー君と言えば、野村克也だ。ヤクルトファンの私にとっては、「野村克也が、かわいがっている、マー君」が印象に残る。

野村克也は、勘を大切にする人だった。野村ID野球。データ重視の野球を90年代の若いヤクルトの選手に教育し、ヤクルト黄金時代を作り上げた。
一方で、「耳の小さい選手は勘がいい」「足の速いキャッチャーは大成しない」と、飯田哲也を捕手から外野手にコンバートさせている。
長年の野球人生で統計を取った結果だろうか。そうであれば、それもデータだ。決して勘ではないのだが、真相は分からない。

調子の悪いはずのマー君に、何故か負けがつかない。その不思議な現象は、野村克也のデータになかった。そこでつい口をついたのが、あの有名な言葉、「マー君、神の子、不思議の子」だ。

野村監督らしいと、そう思わされる名言だった。

マー君の写真を撮ったのは、2008年北京オリンピックのときだった。3位決定戦の試合前、ブルペンを見下ろせるライトスタンドから、甲斐甲斐しく雑用係をしていた一番年下のマー君を見たのが、最初で最後だと思う。
当時は今のように一眼レフに超望遠レンズを抱えて球場には通っていなかった。
そして、ファイターズと出会う前の私は、マー君どころかパ・リーグの試合をしっかり見たことがなかった。知っていることと言えば、マー君が24勝0敗で楽天に優勝をもたらしたことくらいだ。

マー君は、どんな投球フォームなのか。頭は動くタイプなのか。足は縦の画角に入るのか。マイSDカードがマー君の連写で埋まっていくのが目に浮かぶ。

さぁ、そろそろファイターズの遠征日程を決めなければならない。楽天戦はいつだろうか。忙しくなってきた。

◇◆◇◆◇

北京オリンピックは、父とふたりで観戦した。仮設の五棵松棒球場で、同じくブルペンを見下ろしながら父が言う。

「田中は、楽天に入ってちゃんと育ったなぁ」
「……田中って誰だよ」
「ん?田中」
「……いや、マー君って言えよ!」

東京オリンピックは、また父を誘おうと思っている。北京オリンピックのリベンジだ。だから、こうなった以上、マー君にはオリンピックに出てもらう!

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