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おじいちゃんと三輪車

私が小学生に上がる前、4歳くらいの頃、まだ三輪車に乗っていた。

「三輪車はあまりスピードが出ないのでつまらないな」と思い、26インチの祖父の自転車に、三輪車を紐でくくりつけ、スピードを出して引っ張ってもらう、というスーパー危険な遊びを思いついたのだった。

4歳児には「車輪の大きさと回転数がちがう」ということまで気が回らなかった。

孫にせがませれて張り切ったおじいちゃん。

スピードを出して引っ張ってくれたものの、私の三輪車はついていけずに横転し、私の頭は道路脇の細い溝に逆さまにはまった。

急に視界がぐりん!と引っ繰り返り、何か大変なことになったかもと思った。

おじいちゃんは自分の着ていた「はだじばん」(夏の下着)を脱ぎ、私の頭にあてると、じばんはすぐに真っ赤に染まった。

すぐに抱き抱えられて自宅に戻ると、祖母は祖父を怒鳴りつけ、当時出戻って同居していた叔母は「トモコが死ぬ!」と言ってパニクりぎゃーぎゃー泣き喚いていた。

さらに田舎だから救急車を呼ぶと隣近所に迷惑だとか言ってもめている。頭が割れてぐったりする私。お隣のおばちゃんまでやってきて私以外が阿鼻叫喚。 カオス。

4歳児の私は頭から血を流して意識朦朧としながらもムカつき「そんなことどうでもいいから早く救急車呼んでくれ!死ぬ!」と思っていたことを覚えている。意外と大人なんだよね、4歳。 

唯一、頼りになる父は残念なことに隔日勤務の泊まりの日でいなかった。

結局タクシーで病院へ行き、すぐ何針か縫われた。局所麻酔なので意識はあり、頭を「ぶちっ、ぶちっ」と縫われている音を聞きながら、「これはきっと動いてはならぬ」と思い、泣きもせず耐えた。

血はたくさん出たものの大したことはなく、その日のうちに帰宅。モンチッチみたいなショートヘアだったので、部分的にちょっと剃られて、ネットを頭から被せられ、それでも割と元気だった。

帰宅した父はなにも知らなかったので私を見ると「なにそれ新しい帽子?」と言っていた。まぁ、その後、多分家族であれこれあったことと思う。

スピード狂の4歳児の思いつきで、おじいちゃんには肩身の狭い思いをさせてしまった。あの時はごめんね。縫いあとのハゲはもうわからないよ。

そろそろ97歳の大往生で他界した祖父の命日なので、思い出話をしてみました。良くしてもらったのに、こんなろくでもないことしか思いつかなくてごめんなさい。

皆さまメリークリスマス、そして良いお年を。








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