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7.Catelo de Sao Jorge サン・ジョルジュ城

Ⅱ:◇ サン・ジョルジュ城で遊ぶ
 ポルトガルに着いてまだ時差を抱えての二日目は、母国語が通じないこれまでとは違う生活への慣らし運転のようなもの。いきなり世界遺産では感覚がついてはいかない、最初の訪問地にサン・ジョルジェ城を択んだことは妥当ではないか。此処サン・ジョルジュ城からテージョ川に寄り添うリスボアの街を一望する景色は、輪郭の遠くに「4月25日橋」、その内側に家並みの統一された色が水面のコントラストに美しい。

 城の変遷は世界史の復習よろしく、古代ローマの砦を基とし5世紀西ゴート族、9世紀ムーア人、12世紀キリスト教徒、14-16世紀ポルトガル王家と主を変えてきた。確かに歴史の足跡が明確に残っているのだが、その歴史を辿る為に訪れたというよりも、歴史が今(現代)に溶け込んでいる場所を訪れたという感じだった。35度を超える猛暑の中でも、木陰から見下ろす其処には心地よい風が渡り、ゆっくりとリスボアの街を見渡せた。

 ふと沖縄本島北部にある今帰仁城跡を思い出した。13世紀まで歴史を遡られる城跡。今はサン・ジョルジェ城よりも残すものが無く堅牢な城壁が主だったが、自然の要塞である絶壁に近い淵に佇むと守り人の気持ちが伝わるようだった。何も現代の建造物を造り足さないことで却っていにしえが見えるようだった。同じことがこの中世の城にも言えた。復元家具や肖像写真の類が無いからこそ、歴史が洗ったその城壁を誰の目でもなく私たちは自分の目で邪魔がなく見ることが出来る。この時に私たちは歴史と対話しているのだろう。

 眺望が良いその場所に居続けられる程時間の余裕がない旅行者の身の上、お国は解らないが互いに写真を撮り合った後、木陰から勇気を持って出る。因みに陽はこれからが一番高くなる時間だ。どの観光案内でも多くの頁を割かれていないサン・ジョルジェ城。前知識も無いため城跡散策程度と期待が無かったのだが、見上げていた城壁上部の殆どの部分を実際に歩くことができ城壁の造りもよく解った。自分の足で確認するように歩けることは意味が深い。ドラクエのダンジョンを彷彿させる城跡を結果、隅々まで楽しむ。

 上写真は市内のどの場所からも見える、国旗が掲揚されている一番高い塔に上った一枚である。写真撮影をお願いするには被写体の場所移動(=下に居る人にカメラを預けて上り直す)を伴う為高難易度だったが、気持ちは人種を超える。つまり、観光客が撮って欲しい場所はお互い様なのだ。「OK。でも、君らを撮った後に僕らも塔に上るから同じ場所で撮ってくれ」と交渉成立。こちららが遠慮しながら控え目最小限のお願いなのに対して、相手は丁寧にアングルまで指示を加える強者だった。今こうして振り返って、不自由な言葉で良くもここまで細かいコミュニケーションを交わしたものだと我ながら感心する。これらの背景には、少なくともも観光客同士の場合はカメラ等を盗まれる危険性がポルトガルではなかったことがある。
 石だらけの場所。
 木と紙で出来た日本の歴史建築物とは異なり柔らかさは無い筈なのに、コンクリートの無表情とはまた違い長い歴史を見てきた城には包容力がある。人を受け入れる。
 私が故郷長崎で稲佐山を視界の一部で常に捉えているように、リスボアの人々も生まれた時から其処に在ったサン・ジョルジェ城を「建物」ではなく自然の山のように見ているのではないだろうか。
 私たちは日中の影が短い時間に訪れたが、次回は光が斜めから射す夕刻に訪れたい。


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