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「わたくしどもは。」

監督:富名哲也
制作国:日本
制作年・上映時間:2023年 101min
キャスト:松田龍平、小松菜奈、大竹しのぶ、田中泯、辰巳満二郎、石橋静河

「名前も、過去も覚えていない女(小松菜奈)の目が覚める。舞台は佐渡島。鉱山で清掃の仕事をするキイ(大竹しのぶ)は施設内で倒れている彼女を発見し、家へ連れて帰る。女は、キイと暮らす少女たちにミドリと名付けられる。キイは館⻑(田中泯)の許可を貰い、ミドリも清掃の職を得る。
ミドリは猫の気配に導かれ、構内で暮らす男、アオ(松田龍平)と出会う。彼もまた、過去の記憶がないという。言葉を重ねるうちに、ふたりは何かに導かれるように、寺の山門で待ち合わせては時を過ごすようになる。そんなある日、アオとの親密さを漂わせるムラサキ(石橋静河)と遭遇し、ミドリは心乱される。」*公式ホームページより

 「(略)佐渡金山はその撮影後に初めて訪れたのですが、傍にひっそり佇む無宿人の墓から無宿人という存在を知り、この映画がスタートした気がします。何かしらの理由で戸籍を奪われた無宿人たちは、江戸時代に内地から佐渡に連れてこられ鉱山での過酷な労働の中、その多くは数年で亡くなってしまったそうです。直接的に彼等のことを描かないにしても、インスピレーションはそこで湧いたのです」とインタビューで監督は話されている。

道遊の割戸

 人間の欲が作り出した佐渡金山の頂上がV字に削られた道遊の割戸は、この作品ではあの世とこの世を結ぶ通り道として見立られているように、無宿人という存在はあくまでもインスピレーションであり、作品で描かれているのは魂の浮遊に映った。

佐渡島にも能が存在

 能も然り、どこまでも日本的な静の世界は外国の方にはどう映り、伝わるのか。主題であろう四十九日の死生観は鑑賞前に注釈が無くては欧米には伝わり辛いのではと考えはしたが、もしかするとそこまでのお世話は不要か。
 実はカトリック教徒の私は日本人という基盤がある所為かもしれず欧米のキリスト教徒と一緒には論じられないとしても、まるで四十九日を描いた御伽草子を見ているようで違和感よりもとても興味深かい世界だった。
 誰も見たことがない生と死の狭間世界が幻想のようでありながらもこれもまた一つの世界感ではと展開していく。

 映画では時々使われる名前、人の氏名の扱い方。
 現世で呼ばれている名前は一時的なのかしら、と改めて考えてしまう。
 仏式の葬儀を行うためには仏教徒としての戒名が必須とか。仏教では、俗名ではなく戒名で葬儀を行うことで極楽浄土に導かれる(*宗派で解釈の差あり)と考えられているのであれば、作品内において戒名は省いても俗名が無いのは納得か。
 カトリック教徒のクリスチャン・ネームとは違う世界。

館長役 田中泯氏
キイ役 大竹しのぶさん

 田中泯氏、大竹しのぶさんらが脇を固めることで御伽草子の絵に確かな輪郭が加わり単に不思議な世界に留めずに話に奥行を持たせている。

 作品全体どの画面を切り取っても全くの隙が無くとても美しく、風が吹き渡るその一瞬さえレンズは待ち深い緑に躍動感を与えていた。
 終始、画集を見ているようだった。

 きっと、多分、万人受けはせず観る人を択ぶ作品。レビューも分かれそうだが、私はもう一度観たい。佐渡島にも訪れてあの溢れんばかりの緑を見たい。
 死んだ後に訪れるだろう魂の所在。
 誰も知らないからこそ、自由に描かれていい。
★★★☆


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