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「オッペンハイマー」

原題:OPPENHEIMER
監督:クリストファー・ノーラン
制作国:アメリカ
製作年・上映時間:2023年 180min
キャスト:キリアン・マーフィー、エミリー・ブラント、マット・デイモン、ロバート・ダウニー・Jr.、ケイシー・アフレック、ラミ・マレック、ケネス・ブラナー

 日本では公開されるのだろうかと声が上がっていた頃から気になっていた作品だった、上映期間や上映館が限定されてもきっと行くのだろうと。
 仮定形の話は意味を為さないのだが、彼ら原子爆弾開発科学者と当時のアメリカ為政者の決断が無ければ私は今こうして映画館の椅子でこの作品を観てはいないのだと考えると表現出来ない感情に襲われた。
 東京のこの館内に一体何人の被爆者、或いは、被爆二世、被爆三世が座っているのかしら、と今回は誰も誘わず一人で鑑賞。

世界初の核爆弾実験場

 この作品で被爆地に触れられないことが公開前から議論されていた。
 しかし、監督は去年ニューヨークで行われた試写会でのインタビューで「映画では原爆で多くの人が死ぬ場面はなく、被害を強調していなかった。なぜなのか」の問いに対し「オッペンハイマーの経験から逸脱することはしたくありませんでした。オッペンハイマー自身、広島と長崎への原爆投下についてラジオで知ったのです。それを知った時、私自身もショックでした」と答え、作品内でもこの言葉が映像化されている。

 長崎市に原爆が投下されなければ私は生まれず、私が一度も会うことが叶わなかった多くの親戚が今も生きていた事実。
 では、誰が一番の責任を負うのかと考える時、少なくとも私はオッペンハイマー氏「一人」が背負うものではないと考える。
 当時の社会情勢(ヒットラーの台頭とドイツの核開発)を背景にアメリカで敵国日本をターゲットに核開発が進行する中、オッペンハイマー氏が組み込まれていく。彼が所長となり主導しなくとも開発はいずれ他の科学者が択ばれ始まっただろう。
 開発に携わった科学者らが積み上げたきた検証を実証したい気持ちが理解出来ない訳ではないが多くの市民を巻き込む戦争をそのに実証実験場には絶対に択んではならなかった。

多くの死を犠牲にした成功

 オッペンハイマーが所属していた科学委員会が旧陸軍省に対し可能な限り早急に日本に原爆を投下するよう勧めていたこと、これは許せない。
 しかし、アメリカの科学者が全て原爆投下を同意していた訳ではなかった。作品にも反対署名シーンが描かれていたように、実際にも原子爆弾の戦争利用を反対していた科学者グループが存在していた。

成功から始まる後悔

 広島に原爆が投下された日の夜、ロスアラモスでは歓声が上がり彼は喝采を浴びたが原爆の完成がドイツとの戦いに間に合わなかったことが唯一の心残りだと語ったそうだ。
 結局は、どこかには落とされる原爆だった。日本でなければ良いという問題ではない。

Prometheus

 ギリシャ神話のプロメテウスは天から火を盗み人類に与えた罪で苦難を強いられる罰を受ける。
 この作品で何度か出てくるプロメテウス、そして、比喩。
 プロメテウスが人類に与えた火とオッペンハイマー氏ら科学者が生み出した核の火、諸刃の剣である分かり易い両者の火。
 又、プロメテウスが罪で苦しむ姿にオッペンハイマー氏のその後に続く苦悩を重ねている。
 同じように引用された言葉に:
 後年、この爆発を目の当たりにしたときの思いを古代インドにあるヒンドゥー教の聖典である『バガヴァッド・ギーター』の一節である、ヴィシュヌ神の化身クリシュナが自らの任務を完遂すべく闘いに消極的な王子アルジュナを説得するために恐ろしい姿に変身し、I am become Death, the destroyer of worlds.(われは死神なり、世界の破壊者なり)」と語った部分を引用。

 作品に対する反応の多さが被爆国故のなのか、アカデミー賞多数受賞作品だったからなのかは確定出来ない。けれども、国内でも原爆の詳細を知らない人は戦争を知らない人と同様に多くなっていく中、この作品が核開発を再考する契機になることを願う。
 原爆投下が歴史の中で正しい判断と見なす人々が未だ多いアメリカにおいては今一度核兵器について考える機会になるのであれば投下シーンがなくとも意義はあるのだろう。

★★★★
 

 

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