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「愛する人に伝える言葉」

原題:De son vivant
監督:エマニュエル・ベルコ
製作国:フランス
製作年・上映時間:2021年 122min
キャスト:カトリーヌ・ドヌーヴ/ブノワ・マジメル/セシル・ド・フランス/ガブリエル・サラ

 がん宣告を受けた主人公ブノワ・マジメルが演じるバンジャマンがいずれ訪れる死を苦しみながらも受容し自ら幕を引くまでの姿が描かれる。
 カトリーヌ・ドヌーヴの名があるだけで親子が死に立ち向かう作品と勘違いされそうだが、実際は実に控えめなカトリーヌ・ドヌーブ演じる母の姿があった。それも演劇的な大仰な如何にもといった演じています母ではなく、また、美しすぎる母でもなく時に子を思うあまりに理性を投げ捨てても医師に向かうリアルな母を演じられていた。

母と息子

 沈黙の臓器と云われる膵臓は、がんに罹患した場合症状が出た時はほぼ手遅れといわれている。バンジャマンもその例に漏れず膵臓がんステージ4と診断され、名医と呼ばれるドクター・エデを頼って来院するが表面的には非情にも映る淡々とした言葉でドクターは完治の手立てがないと伝える。

ドクター・エデ

 病に倒れたバンジャマンという役を理解するにあたっては「すい臓がんは自分に原因がありませんから、まずは怒りがある」と感じ、また、「不当だという怒り」を持ちながら「避けられない運命と闘う力が自分にあるのか」を考え続けたとインタビューで語るブノワ・マジメル。
 同じく、ドクター・エデもがん宣告は患者にとって如何に不当な病気かと共有しながら「命が絶える時が道の終わりですが、それまでの道のりが大事です」と励ます。

患者のこころを見捨てない医師に次第に信頼を寄せるバンジャマン

 医師のネクタイがふざけたデザインに見えたバンジャマンがそのことを告げると、「次に見える患者さんが好きな絵なのでね」と。患者の好みに合わせるネクタイのデザインはある日のネクタイ柄がバンジャマンに合わせられていることに気が付く。
 現実からは逃げないことが、患者にその場だけを繕うための嘘をつかないことに通じる。けれども、そこから先に患者は一人苦痛に取り残されないよう医学治療他の配慮が一医師のネクタイ柄だけではなく病院全体で行われていることに救われる。

看護師のミーティング

 世間一般の職場とは異なり日々の中に死が存在する病院。
 死に対して病院側の人々が慣れることは患者にとっては時に悲しいことも生まれてくる。
 この作品の中では看護師らのミーティングで患者の看取りで何を感じたのかということを吐露、或いは、苦しさや悲しみを投げかけていくことで看護師の精神が保たれるシーンを羨ましく観た。看護師の心のケアも病気の人々を支えていくことに繋がっていく。

 「彼の変容のすべての段階を選びました。私は、衰退でなく変容と呼びます。映画の美学にはある傾向があります。映画の中の人物には美しくいてほしい。光線も美しくあってほしい。ですから病院特有の青みがかったライトは登場しません。その意味では、病院のセットでは、リアルな表現は何一つ採用していません。とにかく人々を美しく撮りたかった、なぜならドラマの中の人物は、伝統的に美しく輝いてきたからです。ブノワ・マジメルには、病や化学療法によって打ちのめされた人間の姿などしてほしくありませんでした。観客が、彼を見るのが辛くなるようなことは絶対に避けたかった、死に近づいていく段階においてもです。この映画の目指すところは違います。描きたかったのは感情であり、心情であって、がんによる肉体破壊ではありません。」
*公式HPより監督の言葉

 彼が勤務する学校の演劇授業から始まり、どのシーンでも無駄がなかった。死とは遠い生徒らの命溢れる授業場面では言葉の扱い方や向き方を問う教師であるバンジャマン。
 その問う姿勢は、また、自身にも通じる世界だ。

 作品を観終わりドクター・エデの存在が大きく残る。彼の言葉は台詞を超えて響いてくるのだ。
 復習で作品を調べていく中で彼が俳優ではなくリアルドクターであったことに驚くと同時に納得もした。

 この邦題でなければもっと多くの人に観てもらえただろうにと残念。
 用意したハンカチは予想通り涙で重くなった。
★★★★
 
 


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