知らない人の骨を回収した話①

私が丁度20歳の頃、顔も知らない人の骨を回収しに旅をしたことがある。旅というには大げさかもしれないが、旅行というには少し歪だ。今回はその旅について備忘録代わりに書いていこうと思う。

そして同じ状況に陥った方の参考になればいいと思う。(人類のほとんどの方は絶対に陥らないので安心してほしい)

家に届いた手紙

ある冬の始まり頃、我が家に手紙が届いた。大阪府のとある町の役所からだった。

我が家は北海道に位置していて、親族も皆、北海道にいるものばかり。ましてや役所なんていう仰々しいところからの手紙なんてますます身に覚えがない。

手紙を開封してみると内容は“生活保護の返還金を払ってしてほしい”と言うものだった。

生活保護?大阪で?保護された記憶はないが?とさらなる疑問を生んだ。誰かやらかしたのだろうか…なんて失礼かつ不穏なことを考えた(私の親類はいつも何かをやらかす人たちばかりなのである)が、生活保護を受け取っていた人物欄を見て合点がいった。

大阪で生活保護を受け取っていたのは60年以上行方不明だった私の大伯父だったのだ。

60年以上行方不明の大伯父

大伯父は私の母方の祖父(同居)の兄。祖父は当時70代前半。それよりも年上のはずだが、詳しい年齢は覚えていない。書類に記載していたかもしれないが記憶にない。恐らく80歳はいっていなかったと思う

大伯父は祖父が小学生、大伯父が中学生の頃だか中学卒業したての頃だかに行方不明になったと聞いている。行方不明と書くと犯罪のにおいがしてしまうが、なんてことはないただの家出だ。

「上野でコック(料理人)になる」と言い残し、姿をくらませた。戦後真っ只中、捜索願も出したらしいが高校進学率も低い当時、田舎の少年は大人のように概ね働きに出ていただろうし事件性も薄かったため、捜査はろくにされなかっただろう。

失踪してしばらくは金がなかったのか誰もいない時間にこっそり帰ってきては家のモノを勝手に質屋に売って金を得ていた形跡があったようだが、それも時期になくなっていった。

そこから大伯父がどこでどんなことをしていたのかは誰も知らない。

1度だけ曾祖母(大伯父の母)が亡くなったとき、大伯父から電話が来たことがあった。居場所や現在の様子などは全く話さなかったらしいが、祖父が「おふくろ、死んだよ」と伝えると「そうか」と言ったあと1万だか2万だかを送ってきたらしい。葬式には来るそぶりもなかった。

大伯父が何故電話してきたのか最後までわからなかった。曾祖母が亡くなったのをどこかから聞きつけたのか、はたまた金の催促だったのかわからない。それ以降、大伯父から電話が来ることはなかった。そもそも連絡の取りようはもうなくなっていたのかもしれない。というか何故、こちらに大伯父が電話をかけることができたのかも謎だ。

祖父は大伯父失踪当時小学生。兄である大伯父と接していたはずだが幼かったからほとんど大伯父との記憶はなかった。60年以上行方不明の人物の顔や出来事を覚えていろというのがそもそも無理なのかもしれない。唯一、大伯父の記憶がある曾祖父母(大伯父の両親)はとっくに亡くなっていたし、戦後であったためか大伯父の写真などは1枚も見つからなかった。

家族である私たちは大伯父に関する記憶が一片もない、誰一人顔さえ知らないのだ。

生活保護と大伯父

そんな大伯父は大阪で暮らし生活保護を受給していたようだった。

本来生活保護は受給しようとすると近い親族に「あなた方が養ってあげられないんですか?」というような援助を求める確認書類が来るはずだが、私たちはそんなものを受け取った記憶はない。どういう経緯で受給にこぎつけたかはわからないが、事実、大伯父は生活保護を受け生活をしていた。

恐らく我が家に返還願いが来たということは、大伯父には家族がいない。結婚していたり子どもがいたりすれば、その家族に生活保護返還願いが届くだろう。もしくは家族がいたけれど拒否されてしまったか…。

それに年金をもらえる年齢のはずだが、生活保護を受給していたということはもしかしたらもらえていなかったのかもしれない。税金を払っていなかったのか、ごくわずかな額しかなかったのか、余程困窮していたのか…。

どちらにしろあまり良い生活環境だとは思えなかった。

しかし60年以上行方不明だったのにどうして今更書類が届いたのかと疑問だったし、生活保護の返還金とは?と頭を抱えそうになったがその疑問は書類に目を通してすぐに判明した。

大伯父は亡くなっていた。

遠い大阪の地で。

亡くなっていた大伯父

亡くなってからすでに数カ月も経過していた。

“生活保護を返還してほしい”というのはつまり「生活保護を支給しており様々な事情でもらいすぎていたが、本人が亡くなってしまったので相続人のあなたたちが代わりに返還してほしい」という意味だったのだ。

そもそも数か月前まで生きていた事実が驚愕だった。60年以上行方不明だったのだ。ほとんど生存を諦めていたというのが実際のところだ。生きている知らせもなければ死んだ知らせもない。本当に空白の人だったから。

正直、どこかのやばい業者にでも金を借りて東京湾に沈められたか、山の中に埋められてるかしていてもおかしくないな…と思っていた。死体が出なければ連絡はこないだろう。

正直、あまり良い性格ではなかったのでは?というエピソードを母から少しばかり聞いていたし、大伯父の弟である実の祖父は問題児で何かとトラブルの絶えない男だ。そんな現状を見つめてしまうと大伯父にポジティブな感情は沸かなかった。

私以外の家族もそう思っていたのか、曾祖父母が亡くなってから大伯父を探そうという話題になったことはない。薄情だが私は大伯父に興味がなかったし、見つけてトラブルに巻き込まれるのはごめんだった。

一方、ただ一人大伯父を知る祖父は私たちとは違う何かを抱えていたのかもしれない。

母が急いで手紙の送り主である役所に電話すると少しだけ詳細が聞けた。

大伯父は数か月前病気で亡くなったこと、生活保護を受け生活していたこと、当時配偶者はいなかったこと、連絡の取れる身内を探し戸籍を辿って相続人である私たちにたどり着いたこと、亡くなってからの火葬や遺品処分は役所の方で費用を負担し行ってくれたこと、大伯父の骨は火葬を行った墓地のほうで保管されていること…。

戸籍は失踪当時のままだったらしい。やはり目ぼしい身内はいなかったらしく、私たちをわざわざ戸籍を辿り行き着いたのだ。

火葬や遺品処分を役所でやってくれたのは本当に助かった。北海道から大阪の地に赴くのは骨が折れるだろうし、そういうことには時間もお金もかけようと思えば幾らでもかかってしまう。「ありがとう役所様」と母と共に手を合わせたのは言うまでもない。

最終的に生活保護の返還金もそれほど大きい金額ではなかったので、我が家で支払うことに決めた。

それに一番懸念していた借金も大伯父にはないことが発覚した。私たちが大伯父の死を知って3か月間は相続放棄の手続きが可能となる。その間に急いで借金の有無を調べたが、彼の負債は生活保護の返還金だけだった。借金があるのに返還金を払ってしまうと相続放棄できなくなり借金を相続してしまう事態に成り得るが、一応借金はなかったようだった。もちろん相続できるような財産もなかったが、負債がないだけ御の字だ。

もちろん相続放棄という手もあった。そうした方が良いのでは、という声も上がった。相続放棄をすると返還金も払う必要はないし、どうせ相続する資産もないのだから一般的にはその方が妥当だろう。

だが、支払うことにした。祖父がそう言ったからだ。

祖父からしたら大伯父は実の兄だ。記憶の中では微かな兄でも家族としておもうことがあったのだろう。

祖父と大伯父の父である曾祖父は死ぬ間際、朦朧とする意識の中でずっと大伯父の名前を呼んでいたらしい。祖父は時折「兄貴は長男だから良い名前をもらってて羨ましかった」と呟くことがあった。

行方不明になった兄をずっと思い続ける両親を見てきた祖父はどんな気持ちだったのか。私にはわからなかった。

これでやっと大伯父の問題が終わると思っていた私たちに祖父はとんでもない一言を放った。

「兄貴(大伯父)の骨を引き取りたい」

と。

この一言で私は遠い大阪の地に骨を回収しに行くことになるのだが、これはまた次回に書いていきたいと思う。

①なのに長くて読みにくくなっちゃったなぁ~と反省しつつもこの話を書ききれるか…いささか心配だが頑張ろうと思う。

それではまた次回。

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