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自撮りを始めてみる

自撮りのイメージ

自撮り。
嫌悪感がある自撮りを昨日から始めてみた。

私にとっての自撮りは、
ナルシストで、自分に自信がある方しかできないものである、というイメージ。
そして、自分の自撮りを見たときは得体のしれない嫌悪感みたいなものがある。
(しみ増えたな、ほうれい線すごいな、あれ思っている以上に歳とってるな)

始めようと思ったきっかけは、タントラフレンズの[自撮りをやろう的なサービス](彼女の目的は明確よ、ここでは割愛)の声かけで、私は1週間遅れて参加。

最初は迷っていた。生後1ヶ月の乳児と、赤ちゃんがえりしてる7歳の娘の家の中で「今自撮りしたらやばいじゃん、もっと自分が嫌いになる。女として自信なくなるからやめてこう。」と思ってたから。現在、東京の9月、まだまだ暑く、家の中では、無印のブラトップ(大体乳が半分はみ出てる)、パタゴニアの短パン、髪はいつもおだんごでボサボサ。笑)

たまたま彼女から連絡があって、勢いで「やる!」と決めて申し込んだ。
この瞬間で決められるものって大体必要としているもの。

さて、子供を寝かしつけた後、結わいていた髪をほどいて、オイルテカテカの顔でパシャリ。誰もいないから笑う必要もないし、嘘っぽくなくてなんだかいい感じ。w そして、LINEグループに今日の一枚を投稿して完了。これを2ヶ月継続する。

この公開するっていうのが勇気がいること。
ナルシストとか、自分のこと好きだなって思われないかな、とかさ。
でも気づいたんだけど、自分のこと好きなんだからいいじゃんね。w

期待すること


私、むやみやたらに笑わない人間になりたい。
日本だと笑顔でいよう的な風習があるよね?
大学くらいからよく人に笑顔を褒められてた、そしてそれがいいと思ってた。

ヨガ正社員時代、8年くらい前?、後輩が私のヨガクラス受けてくれた後のフィードバック。「Amriさん(以前のイントラ名)って、いっつも笑顔なんですね。最初から最後まで。」これを聞いた時に、心を見透かされた気がした。当時、ヨガクラスに自信がなく笑いで誤魔化してたのだと思う。

2年前、笑わない人にあった。それはOSHO瞑想に導いてくれた人である。
もちろん彼女は面白いことは笑う、深夜大爆笑もした。
でも笑う必要がないとき一切笑わない。

この場面に遭遇した時、自分の笑顔が「自分をごまかすための笑顔」だということに気づいた。ごまかすのは、自分の感情で、恥ずかしい、怖い、人からどう思われるかというものである。

そこから少しづつだけど、面白くなく笑う必要がないときは笑わない練習を日常でしている。

要は、笑いで自分も周りも誤魔化さない。

そして、反射的に笑顔になるのが、カメラの前。
自撮りはやってみて全然笑顔にならなかったから、意味があるのか分からないけど。
今は、自分の無意識の表情を見てみたいと思う。
それは、顕在意識でなく、潜在意識に出逢いたいという感覚と同じ。

それらをまるっと受け入れてみたい。

自撮りの旅は、後2ヶ月続く。
また経過を書きたい。






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