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巨人・大鵬・卵焼きの話。

皆さまこんにちわ。いつもお読み下さり感謝します。
今回は昔の時代のお話を書きたいと思います。

 昭和の30年代から40年前半くらい1960年代〜1970年代くらいだと思います。国民に人気だと言われて発表されたのが ”巨人・大鵬・卵焼き”でした。、、と言われても関東に住んでいる訳では無いので、巨人と言われても、長嶋、王は知っていてもあとは知りませんし、ファンでも無い。
相撲の大鵬と言われても全く興味のない話で、ただのデブんちょが何かやってるくらいにしか思っていませんでした。後々千代の富士の筋肉はすごい!と言う感じです。それ以外の相撲取り、、え〜、、知りません。
卵焼きなんていつも食ってたし、特別思い入れもありませんでした。

 当時、珍しかったカラーテレビがウチに来て、嬉しい反面、夕方には相撲、夜には野球、、野球が終わる時間には「寝る時間だ!」と寝かされる。
夜に自分が見たい番組を見てると、「アホになるから見ちゃだめだ!」「子供はテレビを見てはいけない」私にとって理不尽さを感じていて、面白くなかった時代でもあります。

屋敷の居間には金華山柄のおどろおどろしい猫足のソファーセットがどーんと置いてあり、本当に嫌だった。そして大好きだった母が消え、新しく義母が居座り、子供の時代の大嫌いな三種の神器であるピーマン・ネギ・にんじんを食べるまで、台所に監禁されるという地獄の日々が始まるのでした。
そんなことを横目で見ながら姉は自分の三種のご馳走を私の皿に横から盛り付け、さっと自分の部屋へ戻って行くのでした。小学生の記憶では夜中の12時までほぼ毎日やられてました。にんじん持ったまま座って寝るという、本当にトラウマです。
ある時にドライブインで食べたオムライスに入っていた玉ねぎがちゃんとみじん切りにされていなくて、端っこの部位で丸く蓋のようなものが入っていて、それが喉にまともに張り付き、息が出来なくなり、盛大にリバースするも取れず、死にかけたことで玉ねぎも嫌いなものに入賞するのでした。

 ほぼ毎日、親父に連れられ、キャッチボールの相手をさせられ、当然球を受けることなど出来る訳もなく、シュルシュルと音を立てながら飛んでくるボールを顔面でクリーンヒットさせながら顔中アザだらけになったり、柔道着を着せられてモロにぶっ飛ばされたり、そりゃ、嫌いになります。
親父の話では野球で奨学金取ってボクシングと柔道やってたらしい。

んなもん、知らんがな。誰得?

こんなことが完全にトラウマになり、野球は嫌い、柔道は嫌い、な、少年が誕生する訳です。

 社会人になって絶対に話題を振られる野球の話、興味無いどころか、嫌いなものの上位トップ3に堂々と入賞していたので会話を合わせるのが本当に苦痛でした。 わーきゃー騒ぐのであればオメーひとりでやってろよ!と思っていました。中には真剣に野球とゴルフの話をしてくる奴がいて、鬱陶しいから本当に私の趣味はアメリカズカップをはじめとするワールドヨットレースを見る事だと話すとみんな知らないので黙ります。
野球と違い、このワールドレースは命懸けで走るヨットレースで毎年新技術を取り入れ、莫大な開発費用を投入して、長いレースで数ヶ月かけて地球を一周するような超過酷なレースなのです。

近年日本のチームが入賞したことで世界的に大ニュースにもなりましたが、日本国内では全く報道されません。
ボルボやオラクルを始めとする世界の一流企業が出資や協賛、出艇していて、海のF1と言われるくらいすごい規模なのです。


 後にも先にもたった一度だけ親父に戦争の事を聞いた事がありました。
親父は戦争が始まった時に学童疎開で満州に避難させられたらしく、そこで何回も戦闘機の銃撃から走り回って逃れ、食うものが無かったので木の根っこや草も食ってきたと聞いた事が有ります。
まぁ、この時代の人たちは少々の事ではへばらない訳だ。

大人になり、自分で料理をするので、三種の宝物は食べますし、どちらかといえば好きな部類に入ってますので、悪しからず(笑

いつも読んで下さりありがとうございます。
また何か思い出したら書きたいと思います。


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