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Mackerel38 NFT|アバランチがweb3事業をはじめるまでの記録 Vol.1


うちの社長は、少しばかり変わっている。
 
 
社長と呼ばれるのを嫌がって、「熊本さんと呼べ」と言い出したり、社員に無下に扱われる度「俺、社長だよ?!」となぜか嬉しそうだったり、餃子を焼くことに人並み以上の自信があって焼くたびに写真を見せてきたり。
 
夏は半パンで出社して、打ち合わせに行く前に会議室で長ズボンに着替え、冬はランウェイでしか見たことのないような真っ赤なコートを着ている。この真っ赤なコートは着るたび社員にいじられ、それを嬉しそうにしている。
 
「これ知ってる?」と人に共有するのが好きで、人から聞いたものを取り入れるのも早い。
 
 
そして、なんでもやってみようとする人だった。
 
やれ「ジェラート屋さんをやろう」と言ったり、「保育園をつくろう」と言ったり。

どれも、敏腕リスクマネジメントモンスターである経理の手によって、現実的な工程と数字を見た上でそっと消えていった。
でもいつも、「やろう」と言っている熊本さんの目は本気だった。
 
 
そんなアバランチは2018年6月、広告制作会社でありながら、「No.38」というサバ缶を発売した。

No.38(ナンバー・サーティエイト)

 
会社の記念品から転じてできたこのサバ缶は、あらゆる企業の広告ビジュアル、Webサイト、ブランディングと、請負仕事を生業にしてきた20年の中で、はじめての自社プロダクトだった。

開発段階では記念品だったので美味しさに全振りした結果、採算度外視の逸品に。
控えめに言って激ウマだが、それはまたいつか別の話で…。


誰も小売業の経験はなく、全員がはじめての中で、わたしは顧客の最前線に立つことになった。電話を取り次ぎ、来客にお茶を出し、請求書にハンコを押すために会社にいたわたしは、No.38の発売以降、商品を包み、問い合わせに返信をし、今は卸先やメディアの対応をしながらショート動画の撮影をしてSNSの運用をしている。


おわかりいただけただろうか。大真面目にフザけている。


これが俗にいう、人生にある3つの坂のひとつ、「まさか」である。わたしの両親は帰省のたびにわたしの近況を聞きながら、「で、アナタ何をされている方なの?」とアッコのように毎年聞いてくる。
わたしだって分からない。
 
わたしが何者か分からなくなったスタートの合図も、熊本さんの「やろう」だった。
 

 
2022年5月。
「これを読んで」と熊本さんから本の回覧が始まった。
 

これである。


この光景はこれまでもよくあったことで、熊本さんが読んで良いなと思ったものは、興味のある人にと回覧したあとは社内に置いてくれていた。今回、何人かには個別で「読んだら教えて」と念押しがあった。
 
 
2022年6月、「社内セミナーを開くよ」と講師が招かれた。
 

なんかすごいひと来た…

テーマは「WEB3.0/メタバースについて」。
回覧していた本と同じテーマだった。
その次のセミナーも、同じテーマが引き続き開催された。
 
 
…これはくるな、と思ったと同時に、またかよという気持ちとまじかよいう気持ちが脳裏によぎって颯爽と走り去っていった。4年前、完成したサバ缶を手にした時も、まじかよと思っていたのを思い出した。

そう、こういう時の熊本さんは「やる」のである。
 
セミナーを終えた時、社内の数人を集めた熊本さんは「やろう」と言った。
いつもと同じように、いつも以上に熱を込めて可能性を語った。
あぁやっぱりやるんだよな、と思いながら、もっと真剣に本読んでおけばよかったなと少しだけ後悔した。
 

思い返すと、真っ赤なコートを買った理由は、
「似合わない、こんなの着ない、じゃなくて、勧めてもらったものを受け入れてみようと思ったんだよね」とか言っていた気がする。

今回も、できない、じゃなく受け入れてやってみようということなんだろうなと思う。
 

こうしてアバランチは広告制作会社として25年を迎えた節目の年に、Web3事業という、まだ不透明で広大な海原に足を踏み入れることになったのである。

Vol.2を読む

今回のサムネ

ロングコートなので身体の半分以上真っ赤。一番近い赤ってなんだろうって考えたら闘牛士のマントでした。牛、テンションぶち上げの赤。


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