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【個展レポート】飯嶋桃代展「鏡とボタン―ふたつの世界を繋ぐもの」~「実像」と「虚像」の狭間

携わっている「アイスタイル芸術スポーツ振興財団」が昨年度行った「第1回 現代芸術振興助成」で助成させて頂いた飯嶋桃代さんの成果発表を兼ねた個展「鏡とボタンーふたつの世界を繋ぐもの」に行ってきた。

インスタレーション作品って、その瞬間は戸惑いを覚える。「どうやってこの作品を理解すればいいんだろう!?」と思うのは僕だけではないはず。(美術評論家の方って、それを何だか不思議な言語で解釈するからすごい!笑)

別に美術の専門家ではないので、ロジカルに理解しようなんてする必要はないんだけど、せっかくだから見てすぐ帰っちゃうのではなく自分なりに理解できたらどんなにか楽しいかといつも思う。

で、最近思うのは、その作品のことを少しだけ教えてくれたらいいのに。それが「核」となり、あとは見ている自分がそこに肉付けをして自分なりの解釈を広げていけばいい。

そんなことを話していたら、飯嶋さんとギャラリーの人が、この作品は

「実像と虚像を映し出す」

というヒントをくれた。鏡の「こちら側」と「あちら側」を繋ぐ役割として存在する鏡。これが「核」となって、いろいろと自分なりに想いを馳せることが出来たので楽しかった。

普通の鏡部分は素の自分が映る「実像」でも、鏡に埋め込まれた「ボタン」によって生み出された「歪み」は「虚像」の自分を映し出す。

そして、会場の真ん中にポツンと置かれたシャツ。

会場に入った瞬間は「なんじゃ、これ!」と思っていたのに、長いこと鏡と対峙していたら「シャツを見るとホッとする」不思議な感覚を覚えてた。

これは鏡自体に映し出される自分が「虚像」で「シャツ」が「実像」。飯嶋さんも制作している1か月の間ずっと鏡に囲まれていたときに、何とも言えぬ違和感を覚えていたらしい。だからこそ、

「”モノ”ってすごいチカラがある」

と改めて感じたそうだ。さらに続きがあって、この空間に長く居たら逆に最後のほうは何も感じなくなったそうだ。はじめのころは、鏡に映る自分の姿が気になったら、妙に細かいところが見えて嫌だったのにそれを通り過ぎるとすべてを受け入れられる境地に!(全然関係ないかもしれないけど、尋問などを受けると最後はやってもないのに自白しちゃう気持ちってこれにているのかな?)

これも「実像」と「虚像」の狭間なのかな?

作家コメント

鏡の中のイメージの世界と実体の世界。分離しながら逆さまに対応しているふたつの世界。

鏡は、ひとつの世界を、ふたつに分離し対峙させる。

この分離したふたつの世界をボタンとボタンホールによって繋ぎとめる。繫ぎとめる行為は、世界がふたつであることを確認する行為でもある。鏡の前で身支度をする。鏡の世界に旅に出るのだ。私のカラダは鏡の前に置いたままで。

ふたつの世界から発せられるささやきとざわめきに耳をかたむけてほしい。(ギャルリー東京ユマニテ:ホームページより引用)

飯嶋桃代展 IIJIMA Momoyo
「鏡とボタン―ふたつの世界を繋ぐもの」
2018.6.11(月)‐6.30(土) 日曜日休廊 10:30-18:30(最終日17:00)
会場:ギャルリー東京ユマニテbis
東京都中央区京橋3-5-3 京栄ビル B1F [マップ]

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